第五話 鬼の国にて

二五章 国王の定休日

 新生レオンハルト仮の王アンドレアには月に一度、定休日がある。

 国王たる身に定休日。

 なんとも奇妙な響きだが、アンドレアは、

 「わたしが王だ。わたしが決める!」

 と、定休日制度をごり押しした。

 実のところ、アンドレアは政務に関してはまったくの素人だったし、向いてもいなかった。細かい書類仕事がつづくと欲求不満が高まり、爆発し、『グワオオオオッー!』とか奇声を発して外に飛び出し、剣の素振りをはじめてしまう性格である。

 本人もそのことは自覚していたので政務などやる気はなかった。すべてにおいて『良きにはからえ』型の無能君主として振る舞い、他人任せの部下任せ、差し出された書類にサインするだけ。それ以外の時間はすべて剣の稽古に当てているというとんでもない王であった。

 実際の政務は『人鞠ひとまり』、『汗かき宰相』などと称される宰相ラッセルが行っており、それで充分に事足りていた。極端な話、アンドレアの王としての仕事はラッセルを宰相に任命した時点で終わっていたと言っていい。

 政務に無関心とは言っても夜な夜な遊び歩くとか、税金を費やして賭け事に興じるとか、愛人をかき集めてみだらな楽しみにふけるとか、そんなことは一切しない。ただひたすらに剣の稽古に打ち込んでいるのだし、鬼部おにべとの戦いとなれば真っ先に戦場に飛び出し、『国民を守る』という王としての最も大切な役目を果たすこともわかっている。そのために臣下たちの方でも、

 「まあ、ご自分のことをご存じだと言うことだ。素人に政務に口出しされても困るし、へたにやる気になって面倒を起こされるよりはこの方がずっといい」

 ――アンドレア陛下は戦場においてだけ『王』でいてくれればいいのだ。

 そう思って鷹揚おうように受けとめていた。

 そういうわけで『国王の定休日』という前代未聞の制度においても、

 「まあ、王宮にいてもいなくても同じか」

 「いや、あの奇声を聞かされずにすむ分、いない方がいい」

 と言う感じで、わりとあっさり通ってしまった。

 そんなわけでアンドレアは月に一度の定休日を満喫まんきつしている。

 その日ばかりはアンドレアも『王』という肩書きも『騎士』という自覚も脱ぎすて、当たり前の女として町中で過ごす……というわけではまったくない。アンドレアが定休日に向かうところ。それはただひとつ。

 『母たちの家』である。

 一〇代から二〇代の若い母親を中心に、共同で子育てするための場所。

 レオンハルトは先王レオナルドの意向いこうによって『女を家庭に閉じ込め、ひとりでも多くの子供を産ませる』という多産政策がとられてきた。そのため、一〇代半ばの若さで母となる娘も多く存在していた。しかも、鬼部おにべ相手の戦いで男たちが次々と戦死していったので、頼れる夫も、父もなく、幼い子供を抱えて自分ひとりで生活を守っていかなくてはならない、と言う寡婦かふたちが大勢いたのだ。

 幼い子供を抱えていては出来る仕事にも限りがある。そもそも、国王の政策によって『子を産む道具』として扱われてきたかのたちには、自ら生計を立てるための技術がない。どこかの店に住み込みで雇われ、皿洗いの仕事にでも就ければましな方。唯一の価値である若さを使い、その身を売ることでしか母子の暮らしを支えられない、という若い母親たちはめずらしくなかった。

 ただでさえ『騎士』として理不尽を憎む心が人一倍強く、しかも、自分自身、幼い子供を抱えて苦労を重ね、我が子を殺す一歩手前まで行ったアンドレアである。そんな女性たちの存在を知って放っておくなどできるはずもなかった。

 そこで、自分自身が救われることとなった場所『おかみさんの小屋』を真似て、『母たちの家』を作った。困窮こんきゅうしている若い母親たちのためにゆっくり眠れるベッドと、質素でも暖かくておいしい食事とを保証する場所として。

 『母たちの家』に集まった母親たちは同じ境遇のもの同士、助けあって子育てに励み、将来の自立に向けて職業訓練に励んでいる。

 「子育てと仕事を同時期にこなそうとするから無理が出る。先に子育てをすませ、それから社会に出ればいい」

 それが『母たちの家』の理念。

 『母たちの家』とは、母親たちが互いに協力して子育てを行う場所であると同時に、若い女性たちが将来、社会に出て活躍するための下地を作るための場所でもある。

 子供が成長し、親の存在よりも自分自身の社会の方が大切になる時期――目安としては一〇歳――を目処めどに、それまでの間は勉強と鍛錬に励み、力を蓄える。そして、子供が成長したそのあとに社会に出て一気にその力を爆発させる。

 その目的を叶えるための場所。

 それが『母たちの家』。

 今日も『母たちの家』では若い女性たちが子育てのかたわら、あるいは将来の闘戦とうせんを望んで稽古に励み、あるいは王宮勤めでの昇進を目指して勉強し、将来に備えている。

