第5話 花鳥琥珀という子供

 予告通り、代償は高くついた。胸元にはその際の傷が残っているし、俺はこうしてベッドの上。

 大学病院にも顔が利く巴さんの一声で、研修生のモルモットにされつつも、健康で何ら問題のない肋骨の一部を、摘出されたのだ。おかげで胸元が痛む。


「しばらくは無理に動かないでください。貴方は痛み止めの効きも悪いのですから」


「そういうことですか――――体質とはいえ嫌なモンだ」


 早々にあてがわれた病室から去ろうとする医師に声をかける。


「巴さん、螺旋巴が今何をしているかってご存知ですか?」


「彼なら今、君の肋骨を加工して呪物を作っている最中、だそうです」


 このお医者様もどこまで話を理解して話をしているのやら、平然と、柔和に微笑まれたけれど、俺の顔は引きつったままだった。

 呪物ときたか。


 ◆


 後日談。

 数日で退院できた俺を待っていたのは、例の少女だった。病院の出口で、思い詰めた顔をして立っている。服装はピンクのカーディガンに短いスカートで、あの時と同じだ。少し不思議な点があるとすれば、乙女らしからぬ、黒光りの数珠を手首に巻いていたことか。彼女の無事を確認できて、思わず大きく息を吐く。

 きょろきょろと周囲を見渡す挙動は、不審ではあったけど、彼女が健康である証明でもあった。

 少なくとも、現実に戻ってきて、廃人だったなんてオチは回避できたから。

 思わず微笑んだ顔を引き締めて、出口の自動ドアへ進む。

 ここは知らないフリをして退散。その方がかっこいい。けど、そうはいかなかった。

 俺を見るなり顔をお日様みたいに明るくして、

「あの! テンカワナナラクさんですよね!」


 存在しない男の名前を告げられた。

 いや全部間違えているよ。と、肩を落とす。


天河あまかわらくです。どうも初めまして――――かな?」


 まず最初に、名前を間違えた事を謝罪すると、少女はすぐに続けた。


「私を救ってくれたのは、貴方だと聞いています! その、お礼がしたくって!」


 このタイミングを逃すまいと必死だ。


「お礼? いや、いいよ。どうせ巴さんから、莫大な額の請求書が届いてるんじゃないですか? それで十分なんです」


「でも――――! でも、でもっ!」


「はいはい、お気持ちだけ頂いておきます。まだ本調子ではないだろうし、お体には気をつけて」


 出てすぐ、迎えに来ていた黒のセダンへと乗り込む。運転手にはさっさと行けと指示を出し、すたこらさっさと病院から離れた。


「ふぅ。まさか俺の骨で数珠作るとは。しかも一日で。流石だわ巴さん」


 俺の体は常人とは違い、少し特殊だ。今回の夢魔事件に俺は童貞にもかかわらず関与しなかったように、降りかかる厄災や呪いを跳ね返す性質があるそうだ。肋骨を摘出したのはそのため。流石に本体みたいにあらゆる呪いを返すことはできないだろう。けど、俺の骨でできた数珠は、それだけで夢魔の自制には役立ったらしい。たったそれだけで花鳥琥珀という少女を殺さずに済んだ。これはとても良いこと。俺も後悔なんかしていない。

 おかげで運転手も復帰できたわけだし。


「周辺住民の男どもまとめて相手したとは思えないくらい元気だったな。あの子――――悪い、お前に悪意はないぞ」


 運転手の岩座守に謝罪する。彼はこくんと小さく頷いた。

 でも、会ってみてそう思ったのは本当。空元気からげんきに対応しているわけでもなく、きっと彼女は平気なのだ。勿論トラウマとして、悪しきモノとして、今後ずっと記憶に残るだろう。

