第6話 鋭く光る、真っ白な部屋で。

「――――ッ! はぁ、はぁ」


 自分の心臓がやけに痛烈に神経を刺激した。目が覚めたきっかけはそんなもので、二秒後には気絶前の記憶をたぐり寄せる。


「うッ!」


 吐き気を催した俺に、すぐさまビニール袋が手渡された。誰だか知らんが、今はそんなことどうでもいい。

 もうほとんど空っぽの胃から、水分だけを吐き出した。


「その様子だとすぐに死ぬことはないようだ。呪いをはねのけるとは」


 袋を渡してくれた男は、すぐ隣で俺を笑った。


「こ、ここは?」


 集中治療室? みたいに部屋は無機質で機械的だ。だが、看護師の姿はないし、患者を常に監視するための窓もない。

 陽の光が差し込む余裕すらない白い部屋。照明の光がぎらぎらと自分を照らしている。

 目覚めたばかりの俺に、冷色の光はひどく眩しくて、俺を攻撃しているのではないか。そんな錯覚にすら陥った。

 部屋の真ん中を陣取った鉄製の白ベッド。俺はそこに寝かされていて、隣には男がいた。

 古くさい木製の杖を側に置いた、ワイシャツ姿の男。一件ただのサラリーマンのようにも見えたが、俺にはもっと危険な存在に見える。ソレと関わるなと、全身の毛が逆立った。

 左目を隠すように、片側だけよく伸びた髪。だというのに、猛禽類のよう眼光は鋭い。顔こそ笑っているが、瞳は獲物を捕えた狩人のソレだ。


「鋼戸大学病院――――その地下、隠匿された地下三階にある治療室だ」


「隠匿、された? そう、か」


「おや。驚かないか? 普通ここに来た者は、目覚めた瞬間にパニックになるものだが」


 俄然興味が湧いた。と、男は笑う。

 それなら既に一度、嘔吐しましたけど? パニックですよ?


「いや。ただ、あんなモノを見た後なら、そういうのもアリだろうって」


 男はじっとこちらを見つめている。何か、試しているみたいに。


「ビッグスクーターから吹っ飛んで、骨折がないとは恐れ入ったよ。まさか頭部の打撲と打ち身だけで済むとは。オマエはT字路に時速八十キロで突っ込んだ。そこから減速したとはいえ、ノーヘルだったんだ。奇蹟と言っていい」


 男は剃り忘れたあご髭をさする。

 けれど、そんな挙動に違和感があった。右腕はぶらぶらと主人の意に応えて稼働しているが、左は全くと言っていいほど動いていないからだ。まるで、半身が死んでいるみたいに。


「しかし、魔術はおろか、薬剤すら効果が薄いとはな。君、天河七楽は拒絶に特化した人間。即ち、それが君の本質か?」


「はい?」


「ならく、ナラク、七楽………名による人間性の縛りは魔術的にも重要だ。お前の場合――――由来は『七楽の教え』か。楽をしようとすると結果が出ない? いや違うな。お前は楽しても結果が出る才能だから七楽なのだろう」


「あの、なんですか急に」


 自己の考察に満足したように、男は微笑む。

 こっちはなんのこっちゃわかんねーよ。


「君が助かった理由だよ。勿論、バイク事故ではなく、あの怪物から逃げ切った理由」


 男はあの不気味な人形の化け物を知っていた。そして今、俺が逃げ延びた理由にも、おそらく到達したのだ。

 まだ、俺にはサッパリ分からないけれど。


「ネック・クラッシャー。アンタはそう呼ばれる妖怪を知っているか?」


 眼球に焼き付いた、血にまみれた残像を視つめながら俺は怪しげな男に問うた。


「妖怪? あぁ、怪異の事か。君の見た化け物。アレを我々の業界では怪異と呼んでいる」


「怪異?」


「そうだ。妖怪、精霊、幽霊、神話の神々まで、伝承として伝わる超常現象を扱う怪物はみな怪異だ。君、試しに知っているものを言って見ろ」


「吸血鬼、とかですかね」


 男の口角が少しだけ上がる。


「有名どころだな。あぁ、吸血鬼も確かに実在する。アレは物語上の怪物じゃない。本当にあった話なんだよ」


「じゃあ、ネック・クラッシャーも」


「実在する。あれは怪異だ――――ところで、そのか?」


 首を横に振る。男は少し不思議そうに左肩に手を添えた。


「それで、アンタは一体何者だ? 怪異とやら。事情は詳しそうだ。どうして今、こうなっているのか、説明してほしい」


 ベッド付近の机にあった、スマホへと手を伸ばす。液晶の方を見ると、バキバキに割れていたこれでは起動すらできない。電源ボタンはゆるゆるになって、ボタンとして機能していない。外部との連絡手段は一切ない、な。


