第2話 片鎌のカマキリ男

「助けてくだしゃぃ、天河さぁん!」


 言わんこっちゃない。

 何者かの影を追いかけて屋上へと追い詰めた岩座守だったが、どうやら追い詰められたのはこちららしい。

 あわてて屋上のドアを蹴飛ばすと、音楽の発生源が姿を現す。


 岩座守を追い込んでいたのは、異形の怪物。人型をしていたが――――ヒトと呼ぶにはあまりにも異質。


「死ね。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」


 発狂するように、同じ単語を繰り返す獣。

 爆音で鳴り響くスピーカーの音すらかき消して、ヤツは叫ぶ。

 口元は血で滲み、黒目はどこを見定めているのか分からない。吹き出した汗と、皮脂の汚れが体にへばりつき、おまけにシャツはドッロドロ。近づけば異臭がするし、オマケに全身が返り血でコーティングされている。

 暗がりの中で遠目に見れば、汚れているとはいえ、一見ただの小太り中年。ある部分の変形を見過ごせば、人と呼べるだろう。


 左手にはラジカセを持っていて、スピーカーから音楽がガビガビに音割れを起こしながら鳴り響いている。

 騒音問題の元凶ってわけだ。


 それより問題なのは、男の右腕。

 彼を化け物と呼べる所以。

 腕は人間らしさの欠片もない形状へと変化を遂げていた。

 カマキリ。

 男を最初に見て、想起したのはそんなイメージ。

 左腕こそまともだが、右腕は完全に虫のカマだった。内出血と共に、荒れ切った皮膚。右腕は肥大化し、まるで巨大な腫瘍の塊にも見える。だがそれでも、アレは鈍器ではなく刃物だった。腕の形状は、極太のナタをイメージすればいい。柄のないナタが、腕の外側から伸びている。皮膚だったはずの部分が到底ありえないギミックで鋼と化したのだ。


「なるほど。騒音で人を呼び寄せて、鎌でざっくり。その後はカニバリズムってか」


 俺たちがここを訪れたのは真夜中に校内で騒ぐ不届き者を拘束しろとの命令があったから。本来そういうのは行政の仕事だが、事件の処遇はすぐさまポリ公から我々に委託された。

 理由は簡単で、行政でも対処しきれない化け物だったからだ。

 騒音問題と時を同じくして発生した、近隣住民の失踪事件。

 夜間に鳴り響く音楽にブチ切れた周辺住民をおびき寄せ、殺し、跡形もなく食った。殺人鬼ではなく食人鬼。まさしくカマキリ。ヤツらも、交尾中にオスを食ったりするし。同種を食らう怪物として比喩するには相応しいことこの上ない。

 我々の世界ではこういう異端なモノを一括りにと呼ぶ。元人間だろうが関係ない。吸血鬼、人狼、妖精、幽霊、ドラゴン、妖怪、神話の神様までも、ぜーんぶ怪異だ。


「分類は――――精神超越の類い、新人類のなり損ないか。話には聞いていたが、実物は初だ」


 恐怖心ってのは対象を知りえないから生じるものだ。怪物の正体や出自さえ分かってしまえばそれは消え去る。先ほどまで震えていた俺も、今ではすっかり冷静。


 精神超越。それが男を怪異たらしめる理由。別称メンタルアッパーとも。

 人間の五感が研ぎ澄まされ、第六感が覚醒し、肉体にまで変化を及ぼす超常現象。十数年前に一度だけ、この街はそいつと同型の殺人鬼にとんでもない被害を被ったと聞く。だから俺も話には聞いていた。事件の名を、「解体殺人」。俺がまだ生まれてもいない頃の事件だから詳しくは知らんが、事情を察した警察と俺たちの仲介業者が、報酬を前払いで、やけにかさ増ししてきた理由にもようやく合点。

 

「いや、そういうのはいいから助けてくださーい!」


 岩座守は男の振りかざすカマを間一髪で回避し続けている。こういうのは慣れっこ。彼、伊達に鍛えてないからな。なんせ一撃浴びれば死ぬし。

 食らえば、胴体抉られて血の雨くらいは降るだろう。


「悪い。今回はなんもできねーわ」


「うっそーん!」


 俺は体質上、精神的に干渉してくるような怪異に強い特攻を持つ。干渉してきた瞬間に殺せるくらいには、強い能力がある。だが、今回のように物理的に攻撃してくるヤツにはめっぽう弱いのだ。肉弾戦とか絶対無理。というか、武装もなしでどう戦えと? 岩座守は拳銃を用意しているけれど、俺はナイフしか持ってないんだぞ?しかもこういった敵が出てくるのは師匠も想定外だった。お祓いとかしてしまいだと思っていたのに。


「しかしどうにかならんのか、この爆音は!」


 音楽がやかましすぎて頭痛が始まった――――。男の「死ね」っつう、咆哮みたいな罵詈雑言と、電子音楽の二重奏。岩座守の会話はどうにか聞き取れるものの、鼓膜をびんびんと痺れさせるほどに、ここはうるさかった。

