第2話 心よ、腐敗し崩落し荒廃せよ。

 俺たちの仕事というのは、いつも唐突に舞い込んできて、それ以外は暇なことが多い。事務所に集まる理由だって、仕事というよりコミュニケーションだ。たまに師匠から魔術を教えてもらうこともあるけれど、その日の気分で教えてくれなかったりする。


 だから、当然顔を出さない日もあるわけで、そんな日は家で自堕落に過ごすことがほとんどだ。

 今日はその典型で、来客がいる。


「自殺しようとしている人を、止めるのってどう思います?」


「……なんだよ藪から棒に」


 勝手に部屋に入ってきたと思えばこれだ。

「自殺はよくないっていいますよね。というか、それが社会のルールです。自殺しようとした者を罰する法だってありますし、手を貸したりすると自殺幇助になります」


 立派な犯罪なんですねぇ。と、後輩は笑う。皮肉たっぷりの汚い笑みで。

 あらかわ真奈まな。年齢は同じ。高校の頃から縁のある友人だ。

 よく、男女の友情は成立しないとか、そういうを聞くけれど俺たちの間にそんな定説は通用しない。何故か? と言われればそれは説明できないけれど、俺はこいつを魅力的に感じないし、新川の方だって俺に魅力を感じていない。

 肉体的接触――手に触れたり、胸にちょっと当たってしまったり。過去にそういうこともあったけど、自分でもビックリするほど、ドキッとしなかった。

 きっと、両者が恋愛に興味がない、無縁であるという点も大きいのだろう。もし自分に恋人がいたのなら、とっくに縁は切っていたかもな。そんな可能性、ありもしないけど。

 どういうわけか、今の今まで縁の続いている人間の一人である。


「聞いてます? そんな、つまらない出会いの記憶なんて掘り起こさないでいいですから。私のおもしろーい話に耳を傾けてくださいよ」


「おもしろい話ではないよな。なんなの? お前そういうの大好きだよな」


「あはは。なんですかその言い方は。まるで私がクソ野郎みたいじゃないですか」


 やだなーと胸元で手をあおぐ。


「クソ野郎だろ」


 断言できる。


「それで? それがなんだってんだ」


「はは。クソ野郎とか言っておいて、私の話には興味があるんですねぇ。いやぁ、長い付き合いになりますから、貴方も私に毒されましたねぇ」


「否定はしない」


 ワンルームで二人きり、何も起きないはずがなく―――どうして社会問題について語り合おうとしているのだろう。


「いやね? 自殺というのは、どうしようもないからするわけですよね。死にたいのだから、当然です。精神状態も無茶苦茶だ。世間一般がまともだと呼称する思考回路が完全に焦げて死んでしまっている。飛び降り、首吊り、リストカット、薬物の過剰摂取OD。この辺りが王道ですかね。けれど、私はどうしても理解ができないんですよ。“自殺をしてはいけない理由”が」


「死ぬのはいけないことだって、そう答えるのが正しいか?」


 自殺の方法を聞いて、これが王道だ。とか、そんな言葉を放てる人間にだけはなりたくないと、今思った。

 どうしてこんな女と付き合っているのだろう。やはり、どこかで居心地がいいとか、そんな風に感じているのか、俺は。


「あはは。そんなわけないじゃないですか。聞きたいのは、貴方の本心ですよ。自殺をしてはいけない理由――もっと合理的な答えを、貴方は持っているはずです」


「……そうだな、やっぱ、自殺を見てしまった人は気が気じゃないだろ? 第三者の精神衛生上、自死した遺体を見るのはやっぱりよろしくない。駅のホームで自殺する人もいるだろ? そうなると、運行ダイヤにも影響が出るし、運転手の気持ちを考えちまうよ」


「はは。第三者への影響ってものは非常に大きいですねぇ。しかしどうです? そういう社会へのリスクを度外視した際、貴方は自殺しようとしている人間を、止める努力ができますか?」


「………できない、だろうな」


「それはどうして?」


「依存されちまうと、困る。自分の人生でいっぱいいっぱいなのに、他人の人生まで背負いきれない。そういうことをすると、きっと俺も――」


 破滅へと向かうだろう。


「そうですね。その通りです。きっと多くの人がそうだ。口では自殺してはいけないと、そう口を並べて言うけれど、決して自分は関わりたくない。知っていますか? お医者さんや、カウンセラーというのは、寄り添いすぎると自分もそうなってしまうらしいですよ。だから、生物としてその判断は間違っていないのです」