「申し遅れたね。俺は螺旋巴。行政機関から君の処遇を一任された――――怪異の専門家。魔術師と呼ばれている者だ。それで、現状説明か? 見ての通り、怪異に追われて唯一生存した、君の聴取だよ」


 ご丁寧に名刺を渡してくれた。

 「株式会社 東条造形事務所 代表取締役 螺旋巴」名刺にはそう書いてあった。


「一応、表向きにはデザイン会社をやっている。俺はほとんどそんなことしないけど」


 名刺の情報に目を通しつつも、俺はネック・クラッシャーと彼の説明に頭を巡らせていた。何か違和感があったからだ。説明と合致しない、供述があったような気が。


「――――目撃者は俺だけ? それはおかしい!」


 俺はネック・クラッシャーの話を伊達から聞いた。それってつまり、目撃者がいるってことだ。巴さんの話は既におかしい。


「何もおかしくない。あの怪異は目撃者をもれなく全員殺す夜行性の怪異、そして人為的に生じた怪異」


「人為的? どういう、ことだ?」


「あの殺人は、何者かの悪意の元行われている。つまり、犯人は人間。そいつは自分の手を汚さず怪異に人を殺させているのだよ。例えるなら、遠隔ドローンによる爆撃などと同じ手口だな」


「嘘、だろ」


 じゃあ、これは立派な殺人事件。怪異が殺人を行い、それに命令する人間がいる。あんな、惨劇を人が望んで作ったのか?


「事実だ。昼間は全く活動しないが、アレは夜間、牙を剥く。そういう殺人マシーン」


「目撃者が俺だけだと何故言えるんです?」


「ガイシャの数は警察により隠蔽されている情報だ。漏れ出す可能性は極めて低い」


 だとしても、警察が気づく前に遺体を発見する者がいる。いわゆる第一発見者だ。


「――――遺体の目撃者が周囲に流布する可能性は?」


「事態が事態。怪異が絡む事件だ。俺が目撃者の記憶を操作して、消している。遺体を目撃すれば誰だって即通報するだろう? なら、通報者の記憶も、関わった人間の記憶も、迅速に消去するまで」


 それなら確かに、事件を知る人間はいなくなる。巴さんが記憶消去の手段を持っていて、それにミスがないか、もしくは記憶を消去される対象に捕捉されなければ、情報を知る術はない。

 噂を口にした伊達はおそらく後者だろう。

 伊達の言った、被害者は三人。彼がどういった手段で情報を得たのか、その情報に整合性があるのか、確かめる手段がある。それは至って単純で。


「――――被害者は一体何人なんです?」


 事件の情報を掌握している人に訊けばいい。

 そして、伊達の情報と、巴さんの証言が合致したとき――――目撃者のいない事件の詳細を知っている男とはつまり――――いや、変な想像はよそう。


「昨日、つまり君が遭遇した一件を含めて十五人だ」


 巴さんはそう言った。

 思わず声を漏らす。


「うーん」


 何故伊達は三人なんて言った? 数日前の情報で、こうして今も更新されているから?

 だとしても、どうして三人だと思った? 情報はこうして彼が管理している。世間に流通することはない。十五人も死ねば、報道は大々的になる。しかし、少なくとも俺が怪異と邂逅する前に、そんなニュースはなかった。つまりこの人は、なんであれ隠蔽する手段を持っていることは間違いない。

 なら、尚更変だ。

 どうして伊達は三人だと知っていた? 何故そう発言した? 情報はどこで仕入れた?

 ここ最近の伊達の行動が、何か違和感を生じさせる。

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