Ⅳ-フォール・イン・アビス
深淵観測編
第1話 天河七楽と東条幽志朗
「君、悩みがあるね。そう見える。というかその話のために来たでしょ」
「お前に隠しごとって、やっぱり無理だよな。幽志朗」
基本、仕事という仕事がない俺は、時折彼の住む二階へと足を運ぶ。花鳥はどうしてか、彼を怖がっているから、彼女が鬱陶しいときとかも、よく二階へ上がるようになった。
彼は画家。詳しく言えば、油絵のプロ。かつては漫画家を志し、王手で連載を持ったこともあったそうだが、紆余曲折あって、黙々とキャンバスを塗る絵描きとなった。
中性的な美青年。そう、イケメンである。
岩座守とかも、オシャレしていてカッコイイが、幽志朗は元がいい。元が良すぎるがため、どんなにダサいファッションだろうと着こなしてしまう。
白髪交じりのぼさぼさのロン毛を、後ろでひとまとめにしてキャンバスへと筆を運ぶ様は、芸術そのもの。服はドロドロで、塗料まみれだというのに、だが、それもいい。アトリエで頑張っているアーティストっぽさに磨きがかかって洒落ている。
俺と同い年なこともあり、会話はよくする方だ。(白髪交じりの髪質なのは、彼の体質かストレスからだろう)加えて性格の一致か、波長も良く合う。彼が絵描きに疲れた際は、部屋の一角で将棋を打つのが日課となっている。けどまぁ、彼は地頭もよくて、どれだけ先読みしても、彼が先に到達している。勝った事など一度もないさ。
将棋をするのは、「まぁ、休憩がてら話相手をしてくれよ」という最初のきっかけが、様式美と化したから。将棋の最中は俺も、考え、悩むフリをして、中々次の一手を打たない。彼もまた、同様に熟考しているフリをする。
フリをしながら会話する。だが、それは心地のよいものだった。だからこうして続いている事でもある。話せばこう、ストレスが解消されている気がするのだから。
「分かるとも。僕はなんでも知っている。君が知っていることなら、なんでもね」
これは幽志朗の口癖である。なんでも、本当に心が読めるらしい。一階を事務所にしている男もまた、常軌を逸した人なので、あり得る話だ。
巴さんとは数十年前からの縁だそうだし。魔術や怪異、そういう超常の存在についても認知している。
「流石、幽志朗さんだこと」
かん。と音を鳴らして、幽志朗の歩兵が動いた。
彼は背もたれのない図工室みたいな作業椅子に腰掛け、あぐらをかいて盤面を見る。こう見ると、数世紀前のサムライにも見えるな。凜としていて美しい。ポニーテールの髪は、女性と同じように細く、繊細で艶やかだ。
西洋の剣士が剛を以て肉を断つのなら、東洋の侍は柔を以て肉を断つ。
幽志朗は後者。そんな雰囲気を醸し出す男だ。日本人ならそら東洋風だろと言われてはそこでおしまいだが。
体つきは筋肉質ではないし、華奢な方なのだが、どこか武者の亡霊を宿らせたような覇気がある。それが侍らしいといいますか。それっぽいというか。
「悩んでいるのは、花鳥の事だ。ホラ、先日からアルバイトとか言って、働くようになった女の子。お前も知っているだろう? 岩座守が苦手苦手言ってるヤツだよ」
わざとらしく口元に手を運び、くすりと笑う。
指先は骨が見えるほど細くて、死人のように色白い。アルビニズムでもないし、純粋な日本人なんだけれど、本当に白い。
「年端もいかない乙女にご執心かい?」
「なわけ。だが、気になっているのは事実だ。彼女の精神構造は、俺たちのモノとは違う気がするし――――――」
かん。俺の歩兵が動く。
静寂が支配するこの部屋では、小さな雑音もよく聞こえる。
「答えを言ってしまえば、彼女は異常だ。君の予想通り、逸脱している。だからこそ、夢魔としての素養があったのかもしれないね」
かん。駒が動く。
「お前には、彼女がどう見える?」
「さぁね。普通の乙女には見えないよ。腹の中は誰よりも透明だ。純粋な者が、白ならば、彼女は、透明。色すら持たないというわけだね」
かん。また歩兵。
「透明って言ったら、サイコパスを想像しちまうけど?」
「否定はしないね」
歩兵、歩兵、歩兵。かんかんかんと、最初の方こそリズミカルに盤上は変化する。だが、歩兵が互いに、ひとつ、ふたつと奪われることで、互いの手は止まる。
交互に駒を動かす音は、ゆっくり、じっくりと時刻を進める、ステップ秒針のようだ。
「そんなに気になる? 彼女が」
夕陽がアトリエに差す。彼の描いた絵画の一枚一枚が、陽を浴びて、それはそれは美しかった。
「まぁな。一応、肋骨の一部を提供したわけだし」
「面白い発想だよね。骨を介して君の体質――――のようなものを一部貸し与えるというのは。僕でも思いつかないな」
「師匠って、昔からあんな雰囲気なのか?」
俺のイメージとしては、面倒くさがりで、読書好き。煙草をよく吸うヘビースモーカーで、目が腐ってる。怪異に関してはやはりプロフェッショナルだろう。それと同時にヤツらと戦う術も十二分に備えている。
体が半身麻痺していようが、片目失明していようが、あの人が戦う時は一瞬で勝敗が決する。どういうギミックかは知らないけどそういう人だ。
尊敬している。尊敬しているが故、過去というのは気になった。だって師匠、何も語ろうとしないんだから。
「どうだろうね。僕の記憶にあるのは大分過去だ。それこそ五歳の時とかかな、巴さんが成人した頃だっけ。けど、経歴というのは確かにすごい。君が聞いたらまず驚くと思うよ」
「実験がどうとか、そういう話は聞いたよ」
盤上の角行が動く。
