第2話 悪夢のプロ
サキュバス。
夜な夜な男の夢に現れるという怪異である。ゲームや漫画、アニメには引っ張りだこの、比較的知名度のある超常的存在。
「今時夢魔――――いや、淫魔ですか。岩座守ならそういうのにホイホイついて行きそうではあるけれど」
「淫夢を見るのは気持ちいいんだろう。見たことなんてないから憶測でしかないが、なんせ性欲のはけ口になる。だが、一時的なものだ。生気を吸われれば活力を失うし、心に支障をきたす。本来ならそれだけだが、
「なるほど」
「悪夢のプロとして、お前はどう思う? この時代にそんなモノが成立してるってのは」
「プロってのはちょっと。確かによく見ますけど」
間違いではない。
俺が朝弱い理由の一つが悪夢だからだ。
今日何をしたのか。今日何があったのか。今日何を見たのか。
もしくは、
嫌な思い出は何か。嫌なことがあったのか。嫌なことを忘れてはならぬ。
あるいは、
楽しい思い出は何か。楽しいことがあったのか。楽しいことを忘れてはならぬ。
脳は記録を汲み取って、夢を創造する。そのため、精神的摩耗と肉体の疲弊を無視すれば、夢というのは三種に分かれ、それを見る確率というのはバランスよくブレンドされるはずだろう。
ただの夢と、良い夢。そして悪い夢の三種類だ。
だが、俺は違った。あらゆる夢が悪夢である。まるで吉夢を拒絶しているように、ナイトメア。自律神経の乱れ、起立性障害のおかげだ。ただ、この病気にも勿論コンディションはある。調子が良い日はすっと起床できるように、ほとんどの人が常時悪夢を見るなんてのはレアケースだ。三百六十五日悪夢を見ました、なんて人はそう多くない。
にもかかわらず、俺は毎日悪夢を見る。
これは生まれ持った体質というか特性で、仕方のないこと。巴さんからそう指摘された。
目を覚ませば泣いているなんてよくあること。新海誠監督の映画なら、エモーショナルなことこの上ないが、残念、俺にそんなセンチな心はありません。
ばくんばくんと痛む心臓と、全力疾走したみたいに荒れた呼吸。加えて吐き気と、鏡を見ればくしゃっと腐った顔。
毎朝そんな事が続いている。
「まぁ、そんな怪異がいるのなら、見せてほしいですね。良い夢のひとつくらい」
自嘲気味に笑う。少しばかり同情と肯定はしてくれてもいいでしょう? なんて思ったが、この人はあっさり否定した。
「テンカワは無理だろう」
「テンカワ」というのは、俺の俗称である。もっとも、この名で呼んでいるのは巴さんだけなのだが。なんでも、「拒絶しかしない君に、
「ですよね」
この人の過去も相当のものだった。なんでも、同業者だった家族が、自分をモルモットみたいに扱って、結果、死に取り憑かれたとかなんとか。甘ったるい同情をするくらいなら、現状を突き付けて、認めてやる方が人道的。というのが今の巴さんの思想である。
「――――で、方法はあるんですか? 夢の中に侵入する不届き者を退治する方法は」
「俺を誰だと思っている」
灰皿に安置していた煙草を再びくわえると、巴さんは俺を指さした。
「仕事だテンカワ。お前が行ってこい」
「行くってどこに?」
「そりゃ、夢の中だろ」
◆
サキュバスが致命的なミスをしたとすれば、それは岩座守を取り憑く対象に選んだということ。外部から依頼者が来て、同時複数に発生した謎の悪夢をどうにかしてくれと言われれば、巴さんとて少しは手間がかかっただろう。
だが、岩座守という身内が怪異の手にかかったのなら簡単なこと。そこから接点が生まれたのだから早々に介入を始めればいい。
大規模に悪夢が発生している以上、複数淫魔の犯行か、それとも単体の犯行かも分からない。単身突入するのは危険かもしれないが、俺は怪異だろうなんだろうが「否定」する体質なのでなんら問題はない。
そんな俺も、怪異事件に巻き込まれたというのは、なんだかおかしな話だが、俺の体質にもルールはある。怪異が目の前に出現すること自体を否定したりはできないし、そんな便利なものでもない。物理的に攻撃してくる怪異なら、相性は悪い。以前のカマキリ男に、カマでザクッとされれば死んでいたようにな。
つまり、俺が岩座守の夢に侵入したところで、淫魔をすぐに退散させるとか、消滅させることはできない。できるのはせいぜい、自分の生気を吸い取られぬように防御することくらいか。
世間一般に語られる淫魔の逸話にはこういうものがあるそうだ。寝ている際、隣に牛乳を置いておくと生気を取られずに済む――――と。これって要は、牛乳を精液に見立てるということらしい。卑猥じゃね? 牛乳に例えるなよ昔の人。だが、それでも逸話というのは頼りになるらしく、岩座守の夢へ侵入する際、巴さんから全身に牛乳をぶっかけられた。
「ま、保険は多いに越したことはない」
なんて。おかげで全身臭くって仕方なかったが、彼の魔術によって深い眠りへと誘われた今、気にすることではない。
「で、ここが夢の中ねぇ」
ハッとしたように視界が開けて、意識が浮上する。
一帯は薄暗く、窓なんてものはない。それっぽく、ぼんやりとしたピンクの照明で照らされた小さなフロア。アロマでも焚いているのか、甘ったるい香りとちょっと高めの湿度に、さっそく気分が悪くなる。
「明晰夢にしても、はっきりしすぎだろ、これ」
悪夢の経験はあるが、明晰夢はそれほど経験したことがない。夢だと気づく前に、夢は終わっているし、明晰夢って危険だとも言われているから進んで試さなかった。
でも、過去に一度だけ、その方法とやらを試したことがある。
なんでも、夢の内容を朝起きてすぐノートに記入するのだそうだ。勿論、ネットの情報な上、信憑性もクソもない。そんなものを、高校生の頃試したのだが、結果は最悪だった。夢の中で自由自在に体を動かせるどころか、体は固定されて、夢の内容だけが明晰になった。
まぁ例えばの話――――自分が殺人鬼に四肢をバラされる悪夢があったとする。
痛みとかははっきりしているけれど、夢の主導権は完全に殺人鬼持ちだ。禍々しいチェーンソーの音とか、そういうのはリアルなのに、拘束は解けなくて、バラバラにされる。本来なら起床時にすっかり忘れていたそんな夢も、事実のように記憶の一部に保管される。目覚めても、不快感は続くし、おすすめしない。
はいこれ、俺が実際に見た夢です。試すべきじゃなかったと後悔しております。
それ以来明晰夢とは無縁だったわけだが、まさかこうして体験することになるとはね。
フロアは狭くって、岩座守の姿も確認できた。上からしゃらんと垂れるレース、その装飾に囲まれるように、中央で陣取るデカいベッド。そこでキメ顔で横になっていた。
現在進行形で絶頂中である。
俺は知人のそのあられもない姿に、
「オロロロロロロロ」
夢だというのに胃の中身を吐瀉した。
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