 暴食の殺人鬼を前に、俺は呑気に欄干へともたれかかる。

 当然、岩座守を信頼しているからこその行動だ。カマキリ男は彼に夢中なわけだし。


「ファーッック!弾がダメージにならん!」


 悲鳴を上げつつ、胸部、頭部へと確実に弾丸を当てていたが、確かに怯んでもいない。化け物らしく、地面をずんと揺らしながらカマを振り回していた。


「複数人の魂を取り込んだことで、死すら克服したってわけか? にしては苦しそうだな」


「解説はいいですっての!」


 弾切れの銃代わりに都合よくその場に落ちていた建材の鉄パイプを握ると、カマに向けて振りかざす。激しい金属音をたて、カマとパイプは拮抗するかと思いきや、スパーンと、それはそれは奇怪にパイプを両断した。


「いや、いやいや死ぬっての! 七楽さんのアホ! ボケ! ○ンカス!」


「品もクソもない言葉を使うな。それとも、それが遺言か?」 


「んなワケあるかァ!」


 仕方ない。死なれるのはこっちとしても困るからな。陽動くらいはするか。

 からんころんと飛んで来た鉄パイプの片方を男に向かってぶん投げる。


「おいカマキリ男。こっちだぜ!」


「おぁ? 死ね、死ね、死ね、死ね!」


 とっくに心は逝っちまっているらしい。比喩ではなく、マジに言葉を失っている。だがその分感情にピュアだから、ヘイトは簡単に稼げた。

 ただ問題は、どうやってコイツを始末するかだ。岩座守のピンチに、陽動したはいいものの、攻撃するような手段はない。自前のナイフなんてえげつない形をしたカマの前ではおもちゃも同然。肉弾戦には持ち込めない。岩座守のような瞬発力があるわけでもないから、接近されれば即死だろう。岩座守が攻撃に転じるのを待つべきか。


「試して、みるか」


 忘れていた、自分の特性を思い出す。

 それは師である魔術師から語られた体質のようなもの。


『天河七楽は拒絶に特化した人間。即ち、それが君の本質』


 俺には呪い、呪詛はもちろんのこと、治療行為すらあまり効果を発揮しない。それが科学的なものであろうと、非科学的なものであろうとみな等しく、拒絶するのだ。


『名による人間性の縛りは魔術的にも重要だ。君の場合――――由来は『七楽の教え』か。楽をしようとすると結果が出ない? いや違うな。君は楽をしても結果が出る才能だから七楽なのだろう』


 なんて意味の分からないことも呟いていたっけ。

 ともかく、体質を応用すれば、「自己に向けられた憎悪を倍にして相手に返す」なんてことも可能だ。要は解釈の問題。このカマキリ男と決着をつける方法があるとすれば、それはたった一言、激しい負の感情と共に相手を呪い殺せばいい。


「死ね。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」


 迫るカマキリ男。

 深く呼吸をし、意識を集中させる。

 解釈、そうだ、冷静に思い込め。魔術ってのはそうやって成立させるのだから。

 死ね。それほど単純で、強い否定の言葉があるだろうか。いいや、今考えた中じゃ思いつかない。みなが嫌悪し、みなが平然と使う侮辱だ。

 だからこそ、その言葉が持つ重さというのは重くなる。術として使用するきっかけとしては非常に便利な素材だろう。

 だから俺は、その呪いを受けて、俺は一言告げるだけ。


「お前が死ねよ」


 簡単な呪詛返し。「死ね」という侮辱、呪いを盛大なカウンターでお見舞いする。

 しかもこれは、『呪いを受けたと思い込む事で生じた呪い』だ。無理矢理成立させた呪いもどきで、博打だったわけだが――――。

 かちーん。歩みを進めていたカマキリ男は石みたいに歩みを止めると、頭から地面へ倒れ込む。最後に聞こえたのは窒息するように呼吸を止めた、呼吸器系の悲鳴のみ。

 もちろん、生命活動は停止した。


「お、おっそろしい」


 ぼてっとした肉体に、岩座守はそーっと触れる。ちゃんと死んでいるかを確認したようだ。

 反応を見るに、ちゃんと殺せたらしい。 


「助けてやったのにそんなこと言う?」


 ぎゃんぎゃんとやかましく鳴り響くラジカセの電源を落とす。ちょっと、血とかよくわからないもので汚れていたけど、それは我慢しました。


「しっかしカセットテープかよ。平成でもなくて昭和じゃないか」


 デジタルでもなく、アナログでした。

 押込式の四角いボタンを押すと、音楽は止まり、ラジカセの前面からテープが出てくる。今じゃ使い方を知らない人間の方が多い。

 何を思ったか、俺はその磁気テープを引っ張りだして引き裂くと、地面へ投げ捨てた。


「音楽は何も悪くないんだけどな」


 自分も十万以上するDAPデジタルオーディオプレイヤーを買ったり、イヤホンを買ったり、それなりに愛好家ではある。

 ただ、音楽を殺人の道具として利用された事が許せなかったのかもしれない。

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