13話  春の良き日に 下

 一真が放った冷気は、優を経由けいゆしてとぼけた顔で帰って来た。


 さらに、沈黙のすきに優が語り出した理想男性像は、身長IQ共に百八十以上と聞いて、「はぁ?」も出てこない。


 仕事バリバリの天才だが、人当たりのいいクールな人情派で、吐き気をもよおす。

 クリエイター気質で繊細なワイルドは、意味が分からない。


「気さくで、誰からも愛される人格者」

 と言ったところで、一真は水溜まりの泥を蹴り飛ばした。 



「そんな男が、いるわけがないだろう!」

「世間は、広いですから」

「ずうずうしいと思わないのか?」


「思いません。将来設計のためですから。

 それに、わたしの知り合いに、かなり近い方が二人もいます」


 優は、二本指を立てて笑った。


「その二人が言うには数秒で女性を虜にでき、

 数分で、服をみずから脱ぐそうです。

 一時間もすれば、妊娠しちゃうかもしれないですね」


「寝言は寝て言え、バ~カ!」

「正直、わたしも顔立ちの悪い人は、タイプじゃない」


 優の目は、一真を品定めするような動きだった。


「ん~ 身長は百八十も、ないでしょう?」

「百七十五だ。文句があるのか?」


「ああ~ 本能的に無理ね。

 それに仕事もできない寄生虫じゃ、間違っても好きにならない。

 哺乳類のメスは、優秀な遺伝子を持たないオスに興味がありません」


「殺されたいのか……」


 殺意を感じたのは、久しぶりだった。


 話の着地点がずれ、泣かせるつもりだった優は余裕の顔で微笑んでいる。


 言葉のゲームは先制点を取ったものの、必ず裏で返され同点。九回裏ツーアウト満塁。代打は、『理想男性像』と言う名のれ言だ。さよならヒットで勝負を決められ、マウンドに沈む自分が見えた気がした。



「そうそう、言い忘れていたことが、一つあります」


 ヒーローインタビューが、はじまった。


「わたしの彼も理想に近いの。

 多分、見たことないと思うけど、中華の調理師だよ」


「中華……」


「はい。身長百八十㎝の筋肉質で、大変きれいな二重をしています。

 笑顔を花に例えるならひまわりのようで、誰からも慕われる人格者です」


「中華のひまわり……」


「食用ではありません。

『理想を高く持てば、未来は明るい』と言うお話ですが、

 寄生虫には明るい未来はありませんので、あしからず。

 ご静聴、ありがとうございました」



 優は軽く一礼して交差点を駆けて行く。ふられた匂いは、一真の方からただよい、同時に、『素直さ』の財産は持ち合わせがないことを確信する。公園に取り残され、孤独の仕返しに一真はピクリとも動けなかった。




 数日後、ホテル近くの円山まるやま公園で、ホテルスタッフは意味深な人形を見つけた。


 心臓部に釘が打ちこまれ、布きれには、『北澤一真』の名前がある。その下に、『毛根弱れ、はげろ、つるつる~』と記してあった。


「渡部総支配人、どう処分したらよろしいのですか?」

「取りあえず、一真様には内密にしましょう」


「わら人形なんて、初めて見ました。

 誰の仕業しわざでしょう?」


「気になる人物はおりますが、証拠がありません。

 すぐ、北海道神宮じんぐうで、おはらいをお願いします」


「はい。総支配人!」


 それから一週間、スタッフは合計で五体のわら人形をお祓いした。




        ――――  ◇  ―――― 




 きっと、僕が開けたのはパンドラの箱だった。

 それは、泣かないあの娘の怒りで開く。


 制裁を無視に絞り、公園で僕を見つけると、くるりと背中を向ける。寂しげな顔を見せても、分かるような距離ではなかった。


「ねえ、この爪見てよ~ 春らしいでしょう。上手に塗れるようになったよ」

 かおると腕を組み、公園ではしゃぐあの娘に足を止めた。


 茶色に染まった髪がなびくと、ピアスが見える。かおるは会釈えしゃくをしたが、あの娘は僕を素通りしていく。ふり返るとミニのスカートを揺らし、甘い香りをただよわせていた。


 花は予想を超えて美しく咲き誇っていた。

 目を閉じるとまぶたに映るのは三つ編みの幼い姿だ。

 もう、どこを探しても会うことはできない。


 僕は、『後悔』と言う負の財産を握りしめ、何度もあの娘にふり返る。そして、春のよき日に小娘は、僕の知らない誰かに恋をしていた。 



            次回 第三章 『君の恋』

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