第四話 現実を知る

一九章 皇帝アーデルハイト

 「本当に鬼界きかいとうに行かれるんですか⁉」

 カンナの驚愕きょうがくの叫びが響いた。

 レオンハルト王国王都ユキュノクレストに通じる街道。その上を行く『ジョニー・アップルグランパ』の馬車のなかでのことだった。

 馬車のなかにはアーデルハイドをはじめ、その番犬をもって任じるカンナ、隊商『ジョニー・アップルグランパ』の代表を務めるリーザ。〝うたくじら〟の首領しゅりょうであるエイハブとその筆頭愛人であるエムロウドの五人が乗っていた。

 大陸中を股にかける隊商の馬車とあって常識外れなまでに大きい。八頭に及ぶ大型馬によって引かれ、食糧をぎっしりと詰め込んだ巨大な荷車を引いている。客車も広く、大きく、天井も高い。馬車と言うよりまるでホテルの一室のような豪壮ごうそうさがある。

 アーデルハイド、カンナ、リーザ、エムロウド、この女性四人だけなら余裕のたっぷリある広々とした空間を感じさせたことだろう。しかし――。

 そこにエイハブが加わるとなると話がちがう。かつての熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターや、オグルの烈将れっしょうアルノスに匹敵、あるいはそれすらも上回る巨体のエイハブである。この男ひとりいるだけで広々とした空間も狭く感じられ、圧迫感が押しよせてくる。

 その巨体にふさわしく重量もとんでもなく、さしもの丈夫な座席もかのが座っている部分は深くたわみ、折れてしまうのではないかと思わせるほどだ。

 この三年間でひたいしわも増え、頭髪には白いものが混じりはじめた。おお海原うなばらを行くくじらを思わせるこの男にもはっきりと老いの兆候は忍びよっていた。それでも、分厚い筋肉の鎧はなおたくましく、その辺の新参兵など一〇人そろっても片腕で吹き飛ばされてしまう。

 その横には三年前とかわらず筆頭愛人の立場にいるエムロウドが座っている。下品と紙一重の妖艶ようえんさを漂わせた、酒場で男の相手をしているのが似合う型の女だが、この三年間でふくよかさを増し、どこか母性めいたものを感じさせるようになっていた。

 そして、リーザ。

 隊商『ジョニー・アップルグランパ』の代表を務めるかのはもともと『たおやか』、『きれい』、『美しい』と言った褒め言葉とは縁遠いたくましい農家の娘だったが、この三年間でますます貫禄かんろくを身につけ、『女将おかみ』とでも呼びたくなる印象になっている。

 そのリーザが代表を務める『ジョニー・アップルグランパ』。

 ――戦争になっても腹いっぱい食いたい。

 片田舎の名もない男のその思いから生まれたこの隊商はいまや、大陸全土の流通を制する大陸最大の商会となっていた。各国が鬼部おにべとの戦いのなかで消耗するなか、ひとり、『ジョニー・アップルグランパ』だけはその財を蓄えつづけている。その勢いはとどまるところを知らず、いまや単独ではどの国も太刀打ちできないほどの巨額の富を抱え込んでいると言われる。

 とは言え、リーザは金のために『ジョニー・アップルグランパ』を率いているのではない。その活動理念はただひとつ。

 すべての人に腹いっぱい食べてもらう。

 その一点である。

 そのためにリンゴをはじめ、アンズやイチジク、ナツメヤシなどの果樹類、さらには、クルミやアーモンドと言ったナッツ類の矮性化わいせいか栽培さいばい技術ぎじゅつを開発し、大陸各地に広めてきた。

 それだけではない。

 大陸全土を網の目のように走る街道。その街道沿いすべてにリンゴの木を植える。

 そのことを目的とし、無償むしょうで苗を育て、植えつけを行ってきた。道行く人がいつでも、どこでも、おいしいリンゴに出会い、飢えと渇きをやせるように。

 隊商として稼いだ金の大半はその目的のために費やされてきた。いま、こうして、馬車の通る街道の両脇にも人の背丈よりも低いリンゴの木がズラリと並び、緑の葉を繁らせ、白い花を咲かせている。

