第3話 A-マ三可・Ⅶ楽 /岩座守-鷽

 学生の頃、無性に死にたい時期があった。学校という場が苦手で、嫌いだった。きっとそれは生徒間の競争を強いられるから。結果というのも、分かりやすく数字になる。数字は嘘をつかない。どんな人間であっても実力や学力さえあれば、高い数値を叩き出してくれる。だからみんな、テストの点数に張り付いて、自分は〇〇くんより優れているだとか、そんな事を思う。

 それが嫌いだ。


 誰かが優秀になって賞を取る。

 それが嫌いだ。


 学校の先生に理由もわからず叱られる。

 それが嫌いだ。


 誰かと誰かが付き合った。

 それが嫌いだ。


 誰かと誰かがトラブルを起こして怪我をした。

 それが嫌いだ。


 自分は何も関係ないのにクラス単位で責任を負わされた。

 それが嫌いだ。


 なにもかも。なにもかも。なにもかも。なにもかも嫌いだ。

 どんなに頑張っても、追いつけない。

 みんなはぐんぐん前へ行く。

 勉強というのは努力すれば誰だって、どうにかなるのかもしれないけど、優秀な生徒との間に、埋めることのできない溝はたしかにあった。  

 人間は全員が全員同じ性能ではないんだから。

 比較的平等に個人のスコアを記録できるものなのかもしれないけれど、大嫌いだった。

 

 人が多くて吐き気がした。

 視点を一点に集中させていても狭い教室はどんちゃん騒ぎ。生徒はあっちやこっちに移動しながら幼児のように叫ぶ。


 ――――ああ、わかった。学校が嫌いなんじゃない。


 人間が嫌いなんだ。


 一人になれる時間がほしかった。

 高校だけは給食じゃなかった。


 もう、一刻も早くその場を離れたくて、昼休みは校舎の外で弁当を食べていた。自分で作った弁当は、あまりにも地味で、保温機能のないプラケースに入っていて、ご飯は気分が悪くなるほど冷えていて、いつからかそれが嫌で昼ご飯を食べなくなった。


 どうせ自分で洗わなければならない。

 どうせ自分で用意しなければならない。

 なら、ならせめて。一分、一秒でも眠っていたかった。


 ◆


「………最悪」

 とはいえ、悪い夢はいつものことである。

 スマホを見れば、午前四時。まだ陽は昇っていない。少し肌寒いけど、もう眠る気にはなれなかった。白湯だけを飲んで、身だしなみを整えて。そのまま事務所へ向かうことにする。


 ◆


「おはようございます………」


 事務所へ入ると、来客用のソファで岩座守が大の字になって眠っていた。


「うわ、酒くせぇ」


 テーブルにはストロング系のお酒の缶が三缶ほど並んでいて、当人は大きないびきをたてながら熟眠中。近づけばぶわっとアルコールの匂いがした。

 俺が来たことにはなんの反応もなく、気持ちよさそうな顔になっている。


「師匠に見つかったらどうなることか」


 そう思いながら、というか言葉にしてしまったけど、俺は空き缶や、散らかったテーブルを片付けることにした。


「ゴギガ! ガガギゴ!」


「いやうるせーな! いびきが! というかいびきなのかそれ?」


 ゴミをかき集めつつ、テレビの電源を付ける。今はニュース番組しかやっていない時間だ。昨晩から報じられている内容の報道がまだ流れていた。


 ニュース番組は嫌いだ。特に、朝のニュース番組は。

 朝が来たと思ってしまうし、心のエンジンが暖気運転の最中だというのに、重たいニュースで気分が悪くなる。せめて朝くらいは穏やかでいたいのに。

 とはいえ、岩座守のいびきをBGMにするよりはマシだ。テレビをつけていればコイツの目も覚めるだろうし。


『次のニュースです。西―――周辺で発生している内紛で新たに四十名が死亡しました。空爆による死者はこれで五百名を超えました。これに対し――の首相は声明を……』


 チャンネルを変えよう。


『内戦が激化しています。現地では医療状況がひっ迫しており、二百人以上の新生児が………』


 チャンネルを変えよう。


『――――これに対して日本政府は、『誠に遺憾である』と声明を発表しており、米政府との電話会談に応じる予定です』


 変えたところで、どれも同じか。

 別にじっくり番組を見るわけじゃないし、これでいい。

 給湯室のゴミ箱に空き缶などをまとめると、カーテン開け、窓を開けた。


 ◆


「おはーッス……」


 岩座守が起き上がったのを見て、両耳からイヤホンを外す。結局、番組なんて見ずに自分は自分で、音楽をひたすらに聴いていた。


「随分吞んだみたいだな。師匠が先に来てたらどうなってたか」


「ん。あぁ、片付けてくれたんスね。あざス」


 岩座守は大きく伸びをしてからむくんだ顔をマッサージする。


「いや、でも師匠は、このくらいじゃあ怒らないッスよ。同じシチュエーションは何度かあったんで」


「少なくとも俺が働き始めてからは見なかった光景だけど?」


「そりゃあ、新人の前でみっともない姿を晒すのはどうかしてるッスから。もう、俺たちそういう仲じゃあないでしょ?」


「それもそうか。しっかし、巴さんが怒らないってのは意外だな。メリハリをつけろって言いそうだけど」


「まぁ、仕事のない日はこうやってぼうっとしてるだけなんスから、指導したところでってかんじでしょう」


「納得したわ」


「それに、師匠は俺だけに甘いんスよ。大抵のことは笑って許してくれる。友達を傷つけない限り」


「シャンクスかな? まだ酔ってる?」


「まだボーッとしてるッス」


「顔洗ってきたら?」


「そッスね。ちょっと眼の調子も治ってないみたいだし」


 アルコール混じりのため息を吐いて、岩座守はゆっくりと立ち上がる。そのまま、給湯器の方へと体を向けた。


「眼?」


 自分が訊いた言葉はテレビの音にかき消され、岩座守も気づくことはなかった。あるいは、聞こえなかったフリをしたのかもしれない。

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