第10話 いさりがみ・ばーんあうと

「やる気満々なのは結構。でもお前は履き違えている。もう一度聞く。ここから逃げてなんになる」


「逃げてから考える! 少なくともここよりもマシなはずだ!」


「阿呆が。問題から逃げても解決しない。現実を見ろよ」


 首元を締め上げられる力が更に強くなる。思わず俺は激情した。


「アンタになにが分かる! 俺の家族がおかしいってことを、誰も理解できるはずがないだろ!」


 そうだ。俺の家族が、魔眼とかいう意味不明な力のおかげでこんなことになっているなんて誰が理解できるものか。非科学的だ。あり得ない話だ。オカルトだ。頭で理解しようとしてもできる話じゃない。

 存在している時点で異常なんだ。

 それを今までだましだましやってきたというのに、俺は使


「被害者ヅラは気に食わないな」


「じゃあ、じゃあなんだってんだ! この身体に生まれてきた俺たちが、ただ単にハズレを引いたから、そんな人間は淘汰されるべきかって言ってんのだろ! 言ってみろよ!」


「もっと不条理で理不尽な地獄がこの世界にはたくさんある」


「慰めのために大抵のヤツはそう言うさ」


「あっそ。自慢じゃないが俺のバックボーンだって大概だぜ? お前の魔眼ならそれくらい看破できるだろうに」


「なにを……」


「境界の魔眼。ソイツは過去の事象を観測することだって可能なはずだ」


 男はよく視てみろと、そう言った。


「凝視しろ。もう一度、さっきやったように」


 そんなことすれば、コイツの頭は吹き飛ぶことになるだろう。だが、やってみろと言うのだ。俺は悪くない。

 最っ高に気分が悪かった。だから、やってやろうと思った。

 眼前で風船みたいに血しぶきが飛ぶのも良い経験だと、脳はおかしなことを呟く。


「やってやるよクソが」


 薄ら笑いを浮かべる男の顔を見ながら、視界を歪める。

 ぐにゃり、ぐにゃり。

 視界は何度も回転を続け、そしてその果てに視てはならないものを見た。


 死。

 死。

 死。

 死。

 どこまでも続く死。


 螺旋のように渦巻く死。

 永遠という、果てしない死。 

 禍々しく、一歩間違えれば自分がその渦の中に引き込まれそうだと錯覚する。

 塵も星もない、宇宙空間のような泥の海。


 タールのように淀んだ泥の中で、

 あれは赤く錆びたような、

 あるいは赤熱したような、

 黄金のなにか。


 見てはいけない。 

 これ以上は見てはいけない。

 鼓動が止まる。

 息も止まる。

 頭は真っ白になって何も考えられなくなった。

 体の体温は、シャットアウトされたみたいに上がらない。

 これ以上はダメだと、眼球は強制的に視界を遮ろうと、チカチカと点滅を繰り返す。

 でも、魅入ってしまった。

 泥の中で光輝くソレは、まるでこちらが観測しているのを既に知っているようかのように――――例えば、数百年前に消えた星の光が現代の地球に届いているように、そんな風に、全てを知っているような顔をしてこっちを見ている。

 そして、


 ら 

  せ ん

      と も

         え


 怪物はそう口を動かして、嘲笑した。

 自分は、何を視てしまったんだ?

 おかしくなりそうだった。

 怖くなって思わず目蓋を閉じた。


「ふうん。その様子だとしっかり視ることができたようだな」


 男はふっと笑うと、体を解放してくれた。


「らせん、ともえ?」


「そう、俺は螺旋巴。螺旋階段の螺旋に、巴ってのもほら、渦を巻いているって意味の巴」


 杖先を天井に向けて、ぐるぐる回しながら男は言う。


「さ、さっきのは」

 

 自分が現実を目視できているのか、右腕を開いたり閉じたりしながら確認して、上体をゆっくりと起こす。

 体は完全に萎縮してしまっている。さっきまでの興奮はどこへやら、頭はすんと冷静になった。


「お前が何を見たのかは知らないが――なんにせよ知らぬが仏だ。で? 状況は理解したか? 俺が一体何者であるか。もちろん、名前だけじゃない。職業的なものさ」

 

「ば、化け物」


「正解! ……いや違う」


 ちゃんと答えろと言われた。しかし、落ち着きを取り戻した自分が、そう言われて真っ先に浮かんだ言葉がある。


「魔術師」


「正解。詳しくは余所で話そう。お前、歩けるな?」


「…………」


 遠い昔、父が口にしていた言葉。まさかこの時代に実在しているとは思わなかったけど。

 状況が飲み込めない。家族が死んで、それで俺が……今、の自分は本当に何をすべきなのだろう。そんな単純なことが今になって考えられるようになった。

 数分前の行動には後悔しかない。


「あ る け る な?」


「は、い」


 従ってよかったのだろうか。でも、ここにいるよりはマシなのかな。


 ◆


「こっちだこっち」


「でもそっちは……」


「いいから、こっちに来い」


 男の言葉に従い、その背を追う。なにか悪いことをしている気分になって、扉の影に隠れるようにして足を止めていたけれど、堂々と歩いている男を見ると、俺だってそうせざるを得ない。

 警察署の中は、慌ただしく人が往来していてもおかしくないというのに、何故か無人だった。

 その異質さに、体温が奪われる。

 一度は落ち着きを取り戻した脈拍も、再び上昇の兆しを見せ始めた。


「なんだってんだ、これ」


「結界というものだよ」


 男は見向きもせず、そう言った。


「結界?」


「まぁ、なんと言えばいいか。この建物に限り、今は時間が止まっている」


「な……」


 俺の眼は、そんな現象にすら気づけなかった?