 多くの男に犯された――――なんて忘れられるはずがない。

 それでも、ああやって俺の前に現われて、笑えていたのは屈強すぎる精神性故か、彼女もまた、俺と同じように。本来であればまだ外出することすら困難になるはずなのに。


「しかしさ、岩座守。お前どうして彼女が暴走状態だって、夢の中で気がついたんだ?」


「それはあれッス。ほら、俺のって特殊でしょ?」


「あぁ」


 岩座守も怪異事件に巻き込まれた結果、巴さんの部下として活動している。彼もまた、特異体質保持者なのだ。だから、夢の中だろうと異常に気がつく。今回はそれが原因で昏睡状態に陥ったようだけど。


「やっぱ俺、彼女の前には顔出しづらいッス」


 ちゃんとハンドルを握ってはいるが、魂此処に在らず。といったかんじ。


「もう顔を合わせる機会なんてないんだから、気にする必要ねーよ」


「そうッスかね。なんだかんだ縁は続くもんッスよ」


「なんだ? 岩座守らしくないな。嫌な事でもあったか?」


 彼は被害者でもあり加害者でもあった。巻き込まれたとはいえ、夢の中とはいえ、若い少女を犯した罪悪感に苛まれているのだろう。


「いや、むしろ楽しい思いしてました」


 ぱーっと顔を明るくする岩座守。そんなことはなかった。ちょーっと痛い鞭でお仕置きしても文句ないね!


「――――お前の性癖、巴さんに暴露しようか?」


「ぎゃぁぁぁーーー!それだけは勘弁してくださーいっ!」


 ◆


 なんちゃって。こっちが本当の後日談。

 事務所に来訪する客人は少ない。というか基本ないに等しい。事件は大体、行政組織から降りてくる依頼だし、今回のように巴さんが事件を見つけるケースもある。事務所はただの活動拠点だ。

 が、どういった経緯か、今日は違った。

 来客というには若すぎる、中学生の少女が一人で事務所にやって来た。

 未成年で、結婚もできない年齢。巴さんの読みは当たっていた。

 そう、件の夢魔事件の加害者であり、被害者。花鳥琥珀である。


「――――ということで、一緒に働くことになったアルバイトの花鳥琥珀さんだ」


「「いやどういうこと!」ッスか!」


「私が無理に頼んだんです! だって、費用の返済は私がすべきですよね?」


 巴さんは娘さんの治療費として花鳥琥珀の両親に、二百万円を請求した。催促なしの利息もなし。ただし定期的に入金が確認されなければイカついお兄さんが突撃してくる。(果たしてそれは催促なしと言えますか?)だが、怪異事件の解決料金としては良心的な部類だという。まぁ、時間はかかるが一般人でも返済できる額だ。


 ともかく、怪異や魔術は専門外だったご両親を巧みに誘導し、巴さんは契約を締結した。その証拠品というか、記念品? 解決に導いた数珠は今も大切そうに少女の腕に巻かれている。夢魔としての自制のため、機能している。

 百歩譲って俺はいいけどさ、岩座守のメンタルが潰れそうで、可哀想なんだけど。


 現に今真っ青だし。あれか? 巴さんに自分の性癖を暴露されるのが嫌なのか? 花鳥琥珀に対しての罪悪感ではなく、お前はそっちが嫌なのか? なんつう男だ。


「しかしさ、師匠。怪異事件なんかに学生はお荷物ですよ」


 問いに、少女はぷぅと頬を膨らませる。


「茶ぐらいは淹れられるだろう」


 と、巴さんはもうこき使う気でいる。


「イヤァーーーーー!」


 岩座守が某なにかわのうさぎみたいな悲鳴を上げる。

 座っていたはずのソファを見ると、既に姿はなかった。二階に逃げたのだ。

 思わずため息を零す。


「巴さん、少しは岩座守のメンタルも考えてやってくれ。アイツは被害者で加害者なんだ」


「私は気にしてませんよ? だって、所詮は夢の話じゃないですか」


 とんでもなくポジティブ。俺には絶対できない思考回路だね!


