三五章 戦いの真実
「力の
小首をかしげるアーデルハイドに対し、目覚めしものは力強くうなずいた。それだけで首の筋肉が唸りをあげそうだった。それほどに首が太く、筋肉が発達している。
「目覚めしものに二種あり。理を説いて人を正しき道に誘う知恵の
「
「このような場で立ち話でもないでしょう。
「おお、そうだな。これは失礼した。気がまわらなかった。それでは、
「はい」
目覚めしものは、いまだ大量の蒸気を噴き出しつづける筋肉の塊を動かして
「あ、あの……アーデルハイドさま」
チャップが頬をほのかに赤く染めてアーデルハイドに耳打ちした。
「わたし、なんだかこの島にきてからやたらと男の裸を見せられている気がするんですけど……」
「よく見ておきなさい。本番のときに役に立つわ」
平然とそう言ってのけるアーデルハイドはさすが、婚姻政策によってのし上がったエドウィン家の血統なのだった。
アーデルハイドたち三人は
目覚めしものは相変わらず全裸のままだった。まるでそそり立つ男性器を見せつけるかのように、床の上に直接、座り込んでいる。それも、両方の足裏を天に向けると言う、奇妙な足の組み方で。
アーデルハイドたちは知らないが、その名で呼ばれる座り方である。
アーデルハイドたちには小さいながらも椅子が用意され、その前にそれぞれ小さな卓が用意されている。その卓の上に湯気をたてる茶を満たした湯飲みと茶菓子を載せた皿とが置いてある。
「皆さんの民族は床の上に直接、座る文化をおもちではありませんから」
それはいいとして、問題は目覚めしものが衣服の
「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「むろんだ。おぬしたちは問うためにきたのだし、わしはすべての問いに答えるためにここにいる」
「では……あなたはなぜ、裸なのですか?」
「神に
「神に?」
「神に対しなにひとつ隠すものはない、すなわち、
「あなたは神官なのですか?」
「神官とはちがう。
「
「
「
「人間だ。ただし、悟りを開き、目覚めしものとなった、な。そして……」
「そして?」
「鬼たちの始祖だ」
その言葉に――。
アーデルハイドたちはさすがに衝撃を受けた。そろって驚きの表情を浮かべた。
「鬼の始祖……。それは、どういう意味なのです?」
「最初から説明しよう。長くなるがまずは聞くがよい」
目覚めしものはそう前置きしてから話しはじめた。
「遙かな昔、わしは
「まってくれている?」
「春には草木が芽生え、夏には花が咲き、秋には様々な実りがもたらされ、冬はすべてが休みにつく。そして、また春が来る。この世界には四季の移ろいがあり、
「光の柱?」
「そう。無限と言っていい時間がたったいまでも、あのときのことははっきりと覚えておる。おお、なんと言うことだ。世界はわしをまってくれている。わしを愛し、生かしてくれている。立ちのぼる光の柱に包まれながら、わしはそう感じ入った。わしは世界であり、世界はわしであった。涙があふれるほどの幸福感、いかなる悩みも不安もないまったき幸福。そこにはそれがあった」
「………」
「まさに、あれこそは悟りのときであった。それ以来、わしは根本からかわった。道ばたに落ちている石ころひとつにまでたまらない愛おしさを感じるようになった」
「石ころにまで?」
「不可解、と言った顔だな。そう思うのはわかる。だが、『悟り』とはまさにそういうことなのだ。この世界はすべてがつながりあっており、この世に存在するすべてのものは等しい価値をもつ。そう感じとること。それこそが悟り。この世に悪人も善人もいない。いるものはただ、自分のことしか考えられない子どもと、他者に対して敬意を払うことの出来るおとなだけ。子どもがおとなになるために歩むべき道筋。それが『正しい道』」
「その『正しい道』を力ずくで歩ませるのがあなたの役目だと?」
「そうだ」
目覚めしものは茶を一口飲むと、改めてつづけた。
「さて。わしが鬼の始祖であると言う話だったな。悟りを開いたわしはそれをもって神々の一員として迎えられた。そして、天界にて世界を見守りながら永遠の時を生きることになった。だが、その頃、神々の王たる天帝は悩んでおった」
「悩む? 神の王が?」
「そうだ。人類の
それを見た天帝は決めた。
つまり、人間にかわる世界の管理者を置くと。
そのために人類のなかでただひとり、悟りを開いた存在であるわしをもとに鬼を創った。鬼はわしの精神を受け継ぎ、他の生き物を見下すことはなかった。すべての生命に己と同じ価値を見出した。その
「……たしかに。
「そう。
『
そう言ってな。
それは確かにその通りであった。だが、
「問題?」
「そうだ。
「………」
「なんとも皮肉なことよな。人類は文明を発展させることで世界を滅ぼした。鬼は文明を発展させないために世界を食い尽くした。人と鬼。いったい、どちらを世界の管理者とすればよいのか。天帝は迷った。その迷いがふたつの世界が同時に存在するという結果になってしまった」
「ふたつの世界が同時に存在? どういうことです?」
「言葉通りの意味だ。この世界にはいま『人が繁栄する歴史』と『鬼が繁栄する歴史』とが重なって存在しておる。むろん、ひとつの世界にふたつの歴史が同時に存在することは出来ぬ。人の歴史が争いを深め、滅びの世界を迎えようとすれば鬼の歴史が力を強め、接近してくる。同様に、鬼の歴史が生き物すべてを食い尽くそうとすれば人の歴史が強まり、鬼の歴史に介入する。そうすることで本来、出会うはずのないふたつの歴史が出会い、争うことになる。
おぬしたちは覚えておらぬが、このふたつの歴史の戦いははるかな過去より幾度となく繰り返されておる。だが、一度として決着がつくことはなかった。なぜなら、この戦いの決着は力ではつかぬからだ。
『我が種族こそが世界の管理者としてふさわしい』
そう天帝を納得させた側こそが勝者となり、その歴史が定着する」
「つまり……天帝を納得させることが出来なければ人と鬼の戦いは永遠につづく。そう言うことですか?」
「そうだ」
「天帝を納得させることが出来れば戦いは終わる?」
「そうだ。いままで人も、鬼も、天帝を納得させることは叶わなかった。そのために戦いがつづいてきた。だが、いまになってようやくその決着がつきそうではある」
「決着がつく? どういう意味です?」
「かつてない変化が起きておる。
「天帝の迷いが晴れる……。つまり、鬼の歴史が選ばれる。そういうことですか?」
「そうだ」
目覚めしものは力強くうなずいてからつづけた。
「だが、変化は
「ハリエットをご存じなのですか?」
「むろんだ。わしは人ではあるが神でもある。天界から地上のことを見守っている身なのだからな。ハリエットが自分の文明を生み出し、人類すべてに広がったなら、『世界を滅ぼさない』文明が築かれよう。そのような文明をもった人類であればまさに天帝の理想そのまま。人の歴史こそが選ばれよう」
「つまり、どちらが先に天帝を納得させるかの勝負、と言うことですか?」
「そうだ」
「先に天帝を納得させることが出来なければ負け?」
「そうだ」
「では、もうひとつ。負けた側の歴史はどうなるのです?」
「知れたこと」
目覚めしものは迷いなく言い切った。
「根こそぎ、消滅するのみ」
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