一二章 勇者はいない。だから、最強だ
当然の反応だった。
もちろん、前線に出た兵士たちは多かれ少なかれ怪我をしている。全員が負傷者。そう言ってもいいありさまだ。それでも、死者はただのひとりも出なかった。いくら圧倒的な勝利であっても戦場でひとりの死者も出ない。これは奇跡と言ってもいい出来事だった。あの
それを思えば死者のひとりも出さずに
それでなくても、いつ何時、襲ってくるかわからない
スミクトルの
その騒ぎのなか、全軍を指揮する立場にある総将ジェイは狂喜する人々の間を縫い、ようやく、ハリエットのもとへとやってきた。
「ハリエット陛下。遅くなりましたことお詫び申しあげます。
「……はい」
ハリエットは万感の思いを込めてジェイの言葉を受けとめた。その大きな目からは大粒の涙がこぼれそうになっている。
「そして、アステス警護団長。我々に防衛戦を任せてくれたこと感謝する」
「はっ……!」
ジェイの謝意に、アステスは堅苦しいほどにしゃちほこばった答えた。
三人の横ではまるで、ひょいひょいと人の頭の上を渡るようにして、身軽に人の群れをくぐり抜けてきた来たサアヤが、愛しの彼女に抱きついている。
「カナエ、勝ったよおっ! ご褒美ちょーだい、ご褒美のチュー!」
「………! そ、それはあとで……じゃなくて! サアヤさま、勝ったのはいいですけど、
「え~、そうかなあ? 気付かなかったよ。まあ、いいじゃん。勝ったんだからさ。ご褒美、ご褒美」
「だから、それはあとで……!」
カナエを巻き込み、ふたりの世界に突入しているサアヤのことは放っておいて、ハリエットはジェイに向き直った。
「見事な勝利でした。ただ勝つだけではなく、死者のひとりも出さないとは。ジェイ総将の日頃の鍛錬と、指揮能力の
「いいえ、陛下。死者を出さなかったことへの賛辞はこのものたちにこそ」
ジェイはそう言って後ろに控える一団を指し示した。一揃いの制服に身を包んだ男女の群れ。白と朱の制服は土にまみれ、血に染まり、赤黒く変色している。
「兵士たちの身命を支える衛生班です。かの
ジェイの言葉に――。
ハリエットは衛生班の一団を見た。みんな、若い。どの顔も血と汗と土にまみれ、汚れきっていたが、使命感と誇り、そして、『自らの役目を果たした』という充実感に輝いている。
ハリエットは優しく微笑むと軽くうなずいた。立ち並ぶ衛生班に声をかけた。
「あなたたちの活躍は防壁の上から見ていました。危険をものともせずに前線に突撃し、負傷者を助けるその姿。あなたたちこそ史上もっとも勇敢な戦士たちです」
ハリエットの言葉は
「あなたのおかげで大切な人の命が失われずにすみました。あなたの勇気と献身に心からの感謝を捧げます。どうか、これからも
ハリエットは衛生兵一人ひとりの手をとって、そう語りかけて感謝を伝えた。諸国連合の盟主自らそんな扱いを受けて、衛生兵たちはより一層その顔を誇らしさに輝かせた。このあたりが剣を振るう戦士以外にはなんの興味も関心もなかったかつてのレオンハルト国王レオナルドや、
人々の賛辞を受ける役はモーゼズたちに任せて――酒が入って
そのまま病院に向かい、負傷した兵士たち一人ひとりと面会し、労をねぎらい、感謝の意を伝えた。兵士たちはその心遣いに感謝し、喜びに顔を輝かせた。しかし、それ以上に嬉しそうだったのがジェイとアステス。ハリエットのこの姿勢こそ、ジェイとアステスが部下を率いる身としてレオナルドやウォルターに求め、決して得られなかったものだった。
一人ひとりに割ける時間はごく短いものとは言え、何万という負傷者が相手ではさすがに時間がかかる。面会を終えたときにはもう真夜中になっていた。さすがに、人々の戦勝気分も一段落し、町中は平穏な空気を取り戻していた。もちろん、防壁の上には『
ハリエットはジェイ、アステスと共に私室に戻った。部屋の半分近くを占めるテーブルにティーポットとティーカップ、それに、少しばかりの茶菓子を用意してささやかなティータイムを楽しんだ。とは言っても、この三人の立場と性格、そして、いまの人類の状況では話の内容は軍事的なものにならざるを得ないのだが。
「それにしても、驚きました」
ハリエットがティーポットを両手で包みながら言った。
「衛生班の人たちのあの手。あれはまるで日々、剣の修行に打ち込む兵士たちのようでした。戦うわけでもない衛生班の人たちがあんなに鍛えているだなんて」
「それは、私も気がつきました」と、アステス。
「皆、体力があり、運動能力も高い。もちろん、軍であるからには衛生班は必須なわけですが、あそこまで鍛えられた衛生班は見たことがありません」
「はい。
「まあ」
「なんと」
ハリエットが感嘆の声をあげ、アステスが驚きのあまり目を丸くした。
「それはとてもすばらしいことです。そんなことを思いつくなんてさすが、ジェイ総将ですね」
「いえ、陛下。これは陛下の方針に従ったことです」
「わたしの?」
「はい。
『人目につかず、地道な働きをするものが報われる国を作る』
その陛下の理念にふれたとき、気付いたのです。国王レオナルドや
兵士たちが戦えるのは兵士たちが食べる食物を作り、その食物を輸送し、武器や鎧を作り、怪我を治療してくれる人々がいるからこそ。だと言うのに私はその点に思い至りませんでした。
ですから、
自分たちのために農家が食糧を生産してくれる。
商人がその食糧を運んできてくれる。
鍛冶師が武器を作ってくれる。
衛生班が負傷した自分を助けてくれる。
その信頼が
「信頼……。素晴らしい言葉です。まさにいま、全人類が一丸となって
「そのとおりです」
その言葉に――。
ハリエットはうっとりとジェイを見つめた。
ジェイはまっすぐにその視線を見つめ返した。
その場にふたりの世界が出来上がり――。
「ごほん、ごほん、ごほん!」
怒りに満ちたアステスの咳払いが連呼した。
ハリエットとジェイは『ハッ!』とした表情になった。ふたりとも
「……かつてのレオンハルト王国はその点で誤りました。自分たちの強さに
ジェイはいったん言葉を切ると、きっぱりと言いきった。
「我々が史上最強です」
「……たしかに」
ハリエットはうなずいた。その横ではアステスも誇りをいっぱいにたたえた顔をジェイに向けている。
「わたしたちは苦難を乗り越え、いま再び戦う力を手に入れた。わたしたちこそ史上最強の人類です。行きましょう、レオンハルトへ。
「はいっ!」
ジェイが、アステスが、ハリエットの言葉に決意を示した。
まさに、いま――。
逆襲の刻。
第二話完
第三話につづく
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