「だそうだが?」


 巴さんはヘッと笑う。

 俺はまた、ため息を零した。


「まぁ、ここの社長は一応アンタだし、好きにしろよ………」


「やったぁ!」


 少女はその場でぴょこんぴょこんと、兎みたく飛び跳ねる。しばらく喜びに浸った後、「早速お茶を淹れてきます!」

 と、敬礼すると、給湯室へと姿を消した。


「けど――――巴さん、どうしてまた」


 成人済みならまだしも、俺と岩座守のように怪異退治の人員として雇われるのはレアケースだ。ここ半年、そういう事件と絡んできたが、この人は怪異と関わることを推奨していない。子供なら尚のこと。

 窓際にあるふかふかのチェアに身を深く預けると、巴さんは何もない天井を眺めた。


「お前のためでもあるかな。肋骨の骨を摘出した――――テンカワ、それがどういう意味か分かっているか?」


 頭を天井に向けたまま、目線を送る巴さんに、俺は首を横に振る。回答を得て、再び瞳は上を向いた。


「重たいんだよ、お前は。バレンタインチョコに血を混ぜるくらいな」


「いや、それはどういう比喩ですか」


「自分が救いたいと思った女くらい、最後まで面倒を見ろということだ。たとえ彼女に思い入れがなくとも、今後また、夢魔の力が暴走する可能性もゼロじゃない。その時はお前が責任を持て」


 巴さんは、もし俺が肋骨の提供をしなかったら、彼女を殺していた。改めて、その事実を考えさせられる。俺が駄々をこねればこねるほど、岩座守の死亡率は上がっていたし、周囲の住民とてその可能性を孕むようになっていた。俺の肋骨の一部を数珠にするだけで事態が解決したのなら、誰も死なずに済んだのだから、安いものだと思っていたけれど。逆に、その選択をしなければ、彼女はもう――――。


 しかし、彼女を生かしたことで、新たなリスクも生じた。万が一の際は、今度は俺が責任を負わねばならない。生かすという判断をした、俺が。巴さんはその責任を持てと言っているのだ。


「テンカワ。これは持論だが、人ひとりが生涯を通して救える人間ってのはせいぜい一人か二人だ。それ以上他人の人生を、背負いきれやしないから。そしてお前は、既に花鳥琥珀を救ってしまった」


「なんですそれ? 人はいくらでも人を助けられると思いますけど。巴さんだって事件を何度も解決したじゃないですか」


「阿呆。そういう救いの話をしているんじゃない」


「じゃあ例えば?」


 ふむ、と巴さんは少し口をとんがらせて一考すると、また説明を始めた。


「お前が救えなかった、首ねじり事件の犯人のように」


「――――あぁ」


「疑問はまだあるか?」


「――――いえ、もう消えました」


 そうか。と巴さんはニヒルに笑う。


「彼女の精神構造は異常だ。あらゆる層の男に突然犯されて、平気な人間などいない。きっと何か、事情があるはずだ」


 と、夢魔を考察する巴さんの眼光はいつも異常に鋭かった。


「そう、ですかね。そう、ですね」


 そういうの、理解できない。と思う男性陣。なら、逆バージョンを考えればいい。ロリからババアまで、純潔なら問答無様で性行為の対象となる。美人だろうが、不細工だろうが平等に相手をする。自分の趣味とか関係なし、相手の性癖を押しつけられて性行為。夢はうっすらとしたものじゃなく、明晰夢だ。肌の感触、熱を持った体、汗――――そういうものまで再現された幻覚ゆめ。想像するだけで悪寒がする。


「お紅茶、できましたー!」


 と、花鳥がトレイ片手に給湯室から戻ってきた。


「よし、よこせ。吟味してやろう」


 巴さんは優しそうに笑って、右手を差し出す。


「そうだな、じゃ、俺も」


 ソファから立ち上げると、花鳥の持つトレイから紅茶を取る。


「「にがい」」


 二人して目を揃えて笑う。

 花鳥琥珀は、またぷくーと膨れ上がった。

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