第2話 思い出したくない、最初の話

【半年前・二月初頭】


 電子音が、スマホから鳴り響く。

 仕事だよ。と、起こしてくれる人などいない。俺は孤独だから。少なからず友人はいる。だが、恋人はいない。両親との縁など、とっくに切った。


 天河家は、四人家族だった。俺と父と母、そして姉。

 姉とは一歳差。年子だった。

 だから、優劣は特に付けやすい。

 成長スピードもほぼほぼ同じだから、比較しやすく、区別しやすい。


 姉は才能の塊みたいなヤツで、俺は幼い頃から病気で不調が続く。

 腹が立つくらい優秀だった。成績は常にトップを維持。中学受験を自ら受け、名門校へ。高校もそのまま、地域で知らない人はいない有名校へと進学した。


 そんな姉の大躍進と反比例するように、俺は体調を崩していった。

 成長期によくある、自律神経の乱れによるものだった。もっとも、その事実を知ったのは思春期が終わってからのこと。心療内科などアテにしない両親は、俺を病院へ連れて行くことなどなかったし、俺も知識がなかったために、行こうとは思わなかった。まず、気力もなかったわけだし。


 両親はいわゆる「毒親」だろう。姉は早々に見限っていったし、文句を言われそうな学費面も、特待生制度や奨学金制度を利用して巧みに回避していった。大学に進学したと同時に上京。姉は雲隠れするように、実家を去った。兵庫県から、大学のある京都府京都市へと移住。以降は単身で生活し、四年間一度も帰省することなく卒業。そのまま王手総合電機メーカーへと就職。バリバリに働きながらも、社内恋愛からスピード結婚したと聞いている。


 両親への挨拶などなければ、俺に連絡をよこす事もなかった。そういう事情を知ったのは、年始のはがきであり、両親はそのことにひどく激怒していた。だが、やり場のない怒りはすぐに俺へと向く。

 高卒でフリーターとして働いていた俺は、それと同時に勘当された。「お前なんて産む気はなかった」とまで言われた。

 まぁ別に、金を貯めれば言われなくても出て行くわ。ってつもりだったんで、痛くも痒くもないが。両親から真っ当な愛を受けていない自覚はあったので、その当時は少々愛に飢えていたかもしれない。


 今となっては昔の話。姉の情報なんてもう知るよしもない。

 幼い頃から姉とも犬猿の仲だった。

 できる姉とできない弟。

 姉はそれで恥をかき、弟を秘匿し、拒絶し、排除すべき対象となった。


「え、あの天河さんの弟?」


 なんて、口角を上げて嘲笑する連中とは何度も出くわした。

 嫌なもので、そういう環境に慣れてしまうのが人間。いや、もしかしたら慣れないまま更に精神を摩耗する人もいたのかもしれないけど、俺は適応してしまった。それが不幸だったのかもしれない。


 死んでしまいたいと思うことなんていつものことだけど、死のうとは思えない。


 リストカットをすれば、少しは発散できるかと思うけど、痛そうでできない。


 薬の過剰摂取とかやれば、気持ちいいかなって思うけど、吐きそうでできない。


 ならいっそ、大麻とかは? 否、できるわけがない。


 酒にも酔えないし、煙草は不味い。


 セックスに溺れることもなく、まずそんな金も、恋人もいなかった。


 自律神経の乱れは投薬治療でも改善されず、生活習慣を見直しても無駄で。医者もお手上げ状態。症状とそぐわぬ、どぎつい薬を処方するけど、ネットの記事にあるような、副作用すら見られない。


 朝はずっと苦手なまま、コンビニの夜勤を繰り返していた。

 現状に不満はない。

 生きているだけまだマシだと思う自分がいたから。

 不幸中の幸いか、趣味があった。没頭できるものがあったから、嫌な事は忘れられた。


 アニメを見ていれば、幸せだ。

 キャタクターが不幸になれば、俺はまだ幸せだと自認できる。

 世界が終われば、まだこの世界の方がマシだと、そう思える。

 屈折しているが、俺は作品に対し、不幸やバッドエンドを求めていた。

 まだ自分は、そうじゃないと言い聞かせるために。


 電子音が鳴り響く。スヌーズはこれで六回目。

 仕方なく、スマホに表示されたボタンに触れて、上体を起こす。


「はぁ」


 誰もいない、真っ暗な部屋。目は暗さに慣れていて、照明なんて必要としない。

 子供の多くが寝静まる時刻、俺は活動を開始する。人を避けるように、できるだけ人を拒絶するように。


 自分の吐息が、よく聞こえる。

 悪夢を見たから、服には汗がびっしょりとへばりついていて、動悸もする。今日は泣いてないだけ、まだマシだ。そう言い聞かせて、洗面所へ向かった。

 

 ◆


「おはよーっす」


「うーっす」


 とっくに陽は落ちて、二時間もすれば時計の針はてっぺんに到達する。

 時刻は二十一時五十五分。

 働いたことのない子供ガキなら、その挨拶に首を傾げることだろう。「夜なのにおはようって、おかしいよ?」とな。慣れというのは恐ろしい。朝の挨拶だったおはようは、仕事の際の便利な呪文へと早変わり。「こんにちは」、「こんばんは」など、二十四時間営業のコンビニには必要とされないものだ。


 すっからかんの店内。客が一人、ジュースを物色しているだけ。品出しをしていた店員が、俺に気づいて共にバックヤードへ入る。


「おはようございます。天河さん」


 改まった挨拶に、軽く応答する。俺はロッカーから制服を取り出すと、私服の上から羽織った。


 彼は伊達だて石和といしかずいうパート仲間。自分と同じく高卒で、ここで働き出したのは俺の方が数年早いが、仕事覚えの要領の良さでは完敗。今では自分より信頼されている。


 二十二歳の好青年で、ほっそりとしているが、体は引き締まっている。数年前は相当の悪ガキで、不正改造したニーハン250ccのバイクに跨がって夜道を暴走していたらしい。今は頭を打ったのかと疑うほど、真面目に働いている。このまま行けばここの正社員として雇われることだろう。


「引き継ぎですが、特に変わったことはないですね。おでんの管理だけ店長から気をつけろと言われています。恵方巻きの件も、例年通りです。このPOPだけ展開お願いします」


 書類で山積みになったデスクから、販促ポスターや手製のPOPを分かりやすいように引っ張りだすと、伊達はニコリと微笑んだ。もうすぐ仕事が終わるもんね、そりゃ嬉しいさ。


「うし、了解した」


 恵方巻きの件というのは、よくあるヤツだ。店舗の売り上げを上げるために、従業員が買わされるヤツ。もちろん強制ではないものの、暗黙の了解で従業員のうち八割は購入している。俺もそこまでケチではないので、毎年協力しております。クリスマスケーキとか、うな重とか、おせちな。今は独身用の少量ケーキや一人用のおせちも増えたから、食べきれない量じゃない。従順に売り上げを伸ばしてやっているのだ、感謝しやがれ店長。


「それより天河さん。例の事件、知ってます?」


「例の事件? なんだそれ」


「ネック・クラッシャーって知りません?」


「変な名前。何? キーボードクラッシャーの親戚?」


「いつの話してるんですか」

 

 誰もそのネタ知りませんよ。と伊達は苦笑する。


「ネッククラッシャーってのは――――」


 概要を語ろうとした時、バックヤードの扉が開いた。彼は驚いたように肩をビクンと動かした。

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