2話  壺事件 1 坂下文也

「そんなに見つめると、お気持ちがばれますよ」


 一真の視界に渡部がわり込んだ。


「わざと、あの娘を呼んだでしょう?」


「考え過ぎですよ。

 それで、花村様とお話はできましたか?」


「にらむことは、できたよ」

「にらんで、どうするのですか?」

「もっと嫌われるよ」


「中学生じゃあるまいし、仲直りの方法もご存じないとは情けない。

 これが最後のチャンスですよ。一真様もお並び下さい」


 渡部は三脚を持ち、買ったばかりのカメラを一真に向けた。


「どんな記念写真さ?」

「写真があれば、いつでも花村様にお会いできます」


「ああ、『それも、そうだね』って、僕が言うと思うか?」

「いいですから、お急ぎ下さい。みなさんにご迷惑ですよ」


 巨大な壺の前で並ぶ野球部員は、一真待ちだ。


「僕達が嫌い?」

 と、うるんだ文也の目が決定打になる。


 前列の文也の頭を撫ぜ、肩を並べたのはほんの数分で、会話もなくシャッター音が二回鳴ると優は離れて行く。左肩にまとわりつくのは、優の髪から漂った残り香だった。



「お~し、お前ら~ 荷物を持てよ。忘れ物がないようにな~」

「は~い、先生」

「文也、先に行くぞ~ お前はいつもとろいな~」

「は~い、先輩……」


 もたつく文也を残し、野球部員達は歩き出す。

 優も荷物を肩にかけ、あとを追うが五歩目でふり返る。


「今の『カン』って音は、何?」


 優に聞かれても、一真はすぐに返事ができなかった。壺の下に落ちた破片を足で隠して合図を送る。


 先頭から遅れること十三人目、一年B組坂下文也が、バッドを抱きしめ泣いていた。



「フラっとしたの、荷物が重くて……

 ゴンといったの、バットが当たって……」


「まずいな」


 一真は頭をかきながら壺の横に立つ。背丈は一真より高く、朱色しゅいろに金が散りばめられ、中央の睡蓮すいれんの花びらが一つ欠けていた。


「接着剤は、ないの?」


 優に聞かれ、自首はないと確信する。

 壺を囲む三人に渡部が気づくのは時間の問題だった。


「文也、荷物を持って、みんなのところに行くの」

「せんぱ~い」

「泣いちゃだめだよ。誰にも言うんじゃない」

「だって~」

「親が破産する。わたしがなんとかするから」


 二人の会話を聞いたあと、一真はいやな予感に襲われる。それは、金属バットをひろって、はじめた素振りだ。


 あえて渡部から見える立ち位置を選び、優は一心不乱いっしんふらんに風を切っていた。


「粉々にする気か?」

「手をすべらせれば、幕は下りる」

「違う幕が上がるぞ」

「文也は幼なじみなの。いいからあっちに行って」


 きれいに整っていた巻き髪は素振りをするたび乱れ、優の額に汗がにじむ。

 一真は壁に寄りかかり、その様子を眺めていたが、渡部が悲鳴をあげると優からバットを取り上げる。


「一つ貸しだ」


 一真は小声でささやくと、手をすべらせるふりで後ろも見ずに、バットを飛ばす。文也がぶつかり、『ゴン』としか鳴かなかった壺は、陶器とうきの割れる音をひびかせ、バットは床に転がった。


 金属音を聞いたスタッフ順に悲鳴が響き、違う幕が上がる。


 北澤次郎の趣味は骨董こっとうで、洋風なロビーに不似合いと評判は悪いがお気に入りの壺だ。


 名のあるバイヤーを抑え、ホテルオープンの目玉として次郎みずから中国で買いつけたものだ。当然、かすり傷さえつけることは許されない。


 一真が壺を確認すると、睡蓮の花を二分する亀裂きれつが中央に走り、一枚かけただけの睡蓮の花は、粉々になった破片で見えなくなっていた。


「ごめん。僕も素振りがしたくて……」


  一真は何ごともなかったように壁に寄りかかり、優は目を丸くして壁にへばりつく。そして渡部は、壺に向かって手を伸ばしたまま、気を失っていた。




 意識が戻ったのは十分後、スタッフを押しのけ壺にすがりつく。

 ハンカチで拭いてもひびは消えない。破片を握りしめ渡部は泣いていた。 


「社長に、なんとお詫びをすれば……」

「叔父さんには、僕があやまるから」

「そうそう。本人も反省しているし、許してあげたら?」


 優の言葉に、一真はゆっくりとふり返り、『おん知らず』の視線を送る。

 すると、優が腕を組み、『頼んでないから』の視線を返してくる。


 ならばと、咳払いをしてから、『お前が、あやまれ』の目力を送ると、優の表情が、『はぁ?』と心で言った気がした。


 理由は分からないが、おたがい口をきかずとも、アイコンタクトで言い合いができる。肩を落とす渡部の真上で、にらみ合いが続いていた。

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