 吹きくる風のなかにはリンゴの花の甘酸っぱい匂いが立ちこめ、その匂いに惹かれたミツバチたちが羽音を立てて飛びまわっている。リンゴとはちがう甘い香りが風のなかに混じっているのは、このハチたちを使ってハチミツを採る養蜂ようほうがそこかしこにいるからだ。

 リンゴは品種を選べば初夏から初冬まで長きに渡って収穫出来る。人間だけでは食べきれず、熟れて地面に落ちたリンゴは|山ひつじ《やぎ》やひつじたちの食糧となる。アーデルハイドたちがこうして八頭立ての巨大な馬車で旅を出来るのも、街道沿いのリンゴが馬たちの食糧となるからだ。タダで手に入るこのリンゴを目当てにひつじ飼いたちが街道を行き来し、乳をしぼり、チーズやヨーグルトを作っては旅人相手に振る舞っている。

 そして、これらのリンゴの木は行軍中の兵士たちや、鬼部おにべの襲撃によって故郷を追われた人たちにとっても飢えと渇きをやす貴重な食糧源だった。

 勇者の死より三年。

 人類が必死の防衛戦に耐えられたのも、これらの無数と言っていいリンゴの木があればこそだった。それがなければ人類はとっくに飢えと渇きに襲われ、自滅していただろう。

 リーザと『ジョニー・アップルグランパ』はその名の由来となった人物、たったひとりで黙々とリンゴの栽培に取り組み、ついに矮性化わいせいか栽培さいばい技術ぎじゅつを確立したジョニー・アップルじいさんの願いを叶えたのだ。

 そして、〝うたくじら〟。

 エイハブが首領しゅりょうを務めるこの悪漢あっかん集団しゅうだんは三年前の時点でも大陸最大の軍閥ぐんばつだった。それがいまではさらにふくれあがり、いかなる国の正規軍にも勝る規模を備えるようになっていた。

 それは、ひとえにアーデルハイドの存在によった。

 ――〝うたくじら〟に入って活躍すれば、人類じんるい随一ずいいちの美女を抱ける!

 その噂――それは噂ではなく、完全な事実だった――が大陸中に広まることで加入を希望する男たちが殺到したのだ。そのおかげで〝うたくじら〟は戦力を充実させ、鬼部おにべの襲撃から流通路を守り、大陸全土の流通網を維持することが出来た。もっとも、そのせいで多くの女性が夫や恋人に去られる羽目となり、それがアーデルハイドに敵が多い要因となったのだが。

 アーデルハイド本人はそんなことは気にもとめず、集まった男たちに約束通りの報酬を支払い、報いてきた。その数はこの三年間で数百にも達する。それもあって、〝うたくじら〟は規模だけではなく士気も高く、練度にも優れ、大陸最強の軍団と目されるまでになっていた。

 実際、正面から戦えば人類軍の切り札として編成された羅刹らせつたいさえ後れを取るかも知れない。なにしろ、羅刹らせつたいたい鬼部おにべ用に特化した軍団。人間相手の戦いは想定していないので。

 『ジョニー・アップルグランパ』と〝うたくじら〟。

 そのふたつを両手に握り、統率しているのがアーデルハイド。

 大陸最大の財力と大陸最強格の武力とを有しているわけで『国土なき大陸皇帝』と称されるのも納得の威力をもっているのだった。

 そして、いま、その国土なき皇帝が単身、鬼部おにべの本拠地である鬼界きかいとうに乗り込もうとしている。しかも、短剣ひとつもたない丸腰で。

 「無茶です!」

 アーデルハイドの番犬を自らもって任じるカンナが叫んだ。

 三年前は溌剌はつらつとした印象の愛らしい少女であったが、いまではすっかり成長してひとりの若い女性となっていた。三年前にはなかったリンゴの花のような甘酸っぱい色香も漂わせるようになっている。それでも、自らを『アーデルハイドさまの番犬』と思う心にいささかのかわりもない。

 もともとは、エイハブによって案内兼監視役として付けられたのだが、世界の将来を思うアーデルハイドの姿勢に心打たれ、心からの忠誠を捧げるようになった。その思いは例えば、ジェイに対するアステスの思いに比べてもひけはとらない。

