第9話 いさりがみ・ばーさく
パニックになると、人はなにをするかわからない。
後になって振り返れば、自分はその典型だったのだと思う。
亡くなった。その言葉を聞いたら、真っ白だった頭が余計おかしくなりそうで、俺は自分で歩くこともできず、警官に背中を撫でられながらパトカーで地元の警察署へと運ばれた。
移動中、仕事中の父に連絡しようとしたけれど、応答はなかった。事態が事態。職場の固定電話にもダイヤルした。けれど、何度やっても話し中なのか、ノイズだけがスピーカーから漏れていた。
警察署へ着いて、いったい何をされるのかと思えば事情聴取。
白色電球だけがただひたすらに、その全てを曝け出せと照らす部屋に通されて、家族仲はどうだったかとか、そんな事情を寸分違わず丁寧に語らされた。
一方的にだ。
相手は、母と兄がどうなって死んだのかとか、そういった情報は一言一句漏らさない。問いただしても、適当にはぐらかすだけ。
警察の態度を見て思うことがあった。ひしひしと血に火が入る。
“俺を疑っているんだな”
ふざけるな。
家族が死んだんだ。もっと大事な情報をよこせよ‼
「そんなことはもういいだろ――――。もっと、なんで……‼」
その部屋に閉じ込められて半時間と経たないうちに、自分は音を上げた。
「俺は家族なんですよ‼ どうして、まだ全てを語らない⁉ 死んでるってんならさ……会わせてくれよ……最後くらいさ……」
机を思いきりひっぱたいて、両手首はじんじんと痛む。
息はずっと荒れたまま、鼓動も収まり方を忘れてしまったようだった。
冷静になれない。
この未知の感情の収束方法がわからない。
人に怒鳴りつけるというのも、今回が初めての経験だった。
興奮している俺を見て、警官は少しだけ目線を逸らし、小さなため息を漏らす。
「ああ、めんどうくさい」とそんな風に。
向こうはただ手順通り、事件の処理を行っているに過ぎない。俺の家族が亡くなったことも、所詮は他人事であり同情はするものの、それ以上の感情はないだろう。
俺はただ鬱陶しいことをしているだけで、効率よく仕事をこなしているつもりの警官にとっては面倒なことこの上ない。
吐き気がする。そんな目で俺を見るな。
お前如きが俺を、そんな顔で憐れむな。
同情?
嘲笑?
侮蔑?
ああ、まだ自分の人生はコイツよりかはマシだって?
そうやって馬鹿にしているのだろう?
知っている。
その態度。隠そうともしないその表情。
泥を浴びた、腐ったひき肉みたいな顔をしている。
「少し、冷静になってはどうかな。それでは何も解決しない」
何も解決しない? もう事は済んでいるのに?
これ以上、なにがあるっていうんだよ。
“いっそのこと奈楽まで墜ちようか”
「君のお兄さんは、精神疾患を患っていたと言っていたけど、それはいつからかな?」
何度口にすればいい?
この問答を何回繰り返す?
いつになったら現状は終わる?
“おまえが理解すればいい。お前が被害者になればいい”
「通っていた病院とか、わかる?」
どうして、一方的に話を進める?
その方法が手っ取り早いと、何故そう思う。
黙り込む。
もうお前とは話したくなんかない。
数十秒の沈黙。
男は我慢の限界が近いのか貧乏ゆすりを始める。
「は」
失笑。あるいは嘲笑。
警官はわずかに口角を上げて、目を細めると、そんな風に笑った。
「――――ああ、そうかよ」
自分の中で硝子の割れる音がする。窓にぴしりと亀裂が入ったような音だ。
衝動に身を任せろと本能が囁いてくる。
甘美な誘惑だ。
最悪の選択肢だ。
“だが、それ以上に最高の手段でもある”
これからやることは、ただの憂さ晴らしだ。
「 まずは、おまえ、からだ 」
自分は何を言っている?
わからない。
自分は何をしようとしている?
わからない。
ただ、無意識に恐ろしいことをしようとしている。そんな感覚だけがあった。
怒りに身を任せて。
眼球に熱が溜まる。
瞳にかかっている圧力がまた高まっていく。
視界は、なにかよくないモノを視ようとしていた。
目の前の警官は突然立ち上がった俺を見て、そして、その支離滅裂な言動を聞いて、咄嗟に椅子から腰を上げる。
彼は、少し焦ったように早口でなにか口走っていたが、何を言っていたのかは思い出せない。まず、聞こうともしていなかった。
「ぐ、ぁ」
皮膚から脊髄へ。脊髄から脳へ。あらゆる感覚を、五感全てが鋭利は刃物のように研ぎ澄まされた。それらの情報は雑に集約され、瞳へと至る。
閃光のような激痛が走る。
感情の暴発と共に、魔眼の蓋は開かれた。
視界が歪む。今自分が立っているのか座っているのか、はたまた横になっているのか。それすらも分からないほど平衡感覚が崩壊し、バランスを崩すまいと腰を低くしたその瞬間、目の前の壁が爆音と共に吹き飛んだ。
当然、目の前にいた警官もただじゃすまない。
体はくの字になって吹き飛ばされ、その衝撃で頭から血を流して倒れている。
全ては一瞬の出来事だった。
これではじきに死ぬだろう。
「……」
すぐに視界は元に戻って、ぐわんぐわんと揺れていた平衡感覚も回復している。吐き気はするし、頭も痛いけれど、今なら、すぐにこの場所を去ることができるだろう。
「はぁ――――……はぁ」
もう一度、警官の方へと目をやる。俺が殺した、もうすぐ死ぬ、警官をはっきりと見た。
“助ける必要はない。お前は既に鳥籠の外へ羽ばたいた鳥だ。たとえ羽をもがれようとも、飛ぶことができるだろう”
そんな言葉が脳裏に響く。
「……うる、さい」
本能のようなものを否定して、もう一度死にかけの警官を凝視する。
すると、意思に呼応するように視界は再び歪み、次に視界が復帰したときには、警官は傷一つない状態で気絶していた。
ただ、力の代償か、尋常じゃないほど頭は痛い。けど、まだまだ耐えることのできる痛みだ。
でも、邪魔者は消えた。
一刻も早くどこかへ行かないと。
こんなことをしてしまった。あり得ないことを起こしてしまった。
逃げないと、どこか遠くへ。
「逃げてどうする、お前」
自分があけた大穴から、ここを去ろうとした時、背後から突然、男の声がした。さっき半殺しにした警官の声じゃない。また別の人間だ。
何者だ? 爆発に反応して、駆けつけた他の警官かと思ったがそうじゃないらしい。なにか異様な気配を放ってる。
杖を突いているが、半身は麻痺しているのか? 杖という補助を使うにはまだ若すぎるような年齢にも見える。
――――だが、どんな人間であれ今は邪魔だ。
咄嗟に振り返って、もう一度魔眼の力を解き放つ。
だけど、そんなものはものともせず、男は間合いを詰めると、俺の胸ぐらと掴んで、そのまま床に叩きつけた。
「は⁉」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
まだこの力に順応できていなかったのか、男は怯んでもいない。
「甘いな。初めて力を使ったのか。それとも今回の
取り押さえられて、このままここを離れられなくなるのだけは勘弁だ。そう思って、精一杯の抵抗をするけど、この男の体はびくりともしなかった。
華奢な体だ。俺を抑え込むにはあまりにも無理がある。こんな腕、簡単にへし折れるはずなのに。
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