一八章 敵を知るために

  「鬼界きかいとうに渡るだと⁉」

 アーデルハイドの言葉に――。

 アンドレアは驚きの声を張りあげ、ハリエットは目を丸くして『人類じんるい随一ずいいち美貌びぼう』を見つめている。そんな旧友ふたりに対し、アーデルハイドは、

 「はい」

 と、短く、静かに、しかし、断固とした決意を込めて答えた。

 「正気か、お前⁉ 敵の本拠地に乗り込もうなんて……」

 「本拠地だから、乗り込む必要があるのでしょう。このまま戦いつづけるにせよ、和睦わぼくするにせよ、相手のことはくわしく知っておく必要があります。そのためには、相手の本拠地に乗り込まなくはならないでしょう」

 「和睦わぼくだって⁉ 鬼部おにべ相手に和睦わぼくなんてできると思ってるのか?」

 アンドレアのはっきりしすぎた性格のせいだろう。その言葉は『いぶかしむ』のを通り越して、相手をバカにしてるとしか思えなかった。失礼と言えば失礼だが、そんなことで怒るアーデルハイドではない。静かに、冷静そのものの声で応じた。

 「試したことなどないでしょう」

 「そ、それはそうだが……」

 アーデルハイドの言葉にアンドレアはきょをつかれた。たしかに、いままで鬼部おにべ相手に交渉を求めたことなど一度もない。なにしろ、鬼部おにべと言えば伝説に語られる怪物たち。幾度となく人類を脅かしてきた宿敵。その認識が強すぎて、いざ実際に鬼部おにべが現れたときには『和睦わぼくも交渉も不可能、叩きつぶす以外にはない怨敵!』と、そう思い込み、最初から交渉事など放棄していた。それでなくても、当時の人類世界の中心だった三きょうだい、レオナルド、ウォルター、ガヴァンは『敵との交渉』などを考えるような型の人物ではなかった。

 敵は倒す。

 叩きつぶして従わせる。

 それしか考えていない人物だった。そして、また、そうできるだけの力をもったきょうだいでもあった。その精神と自負心のおもむくところ、ただひたすらに戦うことだけを選んで一切の交渉は行われなかった。試そうともされなかった。

 ウォルターとガヴァンが敗死してからの三年間は防衛することに精一杯で交渉に持ち込む余裕などなかった。そもそも、『交渉』というものは自分が優位にたったときにするものだ。不利な状況で申し込んだところで結局は足元を見られ、降伏を強要される結果にしかならない。

 だから、いままで鬼部おにべ相手に交渉が行われたことは一度もない。その意味ではアーデルハイドの言葉ももっともだとは言える。しかし――。

 「やはり、あいつら相手に交渉ができるとは思えないが……」

 アンドレアがそう言うのも無理はない。なにしろ、鬼部おにべは人間を食うのだ。人間を純粋に食糧として扱っている。人間のことを少しでも対等の相手として認めるつもりがあるのなら、交渉によって事をすませる気がわずかでもあると言うのなら、そんな扱いはしないだろう。

 アンドレアの疑念ぎねんにアーデルハイドは答えた。

 「だからこそ、鬼部おにべのことを知る必要があるのでしょう。わたしたちは鬼部おにべのことをなにも知りません。なぜ、鬼部おにべとの戦いが幾度となく繰り返されてきたのかも、なぜ、鬼部おにべは人間を襲うのかも」

 「鬼部おにべが人間を襲う理由なんてわかりきってるじゃないか! あいつらはケダモノだ、人間を食うのがその目的なんだ」

 「人間を食べるのなら他の獣でもいいはずでしょう。わざわざ、武器と鎧に身を固め、組織だって抵抗する人間を襲うより、その辺の獣を狩った方がずっと楽で安全なはず。実際、人間を襲うたびに鬼部おにべの側も死者を出しているのです。おかしいとは思いませんか? あなたの言うケダモノなら、それこそそんな危険な狩りはしないでしょう」

 「そ、それはそうだが……」

 「そもそも、鬼部おにべが何者で、どこから来るのか。なぜ、数百年ごとに襲撃が繰り返されるのか。そんな基本的なことすら、わたしたちは知らないのです。戦って、叩きのめすしかないにしても、相手のことを知っておくことは必要でしょう」

 「それはそうですが……」

 と、ハリエット。遠慮がちに言った。

 「それなら、すでにアルノどのが……」

 「アルノどの。『逃げ兎』のことですね」

 と、アーデルハイドは単身、鬼界きかいとうに乗り込んでいる人類唯一の斥候せっこうのことをあだ名で呼んだ。

 「その方のことは聞いています。多くの有用な情報がもたされていることも。ですが、それはあくまでも鬼界きかいとうの地理や植生など、『戦うため』に必要な情報でしょう。わたしが知りたいのは『鬼部おにべそのもの』なのです」

 きっぱりと――。

 そう言い切るアーデルハイドの姿に、ハリエットもアンドレアも言葉を失った。翻意ほんいさせるなど不可能だ。そう悟らずにはいられなかった。

 「……わかった。そこまで決意しているのならとめはしない。相手のことを知るのが大切なのは確かだしな。ならば、すぐに護衛兵の選出を……」

 「護衛はいりません。武器ももっていきません。この身ひとつで鬼界きかいとうに渡ります」

 「敵の本拠地に丸腰で乗り込むつもりか」

 「『敵の本拠地だから』そうするのです。敵の本拠地に渡るのに少しばかりの護衛兵を引き連れていったとして、なにか役に立つと思いますか?」

 「い、いや、それは思わないが……」

 「でしょう? あの熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいですら鬼界きかいとうに乗り込むことで、あっけなく壊滅したのです。中途半端な武装などかえって身の危険を高めるばかり。非武装に徹した方がまだ安全というものです」

 わたしは鬼部おにべと戦いに行くのではなく、鬼部おにべのことを知りに行くのですから。

 アーデルハイドはそう付け加えた。

 「ですが、アーデルハイドさま。あなたがいなくなればせっかく大陸中に張り巡らされた食糧の供給網は……」

 「わたしがいなくても、リーザがいれば供給網は維持できます。むしろ、わたしの存在は諸国連合にとって不安要素でしかないでしょう」

 ハリエットも、アンドレアも、その言葉の意味は充分にわかっていた。

 その美しい肉体を使い、各地の商人や悪漢たちを籠絡ろうらくし、食糧の生産と流通を一手に握り、強力な私兵集団を率いる身であるアーデルハイド。

 国土なき大陸皇帝。

 一部ではそうささやかれるほどの財力と影響力をもつかのである。各国の王にとって頼もしい味方であることはまちがいないが同時に、いつ自分を脅かす敵となるかも知れない潜在的な脅威でもある。加えて、『体を使って』その立場を手に入れたことから多くの反感も買っている。アーデルハイドの存在はそんな感情のもつれを呼び起こし、結束を妨害する結果になりかねない。

 そのことがわかるだけにハリエットも、アンドレアも、それ以上、反対しようがなかった。

 「わかりました」

 ハリエットがついに言った。

 「ですが、約束してください。必ず、無事に帰ってくると。諸国連合がどうの、鬼部おにべとの戦いがどうのという以前にわたしたちは友なのですから」

 「その通りだ。世が世なら今頃、義理の姉妹になっていた仲なのだからな」

 「ええ。わかっています」

 アーデルハイドはきっぱりと言った。

 「必ず、戻ってきます。鬼部おにべたちのことを知り尽くして」

             第三話完

             第四話につづく

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