Ⅱ-バッド・ハッピー・ナイトメア

第1話 夢ーDream魔ーDevil

【この章では性描写が多分に含まれます。ご注意ください】


 夢というのは、都合のよいものである。

 脳に記録された情報を整理するため、人は夢を見る。

 将来を覚悟し、それに対応できるように、人は夢を見る。

 時にそれはとっても気持ちのいい理想を見せてくれるし、地獄のような奈楽にも突き落とす。


 突き詰めれば所詮は幻覚であり、ありもしないことをでっち上げた幻想だ。伝説においてこれは、都合よく、「神のお告げだ!」とか言われる。

 俺はそういう話が心底嫌いだ。自分の頭が勝手に作り出した幻覚がお告げであってたまるかよと思う。けれども、人の脳みそは現代の最新科学技術を以てしても未だ不可解な部分が多い。もしかしたらもしかして、夢の一部に神様のお告げが混じっている可能性も未だゼロではない。


 え? そんな情緒的な話、何も面白くないって? やかましい。我々怪異のプロフェッショナルはそういう些細な「もしもif」を突き詰めていくのが仕事みたいなものなのだから、俺がこういう思考回路になるのは当然のことなのだ。こういう事を考えるのは職業病。


 とどのつまり、夢は未解明でよく分からない。だからこそ、あらゆる可能性を内包している。量子力学の観測者効果――――と似たようなものだと思う。

 知りたくても分からない。分からないから仕組みも知らない。

 現代において、夢は未だ怪異の温床というわけだ。

 今回岩座守は見事、そういう怪異のカモにされた。これは、そんなお話。


 ◆ 


「これを見ろ」


 バシッと机に資料を叩きつけると、巴さんは煙草に火をつける。

 今となっては絶滅危惧種の喫煙者だ。紙巻き煙草など体に悪くて仕方ない。いや、電子煙草もきっと同じなんだけど。と、思うのはいけないことだろうか。多分、紙巻き喫煙者のほとんどが消え去ったのは、煙がうっとうしいからであろう。もしくは、ライターで火をつける行為すらも面倒くさくなったか。社会が喫煙所を排除していった結果だし、利便性を追求していった結果、煙草の匂いも、煙も、消え去った。残ったのはただニコチンを摂取する手段という一点のみか。

 そう考えてみれば、少し寂しくもあるな。煙草の臭さというのを、知らない人間だって生まれてくると考えれば、高度経済成長期のヘビースモーカー達はどんな感想を抱くだろう。


 まじまじと見つめていると、「いるか?」と煙草の箱を差し出されたけれど、俺は首を横に振った。生憎、何が美味しいのか俺には分からない。


「ここ最近、心療内科へ来院する患者の中で悪夢を見るという報告が増えた」


 かつて巴さんの娘がやって来た際に貼っていった、「NO SMOKING」のステッカーなど横目に無視し、煙をふかす。いやぁ、ルール破るって気持ちいいね。みたいな顔で笑うな、師匠。


「はぁ、それが、なんだってんです」


 机にあった紙の一枚を拾って、文章を読み取るが内容はごくごく普通の報告書。

 患者が増えましたというデータを、分かりやすくしたものだ。

 怪異の専門家である我々にとって、関係のないものだと思う。


「大いに関係ある。怪異だよこれは」


「どうしてそう思う? これだけじゃ全然証拠じゃない気が――――」


 起立性障害で何度も心療内科を転々としてきた俺にとっちゃ、なんだか不快なものでもあった。は怪異の仕業だよ、と笑いものにされている気がしたから。勿論、自分がそう思い込んでいるだけで、巴さんはいたって真面目だし、病気を馬鹿にするような人じゃない。むしろ苛立っていたのは自分自身に対してか?

 巴さんに対して一瞬でも安直な思考を巡られた自分に嫌気が差したのか。


「単に、数字が跳ね上がったのがおかしいと思うだけだよ。しかも、ほとんどが男だ」


 ほら。と、紙面のグラフを指す。

 確かに数倍にまで増加していた。男女均等に来院するわけではなく、男だけが異様に多い。


「決定的なのは初診の多さ。そのほとんどが、似た内容の悪夢を語る。これは異常だろ?」


 心の病気は治療に時間を要する。それぞれ個人差はあれど、二週間、一ヶ月の人もいれば一年、さらには一生付き合っていく人もいる。春の新シーズンや、季節の変わり目とか、決まった時期に初診が増加する事はよくあることだが、繁忙期はもう終えている。

 初診がどんと増えるにはちょっと違和感を感じる時期だ。(それでも、こうして資料を見せられて説明されなくちゃ疑問にも思わないけれど) 

 いやいや、心の病気といえど種類がある。ひとまとめにするなと言われればその通り。だが、論点はそこじゃない。今は初診の多さが重要なのだ。

 そして、全員が同じ症状を訴える。倦怠感とかならまだしも、夢の内容まで同じなのはできすぎだ。戦後や大災害の後なら、同じトラウマを元に同様の夢を見ることがあるだろうけど、ここ最近、戦争は当然のこと、人が死ぬ災害なんて発生していない。


「ひとつの病院でこの数ですか?」


「そう。鋼戸市中央区のとある病院だけでこの数だ。おかしいだろう?」


「ええ、確かに。放っておけば病院がパンクしますね」


「まだ確証はないが、そこにも証人がいるんでな。来院していない者も数えると、被害は相当だぞ」


 巴さんはソファで昏睡状態の岩座守いさりがみを見つめながら、そう言った。


「まじすか」


「隠していたようだな。内容が内容だし、喋れなかったんだろ」


 彼は悪夢に苦しんでいた。俺たちにその悩みを明かさなかっただけで、持ち前の根性を使い、今まで平然を装っていた。だが、それが限界を迎え、こうなったらしい。今は昏睡状態に近い。何をしても起きない、白雪姫状態だ。

 精神疾患――――失敬、今はその言葉も古いか。心の病気に気づいていながらも、病院を受診しない人なんてざらだ。それは、自分が病気であることを認めたくなかったり、心の病気に対してそもそもの知識がなかったための行動だったりもする。


 残念ながら、とある種の心の病気は、治療を行わなかった場合、治療を受けた人に対し、自殺率が半分以上跳ね上がる。勿論、その数字がどこまで信憑性のあるものか、一介の怪異掃除屋には分からない話ではあるけれど、重大性を示すにはもってこいのデータだろう。


「して、その犯人とは?」


「サキュバス」


 灰皿に、灰が落ちた。

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