2話 「あたす?」
「何かの、お間違いではありませんか?」
黒いゴムで
スクールコートに斜めがけしたスポーツバックは、ジャラジャラ鈴がついていた。
「いや、いや、いや。
今日の三時に面接って、あたすは聞いたんですけど?」
「あたす?」
「進路指導の先生にあんた聞いてるべさ? 聞いてないのかい?
はんかくさいこと言うんでないよ~」
「あんた」
と呼ばれ、メガネを直す。
標準語と敬語のすきをつく北海道弁は早口で、海外からの客と聞き間違える。
人を見続けて二十年、
「何度もご説明いたしましたが、こちらは『サンプラザ札幌ホテル』では、ございません」
「ラスト一社なの。ここが、最後の
「ですから……」
「ああ、もう~
あんたじゃ、話が見えない」
「オヤジ……」
「支配人を呼んでよ。支配人!」
優が、フロントカウンターを二回叩いた。
「『ホテルサンピアーザ札幌』総支配人、
「げっ……」
「ちなみに、老眼ではなく近眼ですので、お間違えのないように」
渡部は、ブレザーのえりを正し背筋を伸ばす。
カウンターに叩きつけた
「あなたは、ご自分が面接するホテルを、お間違えになったのでしょうか?」
「間違えたのは、関西弁で金歯の運転手」
「金歯?」
渡部は聞き返してから、咳払いをした。
「同情はいたしますが、ほかのお客様にご迷惑です。一度おさがり下さい」
渡部は後方の客に視線を流し、「大変、お待たせいたしました」と笑顔を見せた。
客の列から優が消えると渡部はカウンターの下で合図を送る。慣れた手つきで受け取ったのは、案内係の
「面接の方は、初めてですね?」
「まったく、こんな大事な日に迷惑な話です。
パンフレットを渡して『サンプラザ札幌ホテル』までの、道を教えてあげなさい」
「タクシーがあるといいのですが」
「この雪なら地下鉄の方が早いでしょう。
急げば、まだ間に合います」
山崎がパンフレットを片手に優のあとを追うと、渡部は何ごともなかったようにフロントに立ち、若いスタッフに指示を出す。やがて、渡部の耳に鈴の音が響き、それはフロント正面でピタリと止まった。
「ありがとう。銀縁メガネ」
「――渡部ですが」
「またね。おじさん」
「総支配人ですが?」
「がんこな感じが、いいね~」
親指を立てて笑う顔に、
「あの高校生、間に合うといいですね」
山崎に声をかけられ、渡部は優から視線を外した。
「わたしには、どうでもよいことです」
「面接は、大丈夫でしょうか?」
「無理でしょう。
わたしが面接官なら、
「そうですか……」
「それより、今日は大切なお客様がお見えになります。
失礼のないようにお願いしますよ」
「はい。お部屋の準備は、整っています」
「なかなか、気むずかしい方と聞いています。
このホテルを、気に入っていただけるとよいのですが」
到着は、午後二時と聞いていた。
出迎えを断られている以上、ひたすら待つしかないが、張り詰めた空気をスタッフの誰もが感じている。
無事に飛行機が飛んだと連絡を受けてから、渡部の背筋も伸びたままだ。
話をしたことはないが、十八歳のころに一度だけ顔を見ている。
あれから五年、成長した姿は楽しみでもあり、悲しくもあった。
◇
この日、大通り公園の真上に、おおいかぶさる雪雲は疲れを知らない。
うかつに足を踏み入れた旅人に、
もう少し あと、もう少し――
五感は凍りつき、もうろうとする意識が心地良い。
深い眠りを夢見て一真は闇に落ちていく。しかし、闇の世界で香ってきたのは、なじみのない甘い匂いだった。
「ちょっと、あんた――――!
なまら、はんかくさいんで、ないかい!」
何語――? 聞く間もなく、体が揺れる。
「生きているの? しっかりしなさい!」
頬が右と左に二回往復したが、痛みは感じない。
「ねえ~ 起きてよ~道を聞きたいの。
ここって、八丁目? 『サンプラザ札幌ホテル』って、知っている?」
揺らされるとまぶたは動くが、返事をする前にまた眠りへ落ちていく。
「答えてから死ね――――!」
その声で一真の脈が大きく波打つ。全ての細胞が、「死ね」の言葉にふり返り、舌打ちをした感覚だった。
息苦しさに薄目を開けると、空は赤く染まっている。人影は首をかしげた仕草で、赤いカサを支えていた。
「三時に面接なの。
就職組みで決まってないのは、あたすだけ」
「あたす……?」
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