 そのカンナにしてみれば、たったひとりで敵の本拠地に乗り込むなどと言う無謀むぼうな真似は認められるものではなかった。しかし、アーデルハイドはカンナに向かい、静かに言った。

 「これは必要なことなのよ、カンナ。わたしたちは鬼部おにべについて知る必要がある。だから、そのために必要なことをする。それだけのこと」

 「でも……!」

 カンナの叫びにリーザの不安そうな声が重なった。

 「でも、ハイディ……」

 『ハイディ』と、リーザはアーデルハイドのことを愛称で呼ぶ。

 「あんたがいなくなったら『ジョニー・アップルグランパ』はどうなるんだい? あんたが各地の商人をまとめあげ、ここまでにしたんじゃないか。そのあんたがいなくなったら……」

 「『ジョニー・アップルグランパ』はもともとあなたが代表を勤める組織でしょう。だいじょうぶ。各地の商人はあなたのことを知っているし、あなたがいれば、わたし抜きでも立派にやっていけるわ」

 「しかしなあ」

 と、エイハブ。アーデルハイドのことを『度胸がある』と感心すればいいのか、『無謀むぼうすぎる』とあきれればいいのか迷っている、と言った表情だった。

 「さすがに、丸腰で行くってのは無茶すぎると思うぞ。護衛ぐらいは付けたらどうだ?」

 「わたしは鬼部おにべと戦いに行くのではないわ。鬼部おにべを知りに行くのよ。つまり、単なる観光客。観光客が武装したり、護衛を付けていたりしたらおかしいでしょう」

 「しかしだな……」

 「そもそも、敵の本拠地に乗り込むのに少しばかりの護衛を付けていても意味はないわ。逆に危険がますだけ。非武装の方が相手も手を出しにくいでしょう」

 「それは、人間の場合でしょ」と、エムロウド。

 「鬼ども相手にそんな常識は通用しないんじゃない?」

 三年前は『男を食い物にする妖婦ようふ』という印象の強かったエムロウドだが、『客を心配する女将おかみ』といった雰囲気になっているのはやはり、歳をとって丸くなったためだろうか。

 そんな『女将おかみ』にアーデルハイドは答えた。

 「だから、それを知りに行くんでしょう。どのみち、この戦いに敗れればわたしたちは家畜にされる。狩りの獲物とするための子供を無理やり生まされるぐらいなら、一思いに食われた方がよほどマシだわ」

 カンナ、リーザ、エムロウド。その三人がそろってうなずいたのは女性としてはごく自然な心理だったろう。

 「……わかりました」

 カンナもついに言った。しかし、その表情にあるものはあきらめではなく、アーデルハイドにも勝る決意だった。

 「もうおとめはしません。でも、アーデルハイドさまが行かれるなら、あたしも行きます。これだけは譲れません。反対しても無駄ですからね。絶対ぜったいあたしもついていきます」

 カンナのその言葉に、アーデルハイドは――。

 「当たり前でしょう」

 そう答えた。

 「あなたがいなかったら誰がわたしの案内をしてくれるの?」

 そう言われて――。

 カンナは美しく育った顔を思いきり誇らしく輝かせた。

 客車の窓が開いた。御者ぎょしゃが遠慮がちに声をかけてきた。

 「あの……後ろから騎士がひとり、早馬に乗って追いかけてきているのですが」

 「騎士?」

 「はい。たったひとりで。いかがいたしましょう?」

 「早馬に乗った騎士となればアンドレアさまからの伝令かも知れません。馬車をとめてください。迎えましょう」

 アーデルハイドはそう答えた。そのときエイハブが自慢の獲物であるもりを、カンナが愛用の武器である短剣を手にしたのは言うまでもない。

 馬車がとまり、アーデルハイドは降り立った。

 馬を飛ばして迫ってくる騎士が叫んだ。

 「アーデルハイドさま!」

 それはまだ若く、小柄な体格の騎士だった。

 「自分も鬼界きかいとうに連れて行ってください!」

 それはかつてウォルターに従い鬼界きかいとうへと遠征した騎士、チャップだった。

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