 その『母たちの家』に、定休日毎にアンドレアは欠かさずやってくる。

 我が子アートに会うために。

 王子であり、『正式の王』でもあるアートも、公務のために引っ張り出すとき以外は『母たちの家』に預けてある。日頃、王宮で暮らしているわけではない。

 これにはさすがに反対意見も多かった。

 「王家の御子みこともあろうお方を庶民の子と一緒に育てるなど……」

 そう眉をひそめるものは少なくなかった。

 鬼部おにべとの戦いで滅亡寸前にまで追い詰められ、貴族も庶民もなくなっていたはずのレオンハルト。それでも、先祖代々つづいてきた階級意識はやはり、なくなるものではなかったのだ。

 そんな声をアンドレアはしかし、豪快に笑い飛ばした。

 「なにを言っている! 王家の子だからこそ、庶民の暮らしの実体を知らなくてはならないのではないか。そうでなくなぜ、正しいまつりごとなど出来る? そもそも、アートはこの三年間、そうして暮らしてきたのだ。いまさら王宮でメイドにかしずかれて暮らしたりしたらその方がおかしくなる」

 『仮』とは言え王たるアンドレアにそう言われて反対しようもない。認めるしかなかった。

 かくして、アートは『母たちの家』で暮らし、アンドレアは我が子に会うために休みごとにやってくる。この日ばかりはアンドレアも『王』としての堅苦しい雰囲気など脱ぎすて、ひとりの『母』となる。我が子アートはもちろん、他の子供たちの世話もする。『母たちの家』に所属する母親のひとりとして振る舞うのだ。しかし――。

 その日は他の母親たちにしてみれば『恐怖の日』以外のなにものでもなかった。

 母としてのやる気と責任感はあっても、限度と節度と常識のないアンドレアである。『高いたか~い』をやれば腕力にものを言わせて一〇メートルも放りあげるし、チャンバラごっことなれば五歳児相手に本気で木剣を打ち込む。『お散歩』と称して外周一〇キロの競馬場跡に連れて行こうとする……。

 もちろん、そこに行くまでだってかなりの距離がある。アンドレアはまだよちよち歩きの幼児たちを平気で歩かせ、連れて行こうとするのだ。他の母親たちからしてみれば、

 「殺す気か⁉」

 である。

 と言って、仮にも『王』たる身に正面から不満をぶつけるわけにもいかないし……。

 アンドレア自身は『遠慮することはない。『母たちの家』にいる間は、わたしとてひとりの母親に過ぎないのだからな』と、言っているのだが、一般庶民としてみれば『……それならば』というわけにもいかない。

 そもそも、口ではそんなことは言っていてもそこはアンドレア。大貴族の出身であり、根っからの騎士。その階級らしい振る舞い方しか知らない。つまり、無自覚のうちに、庶民から見れば『立場をカサにきていばりまくっている』としか思えないデカい態度をとっているのだ。庶民からしてみれば意見することなどとてもできない。例え、

 「あんたは『母』じゃない、鬼だ!」

 と言うツッコみを全員が胸に抱いていたとしても。

 ただ、その日は母親たちはその『災厄』に見舞われることはなかった。幸運にも定休日に当たるちょうどその日、人類軍総将ジェイに率いられた羅刹らせつたいが到着したのだ。地下通路をつなげるためのポリエバトルの鉱夫たちと、星詠ほしよみの王国おうこくオウランの人形使いたちを引き連れて。

 政務に手出しする気はなくとも、国王としての責任感は売るほどあるアンドレアである。さすがに、このときばかりは定休日を返上し、『本来の王』である御子みこアートとともに出迎えた。

 「おお、ジェイ総将、アステス補佐官、よく来てくれた!」

 「おまたせいたしました、アンドレア陛下。アート殿下ともども、ご壮健そうけんでなにより……」

 ジェイの型どおりの挨拶をアンドレアは豪快に笑い飛ばした。

 「いい、いい、そんな堅苦しい挨拶は無用だ。お互い、騎士の養成所で育った身。『おれ、お前』でいこうじゃないか」

 ガハハハハッ、と、豪快に笑い飛ばすその姿はたしかに『……女じゃないな』と言われても仕方のないものだった。

 ――そんなわけにいくわけないでしょう!

 と言う、アステスの心のツッコミが聞こえないのは幸運というものだったろうか。

 ともかく、ジェイは型どおりに『堅苦しい挨拶』をすませ、引き連れてきた仲間たちを紹介した。

 「ポリエバトルの鉱夫たちと、星詠ほしよみの王国おうこくオウランの人形使いたちです」

 「おお、おぬしたちが地下通路をつなげてくれるのだな。よろしく頼むぞ」

 「むろんですとも。土のなかのことならお任せあれ」

 と、ボド・チャグが一同を代表して請け負った。

 「それと、防衛戦力として弱虫ボッツを扱う一騎当千の面々」

 ジェイの言葉に、まだ若いがやたらと体格のいい男が自信満々の表情で前に進み出た。

 「はじめまして、だな。おれはジャイボス。一騎当千の指揮官兼指導教官として任命された。こっちは相棒のスタム。いわゆる参謀ってやつだ」

 一国の王の前だというのに分厚い胸に拳を当て、ガキ大将口調で言ってのけるジャイボスである。参謀として紹介されたスタムはそれとは対照的にすっかり緊張し、縮こまっている。

