12話  すねた男心  2

「留さん? やっぱり留さんだ~」


 一真が見上げていた空は、一瞬で赤く染まる。


「今度は溺死できし? 水溜まりじゃあ死ねないよ」

 と、背後から優の笑い声が聞こえてきた。


「あれ、留さんも赤いカサを持っている。

 わたしと、おそろいだね」


「あのさ……」


「ねえねえ、渡部さんは元気? 

 そう言えばこの前、劇団と一緒にいたでしょう? 

 友達ができてよかったねぇ~ これから楽しいことが、いっぱいあるよ」


「楽しいこと……」


「とうきびワゴンに夏祭り、いかだに乗って川下り~ 

 北海道満喫まんきつって感じだね」


 優が笑いながら手渡したのは、長寿飴だった。


「いらない」

 と、言った一真の声は、雨の音が消してしまう。


「よく降るね」

 と、言いながら、優がカサをかたむけると、一真はその手を払いのけた。


「何度言えば分かる? こんな飴はいらないんだよ!」



 一真は飴を歩道に投げつけ、優がまわしていたカサを奪い歩道に叩きつける。

 仰向あおむけになったカサを上から踏みつけると、骨はいびつに曲がり、溜まった雨が流れ出していた。


「もう、たくさんだ! いいかげんにしてくれないか……

 何が長寿飴だ。何が渡部さん元気だ。うっとうしい」


「留さん?」

「僕は留さんじゃない。北澤一真だ!」


 一真はカサを蹴りあげ怒鳴った。


「お前はなんだ? 

 勝手にホームレスと間違い、いい気になって餌づけか? 

 あんなお菓子、すぐゴミ箱行きだった」


「そうなんだ……」


「公園に行ったのも、ひまつぶしだ。

 それなのにホテルまで押しかけて、出入り禁止は渡部さんの本音だ。

 お前が来る場所じゃない!」


 一真がうつむくと、前髪から雨がしたたり落ちる。

 髪をかきあげる指は、震えていた。


「僕は、顔立ちの悪い女は好みじゃない。

 飯をたかるつもりだろうが、それも迷惑な話だ」


「もう、分かったから……」


「金をつぎ込むならもっといい女にする。間違っても、お前じゃない! 

 いいか? 僕は友達なんかいらない。二度と声をかけてくるな!」



 雨にまぎれて落ちる涙で、一真は顔を上げられなかった。

 すねた男心に気がついても、途中で口は止まらない。


 『会いたい』の言葉が、手の届く場所に揺れていても、つかむのは、なじみのある冷えた言葉だ。無言で見つめる優に送るたび、体に吹き込む冷気で、心が凍った。



「へ~え、きれいな人が好きなんだ」


 優はカサをひろい、折れた場所を伸ばして形を整える。

 雨に濡れながら一真の顔を眺めた。


「その気持ち、分かりますよ。

 遺伝子を薄くしたいんでしょう?」


「遺伝子……?」


「はい。じつはわたしもそうです。

 本能的に、きれいな顔立ちの人を選びますね。

 まあ、おたがい一重まぶた。生まれて来る子供がふびんでならない。

 そう言う意味でしょう?」


「どう言う意味だよ」


「大丈夫です。二重の女性と縁があれば、母親似のきれいな子供が生まれます。

 気を落とさずにがんばって下さい」


 優は折れたカサを差し、笑いながらくるくるまわす。


 一重まぶたなど、今まで気にしたことはない。増えたコンプレックスで、一真の目はひとまわり大きくなっていた。


「つまり、僕も顔立ちが落ちると言いたいのか?」

「いいえ、『一重に負けず、生きて下さい』と言う、お話です」


「あのな、僕は女に困っていない。

 だから、僕の遺伝子を薄くする必要がない。

 君と一緒にするな!」


「戦いましょう。一重まぶたと」


「はぁ?」


 と言ったきり、次の言葉は整わなかった。

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