7話  支笏湖に行けない香り  

 街は、連日真冬日を更新中。「明日の約束をしようね」と花は枯れない。


 やがて、白銀に咲く花は一真の記憶に擦り込まれていく。あれほど強く感じていた偽善の香りは、みたらし団子の甘い匂いにかき消されていった。


「ねえねえ、留さん。春になったら、この公園は花壇ができるんだよ」

「ん……」

「ベンチは一つじゃなくて、桜やライラックの下に並ぶの」

「ん……」


 とても春を想像できる気温ではなかった。

 しかも芝や噴水があると言う五丁目は風よけの障害物がなく、地吹雪が肌に突き刺さる。雪に腰を下ろし、向かい合わせで一時間、優の札幌自慢は止まらない。


「早く春が来ればいいね~」

「……ん」

「ゴミ箱に、餌もあるから安心でしょう?」

「ん?」

「でも、春までには仕事を見つけようね」

「ん……」


 従順になったわけではなく、凍えて口がまわらなかった。


 お菓子をもらい解放されたのは四時を過ぎている。


「今夜は地下で寝るんだよ」

 と言われ、うなずくのが精一杯だった。



 北澤、いつまで続ける気だ―― 

 お前は、何をやっている――


 その夜、一真は洗面台の鏡に映る自分に問う。

 日毎、増えていくお菓子で、プレミアムスイートはまるで駄菓子屋だがしやだ。


 手に負えず、通りすがりのスタッフを見つけてチョコを渡すと、受け取った順に、「意外と、いい人」と、印象が書き換えられる。


 偽善を証明するどころか、支笏湖は最終目的地ではなく、旅の途中でのんびり温泉につかる、観光地に思えてきた。




 そして、公園に通い出して十日、街は一段と凍りついていた。

 この日、一真は買ったばかりのコートに袖を通す。


 雪に埋もれた日、何も感じなかった氷点下の気温は、日を追うごとにたえられなくなった。


 いつも通りタクシーを北側車道に止め、交差点を渡る。すると、ベンチに向かう途中の、「留さ~ん」の声が今日は聞こえない。必ず交差点まで出迎えて来る姿もなかった。


「死にたいのか?」


 カサの下で眠る優を見つけると、一真は軽くベンチを蹴る。顔をのぞくが反応はない。しかたなく三つ編みを引っ張ると、だるそうな顔で目を開けた。


「留さん、今日も生きていたの?」

「お菓子をくれないなら、僕は帰るよ」


 真顔でねだるのも滑稽こっけいな話だが、今日の天気は午後から大荒れと聞いて、お菓子を受け取ったらすぐ帰すつもりでいた。


「寝てどうする。凍死体とうしたいになりたいのか?」

「今日はチョコと……桜餅」


「約束は三時だろう? 

 どうして、いつも一時間前に来る」


「ん……」

「チョコを渡して、さっさと帰りなさい」


 一真はチラチラ降り出した雪に空を見上げる。手に渡った感触にチョコをつかむと柔らかく、いびつに曲がった。


「何これ? 溶けている」


「ずっと握っていたから……ごめんね。

 桜餅、かばんにあるの……」


 笑う顔はいつもより頬が赤く、肩で息をする。スポーツバックのファスナーを開けようとしているが、手が震えてつかめない。


「おい」


 と、声をかけると体が左右に揺れ、ベンチから落ちる手前で一真が頭をかばう。

 腕の中に落ちてきた体は、コートを通しても熱かった。



       ◇



「まったく、人騒ひとさわがせなガキだ」


 一真は優の顔を眺め、一言こぼしてから加湿器のスイッチを入れた。

 最初に部屋をのぞいたとき、キングサイズのベッドに横たわる体は右端だった。


 二度目が左で、三度目は、何かの揺れがあれば頭から落ちる体制で寝ている。しかたなく頭をベッド中央に戻すと、ドアの前で直立不動ちょくりつふどうの渡部総支配人の顔が、険しくなった。


「一真様、そのお嬢様は未成年ですよ!」

「分かっているよ!」

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