 「は、はじめまして……」

 震えながらそう言うのが精一杯である。

 「おう、ジャイボスと言うのか。威勢がいいな。気に入ったぞ」

 「もちろんさ。弱虫ボッツは、おれさまの心の友であるノールとシズーが営む工房で作っているんだ。こいつを使っておれさまの心の友のすごさを教えてやるんだからな」

 「おお、友だち思いなのだな、ますますけっこう。存分に暴れるがいい」

 「そして、こちらが……」

 と、ジャイボスとアンドレアのやり取りに苦笑を禁じ得ない様子で、ジェイがつづけた。

 「東の国シルクスよりやってこられたサアヤ王女と、魔法服飾師のカナエどのです」

 「よろしく!」

 「よ、よろしくお願いします……」

 と、サアヤはいかにもかのらしく快活に、カナエは緊張した様子で挨拶した。

 「サアヤ殿下は格闘戦においては天下無双。また、カナエどのは羅刹らせつたい防衣ぼういを生産してくれている優れた魔法服飾師です。カナエどのの弟子となる魔法服飾師をそろえ、さらなる防衣ぼういの増産に取り組む所存です」

 「うむうむ、それは頼もしい。よろしく頼むぞ、ふたりとも」

 「任せてよ!」

 「……が、がんばります」

 「では、細かいことは宰相のラッセルと相談して行ってくれ。わたしは政務のことはさっぱりだからな。おい、ラッセル!」

 「は、ははははい……」

 国王に呼ばれてラッセルは、相変わらず丸々としたまりのような体をジェイたちの前に現わした。その体からはいつも通りダラダラと大量の汗を流している。

 アステスにサアヤ、カナエまでが一斉に嫌悪の表情を浮かべたのも仕方のない、汗臭い姿ではあった。

 「なんで、毎日まいにちあんなに大量の汗をかいているのに、あんなに丸々とした体型でいられるんだ? 普通なら一日で干からびるだろ」

 「夜な夜な、どこかの湖でも飲み干して、水を溜め込んでいるんじゃないか?」

 などという会話までなされているラッセルである。外見的にはどう見ても『出来る人間』などではない。そのために『実はアンドレア陛下の愛人とか……?』などという陰口をたたかれていたりもするのだが、こう見えて仕事の方は文句のつけようがないほど完全にこなしているのである。

 この日も差し出された書類を見たアステスが、

 「……どうして、この人物からこんな完全な書類が出てくるんだ?」

 と、不満げに呟いたほどだった。

 「人は見かけによらない。ラッセルきょうほどこの言葉の正しさを教えてくれる人物はいないな」

 ジェイがそう言ったのも納得の落差なのだった。

 「とにかく、これでいよいよエンカウンの奪還計画が開始できるわけだな」

 アンドレアが『まちきれない』といった様子で言った。

 「ラッセルきょうが用意してくれた図面のおかげで地下通路の位置関係や土質はすでに把握できております。ものの二ヶ月もありゃあ、エンカウンまでの通路を開通させてご覧に入れまさあ」

 と、ボド・チャグが胸を叩きながら、鉱夫らしい砕けた口調で言った。

 さらに、ジェイがつづいた。

 「その間、羅刹らせつたいは訓練の総仕上げと王都の安全確保を兼ねて、周辺の鬼部おにべたちの掃討そうとう作戦さくせんを行います。これは、鬼部おにべたちに万にひとつも地下通路のことに気付かせないための陽動ようどうでもあります」

 「うむ。そのときはもちろん、このわたしも参戦するぞ。国民を守るのは王たるものの役目だからな」

 「ボクも行くからね! 鬼退治は任せてよ」

 と、サアヤが王女らしからぬ元気いっぱいの口調でつづいた。

 「……サアヤさま、どうかお気をつけて」

 カナエが心配そうに言った。カナエが心配しているのは実のところ『災厄の脳筋格闘王女』の戦い振りに巻き込まれる味方の兵士たちのことだったのだが、脳筋王女はそんなことは気付かず、純粋に自分のことを心配してくれたのだと思った。

 「もう、ボクのことを心配してくれるなんて優しいなあ、カナエは。だいじょうぶだよ。ボクはなにがあっても絶対カナエのもとに帰ってくるからね」

 と、人目もはばからず『ボクの彼女』と公言するカナエに抱きつくサアヤであった。

 ともかく、王都ユキュノクレストに人は集まった。ハリエットが『地道に働く人々が報われる場所を作る』ための制度作りに奔走ほんそうし、アーデルハイドたちが『鬼部おにべを知るために』鬼界きかいとうに乗り込もうとしていまさにそのとき、アンドレアたちは逆襲の第一歩を踏みはじめたのだった。

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