「悲しい事実だ。それじゃあ本当に救ってやれない」


「だから何もしない。助けを求められても深入りはしない」


「自分まで調子を崩してしまえば、元も子もないからな」


 その通り。と新川真奈は頷く。


「しかし、阻止する行為にも問題があると、私は思うのですよ。人の自死を止めること、これは即ち、その人に関わることを意味します。大きく言ってしまうとその人の人生ですね。人生の一大イベントを妨害して、自分のエゴで人を生かすのですから」


 俺はぼうっと天井を眺めたまま、彼女の言い分を聞き続けた。


「死ぬ側からしてみれば、どんな気持ちでしょうか。止められたけれど、自分はろくでもない人間だし、社会不適合者。今後穏やかに生活していく自信はないし、家庭環境が劣悪な人は、その場所まで戻らざるを得ない。そうなると、生きるという選択肢は地獄と化します」


「何が言いたいんだ。あと、そういう話を余所でするなよ。絶対に嫌われるから」


「分かっていますよ。それで私の言いたいことなんですが、死にたい人間というのはどうするべきなのでしょうね。という話です」


「お前、自殺願望でもあるの?」


「いえいえ、ありませんよそんなもの。私は単に、この社会のシステムがと思っただけで」


「矛盾している……助けても解決にはならない。かといってそのまま自殺させるのもどうか。ということか?」


「はい。前者は先ほども言いました通りです。関わることで負の連鎖が続いていく。ま、その連鎖を断ち切れれば万事解決ですが、簡単に解決できてしまえば負の連鎖なんて言いませんよね」


「この歳になって思ったけど、お金がどれだけあるか――みたいなことも背景にあるよな」


 そして、負の連鎖に陥った者は心に爆弾を抱えながら人一倍努力し、遅れを取り戻さなければならないのが大半だ。だが、爆弾を抱えたままオーバーワークなんてすれば……結末は見えている。


「それで、後者の話ですけれど、死なれてしまっては周囲の精神的負荷はマッハで上がります。どんなに健康な人でも突然目の前に死体が転がっていればおかしくなりますし、友人が死んだと聞けばその事実を否定したくもなりますよね」


「俺は、お前に上手く言いくるめられている気がしてならない。確かに、言ってることは事実で、どれも正しいけれど、現実というのはそう下り坂ばかりじゃないんだよ」


「そう言うと思っていました。長い付き合いですからね」


 次に言うこともどうせ理解しているのだろう。


「だから、言葉にしてみれば矛盾はしているってのは分かる。それでお前がなんかモヤモヤしているのも分かる。けど、記録や言葉、数字が全てを物語ってるわけじゃないんだよ」


「ふむ。私の考えはあまりにも『起こった事実』そのままであると?」


「……そうだな。そういうことになる」


 新川は満足したのか乾いた笑みを浮かべる。


「それに、死にたいって言ってるから、今すぐ死ねるか? なら、俺が殺してやろうと言っても、返ってくるリアクションは曖昧だろ」


「わお。まるで経験者のような台詞だ」


「このご時世だ。誰だって最低な精神状態になる経験をするって」


 営業マンみたいなスマイルを維持したまま、相槌を打っている新川。


「なんだよ、気持ち悪い」


「いやだなー。貴方だってコンビニで働いていた頃は空回り鉄の心スマイルだったじゃないですか」


「ぐ……」


 今の仕事は接客のせの字もないからな。そういったストレスとは無縁だ。ただ得体の知れない死骸とかを目にすることはあるけれど。


「満足しました」


「こういうのはひたすらに自問自答しとけ……」


「貴方もよく鏡で自問自答してましたね」


「コンビニパート時代の話はもうやめろ」


「では、最後に一つだけ。貴方は先ほど、他の人生まで背負いきれないと、そうおっしゃりましたね」


「ああ。責任ってものが生じると思うから」


 その選択は残酷なものだ。


「しかしですね。貴方がもし、そういう場に立ち会ったとき――そして、死ぬという選択肢しかなかった人間に生きるという選択肢をとき――貴方はその行為に、最後まで責任を持てますか?」


 その言葉を聞いたとき、脳がある人を投影する。俺はそれを否定するように、目を見開いてソファから立ち上がった。


「コーラ、飲むか?」


「いただきまーす」


 新川真奈は嬉しそうに両手を合わせた。

 別にコイツは、答えが欲しくて訊いているわけじゃない。面白がってそういう話題を語り続けているのだ。

 延々と、延々と。

 だから、この会話に意味はない。

 なにも。

 ――――なにも。

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