「力を使ったのは今回が初めてだろう? 君の眼は大量の情報を捌きすぎて一時的に麻痺している。まぁ、人間らしくには問題はなさそうだ」


 警察署を出ると、人間を生じスポーンさせるスイッチがあるかのように人の気配が戻った。


「少しの間ではあるが、ここからは静かにな。お前が署から出たというのがバレるのは面倒だ」


 この人、やはり警官ではないのか。じゃあ、今自分がやってることは立派な犯罪行為……犯罪に犯罪を重ねている状態じゃないか。


「でも、俺さっき……」


 思いっきり壁を破壊して、それで、警官を……。


「案ずるな既に策は講じてある」


 い、今はその言葉を信じるしかないか。

 警察署内を堂々と移動できたのを見るに、あり得ない力を使いこなせる人であることは間違いないと思うし。


「これからどこに行くんですか。そもそも何者なんです?」


「さっきも説明しただろ、魔術師だよ」


「正直、意味わからないんですけど」


「じゃあ、今からでも取調室に戻ってカンヅメするか?」


 ついでにさっきの状況に戻しておいてやる。と男はニヒルに笑う。


「――ッ。ついていく」


「よろしい。百聞は一見にしかずだ。ひたすら見て、ひたすら慣れろ。それはお前の専売特許だしな」

 

 そう言って乗せられたのは黒いセダンだった。いやしかし、どう見ても覆面パトカーとして使われるものであり、無線機などの機材が前面に密集している。

 俺は後ろの席に座らされて、男は助手席に座る。既に車のエンジンは始動していて、運転席には魔術師を名乗る男と同年代と思わしき男が座っていた。


「君が岩座守くん?」


 運転手はこっちを見るなり、気さくに微笑む。


「あ、はい」


 運転手はそのまま、自己紹介でも始めようとしたけれど、隣の男が許さなかった。


「車、とりあえず出してから」


「はいはい、わかりましたよ」


 車はどこに行こうとしているのだろうか。俺には全くわからない。不安だけがただ積もる。もう、全てを忘れて眠りたいくらいだった。


「岩座守鷹彦。今からお前には餌になってもらう」


「は? 餌?」


「魚釣りと同じさ。こうして車を走らせて獲物を待つんだ」


 何を言っているんだこの人は。


「警官から、兄の遺体の状況は聞いたか?」


「いや、なにも……」


「眼球がなかったんだよ。正確には抉られていた。これがどういうことか分かるか」


 その言葉を聞いて呼吸が止まる。まるで、空気から全て酸素がなくなったみたいに息ができなくなった。窒息寸前だ。

 それでも、そんな状況であっても、俺の口はパクパクと動く。真実を知るために、必死に。


「ヵ……兄が、母を殺して心中したんじゃないんですか」


 そう、自宅をパトカーが取り囲んでいたときから感じていた嫌な考え。

 なぜ兄と母が死んだのか。

 これまでの家族の状況を鑑みるに、今回の一件は破滅を望んだ兄が母を道連れにしたとしか思えなかった。

 だから、俺はそう言った。警官になんの説明もされていないわけだけど、心中じゃなかったのかと。

 きっとそうであると決めつけていた。

 今の今まで。


「どうだろうな。そこまではまだ分からない。でも、一つ言えることがある。それはね、誰かがってことだ」


「え?」


「知らないはずがない。お前はさっきも、その力を使ってみせた。岩座守鷹彦。お前の家族は魔眼を保有している」


「魔眼……兄さんは病気じゃなかったのか?」


 否。兄はその眼のせいで病気になった。病気だったから眼がおかしかったわけじゃない。俺はその事実をとっくに知っている。この男から説明されるよりもはるかに昔に。

 認めたくなかったんだ。

 今更だ。

 ほんと、自分を軽蔑してしまう。

 俺はついさっき、その力を使ったばかりじゃないか。


「境界の魔眼。喉から手が出るほど欲しがる連中が山ほどいるよ」


 知っている。

 その言葉は、記憶の奥に封じ込めていたけど。思い出さざるをえなかった。


「じゃあ、兄はアンタらみたいな連中に狙われて……」


「同類にはされたかないが、今のお前にはそう見えても仕方がないよな」


 冷笑しながら、男は紙巻煙草を咥える。ライターを持ったところで、その手は払い落とされた。


「ここ、禁煙」


「相変わらず生真面目なんだから」


 まるで緊張感がない。さっきまで殺伐とした部屋に閉じ込められていたから、自分の感覚が狂っているのか?今ならこのドアを開けて外へ飛び出すこともできるんだろうけど、その判断ができないほど、頭には霧が立ちこめていた。

 逃げたところでなんになる?

 帰る場所はない。

 待っていてくれる人もいない。

 もう、鷲にいと母さんはいないのに。


「自分は、なにをしてるんだ」


 無意識に舌打ちがこぼれた。

 ミラー越しに、男がこっちを見ている。


「安心しろよ、岩座守。獲物はもうそこにいる」

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