第4話 ネック・クラッシャー

 伊達の戯れ言に付き合う必要はない。仕事をしているうちに、根も葉もない噂話はすぐに頭の中から消え去った。

 事に進展があったのはそれから三日後のこと。


 十回目のスヌーズでも目が覚めず、起床したのは二十二時三十分。巻坂からの鬼のような電話で目を覚ました俺は慌てて支度した。


「遅刻しちまった、まず――――」


 トイレで嘔吐。起床してすぐにバタバタと動くのを、体は許してくれない。だが、こうしている間にも夕勤の残業時間は増えていく。だるい体をなんとか職場へと突き動かして、出勤している最中に、俺は遭遇してしまうこととなる。


 その日は、気分の悪さと遅刻の失敗から機嫌が悪かった。頭はどーんと重いし、思考も中々巡らない。今日は仕事で失敗しそうだなぁと思いながらも、自転車を必死に漕いでいた。


 普段と違う行動に出たのはそんな些細な理由。

 職場までのショートカットにと、本来ならば自転車の通行が禁じられている公園を、俺は通り抜けようとした。


 鋼戸展望公園。


 俺の住む街は、崖みたいな急斜面が多い。海沿いには鉄道と国道があり、逆に言えば道路しかない。海から百メートルもせず、勾配が上がるから、その上に建物は建つ。


 その性質故、国道から住宅街へ上がる道は全くと言っていいほど存在しない。逆も然り。目の前に海があるのに、勾配の下は鉄道が通る。だから海岸へは別ルートで迂回していく必要があった。距離的には近いのに、到達するにはあまりにも時間を要する。


 そんな住民の不満を受けて誕生したのが鋼戸展望公園。

 比較的斜面の緩やかな場所に作られたこの公園は、そのまま崖下へと繋がり、線路の上に巨大な歩道橋を作ることで海へアクセスできる。近隣住民からは好評だ。公園自体が坂の一部で、海岸もそこまで広くはないから、遊具の設置や子供の遊び場なんてものはほとんどないけれど、海風に当たり、高所から海を眺めることはできる。


 そして何より、数年前に完全復活したのライトアップと夜景を楽しめた。


 兵庫県南東部のここ鋼戸市は、赤石海峡という海を挟んだ先に沫路島があり、その間に赤石大橋が架かる。数十年前、とある大規模な爆破テロで橋は一度倒壊したが、ある財閥が出資者となり、復興プロジェクトを始動。十数年かけて橋を新規のものへと作り替えた。おかげで今は財閥様々であり、ド田舎だった沫路島は財閥の子会社が土地のほとんどを占有。海産物と枇杷びわ玉葱たまねぎくらいが名物だったが、金持ちの別荘に、アミューズメントパーク、子供が丸一日遊べる超巨大公園に観覧車、オシャレでレトロな夜間遊覧船などなど、新たな観光名所を作り上げ、集客に成功している。


 で、それらを一望できる立派な展望公園だが、このように。

 ルールを破ればショートカットとして最高の時間短縮になる。大きな公園を迂回する必要がなくなるから、大体五分は短縮できる。

 公園から海までの道に建物が存在しない。海風がそのまま届く風通しの良い場所だ。真冬の今頃では寒くて仕方ないが、鈍った頭を醒ますには丁度良い。

 二十二時半ともなれば人気はない。ランニングをしている男性一人とすれ違ったくらいだ。


 普段は騒がしいこの場所も、夜になれば静まり返る。まるで貸し切りのように。

 人がいないから、自転車の妨げになるものはない。夜間の自転車通行は暗黙の了解で許されていた。


「よし」


 風に当たってリフレッシュもできた。もうすぐ公園の出口。そこを通ればコンビニは目と鼻の先だ。

 そう思った時。

 嫌な事件は始まった。


「――――――!」


 声にならない悲鳴が響く。音は公園の入り口付近からした。日中であれば無視したかもしれないが、いまは夜間。急病で倒れたという可能性もあったから、俺は方向を変えて急ぎ入り口へと逆走した。

 遅刻の二文字が脳裏に浮かんだが、今日のシフトはまたまた伊達。あいつのことだ、今日も喜んで無料の残業に励んでくれていることだろう。

 だが、伊達を想起すると同時に、三日前の話を思い出した。

 ネック・クラッシャー。

 もしかするともしかして、さっきの悲鳴は――――。


「そんなの嘘だっての」


 そう言い聞かせて、自転車を漕いだ。

 全速力でペダルを回す。ものの数十秒で、入り口には到達した。

 なにか、大きなボールみたいなものにぶつかって、自転車が勢いよく横転する。

 その先に人でもいれば、間違いなく大怪我だったろう。

 軽いアルミフレームの自転車は、広葉樹の幹にぶつかると簡単にひしゃげた。

 だが、自転車を失ったショックを遥か上回る惨状を、目の当たりにする。


「ネック・クラッシャーって知りません?」


 現実は。

 その通り、

 非現実的で。

 怪奇的で。

 赤。

 アカ。

 淀んだ液体が。

 死体のようなモノが。

 異様な角度で。

 そこにはあった。

 引っかかったのは、サッカーボールなんかじゃない。

 ずるずると転げ落ちた俺は、ぬめっとした生暖かい液体に触れ、球体になったモノと視線が合う。


「――――うッ!」


 その惨状に、二度目の嘔吐。ただ、今回の方が、激しく消化器官は暴走し、公園の隅で吐き散らした。


「なんだ、これ――――」


 眼球は、目を逸らそうと必死で、その惨状を直視できない。

 暗がりで見えなかった異物。それは皮肉にも、自分の乗っていた自転車のライトによって明るみになる。

 発電式のライトではなく、電池式の高輝度LEDライトを使っていたことをこんなにも後悔する日が来るとは。

 そこにあったのは、爆発でもしたように弾けた、血と、その本体。

 首はぐるりと回転していて、皮膚はバネみたいに捻れている。破損した首から、漏れ出すように鮮血が溢れていて、死体はアクションフィギュアみたいに、恐怖でのけぞったまま硬直している。

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