なんでも、非人道的な実験だとかで、自分はモルモットだったと、いつだか口にしていた。そして、死に憑かれたとも。
「そっか、なら名前も知っているかな? 新人類計画と言うのだけど」
「新人類計画?」
「そう。まだ西暦が二〇〇〇年に入って間もない頃の話。その計画が、幼かった巴さんを変えてしまった。あの人の本質は、『死』そのものなんだ。そういうモノに変容してしまった」
「俺の、『否定』体質と似ているものか?」
「そうだね。人にはそれぞれ在り方があるでしょ? どんな事をしても大金持ちになりたいとか、法に触れても正義を貫きたいとか。そういうの、突き詰めていけば在り方に通じる。そして、あの人の場合、ひどく『死』に魅入られた。いわく、死の衝動。巴さんはそう言っていたね。在り方が『死』そのもの。誰が聞いても歪んでいると思うでしょ?」
死の衝動。なんとも厨二臭いネーミングである。最初に思い浮かべたのは、人昔前の、コーラ持ちながらダミーナイフを舌で舐めるネットミーム。だが、巴さんがそんなTHE・厨二病だったとも思えない。幽志朗の言うソレは物騒で、恐ろしいモノに感じたし、あの人はきっとホンモノだ。
「つまり、なんだ? 『死』があの人の目標だと?」
「そんな解釈でいいと思うよ。本質というのをいろんな人に当てはめてみようか。岩座守くんだと――――いや、あの人も複雑だった。ごめん、僕で例えよう。東条幽志朗の場合、『創造』が在り方だよ。分かりやすいでしょう?」
そう言われて、アトリエを見回す。いくつものキャンバスがずらりと並び、それは同時並行して加筆されている。全部が未完成で、何度も創造を繰り返している。二階へ上がる度、絵は色を変えて、姿も変えて、来客を歓迎する。その光景は美しくもあり、どこか儚くもあった。
彼の場合、それをやめられない。何度も何度も作り替え、新たな作品を生み出してゆく。幽志朗自身に当てはめたこの話は、本質というあやふやなモノを説明する上でこの上なく理解しやすかった。
「なるほど。要は性格を細分化したようなもんか」
「そうだね。君の場合はそれが『否定』ということだ。うん、でも見当がつかないな。他人の意見を無性に否定したいときとかない?」
桂馬がズレる。
「あるかそんなもん」
爽やかに笑うな。俺はそんな、若者の意見に聞く耳を持たない会社の重役とかじゃねーよ。
「本質って呼ばれる概念は、ある学者が生み出して、魔術師が利用したものなんだけど、数値化されたりしないじゃない? 結局は性格なんだから。曖昧な点が多いのも事実。あんまりアテにしない方がいいかな。巴さんが特例なだけだよ。あの人はそういうモノに特化した人間にならざるを得なかったから」
「今もあるのかな。その、死の衝動?」
「自制しているつもりみたいだけど、たまに尋常じゃない殺気とか、感じない?」
「え? 感じた事ないよ?」
「それが答えだよ、七楽くん。彼は気づかれないように平然としているが、時折『あ、今なら殺せそうだ』とか、『どうやって殺そうか』って、日常の中でも考えている。はっきり言えば異常者だ。どうして連続殺人事件が起きないか、不思議で仕方ないよ」
なんですかそれ。カマキリ男の件が終わった後に言い放ったあの一言が急に重たくなるんですけど。もしかしてあの時もそんな事考えてた?
完全に駒を動かす手が止まったよ。
「あの人の過去はそれなりに面白いよ。いや、笑い話にできないくらい重たいけれど。そっか、彼の奥さんの存在が大きいんじゃないかな?」
「蒼さんだっけ?」
幽志朗はうんと頷く。
螺旋蒼。巴さんの奥さん。高校時代からの知り合いだとは聞いているけど、詳しくは知らない。面識はあるけれど、長話をする仲でもない。ただ、あの人が巴さんの「死」の衝動の歯止めになっているのなら、それはそれでなんか腑に落ちた。
「どうだい? それでも気になる? 巴さんの過去」
「いい。本人から聞くよ、そういうのは」
ちょっと悪寒がしたよ。いくら味方とはいえさ。
「それじゃあ花鳥くんの話をしよう。聞きたい事はない? 君が知っていることならなんでも知っているよ」
「―――アイツが無色透明だと言ったな。それを詳しく」
「いいよ。君が一番疑問なのはこれじゃないかな? 何故無色透明な心の持ち主が、天河七楽に執着しているのか――――」
俺はその言葉に頷いて、飛車を動かす。
「簡単だよ。あれは代償行為。君に好意を持つことで、自分の本質に気づかないフリをしている。気づくきっかけでもあった、夢魔としての覚醒から目を背けてね」
「それはあまりにも――――」
決して良いこととは言えない。むしろ良くないことかもしれない。花鳥琥珀は俺に惚れているのではなく、俺を制御盤として利用している。他人に心の制御を任せるなど、人格を形成する上では問題だ。たとえそれがどんな些細な事であったとしても。
いつかは、決定的になる日が来る。花鳥琥珀が背けていた、その在り方を認め、新生する日が。決して彼女は、俺の人生に現われたヒロインではないのだから。それを、改めて意識するに至った。
「答えには導いた。そこからは君が考えるべきだね」
「いや、もう少し教えてくれよ助言というかさ」
でも、彼は優しく微笑むだけ。
「最初から最後まで知っている物語なんて、面白くないでしょ?」
話はここで終わり。とでも言うように、盤面は幽志朗が支配する。そこから王手に至るまで、五手とかからなかった。
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