7話 社長来札 1
その日、ラウンジで一真が新聞を広げると道内版の記事に目がとまる。それは、たった五行だが『劇団北斗七星』を
追加公演は即完売、宇野脚本の芝居は客を泣かせ、そして笑わせた。
一真は新聞を脇にはさみフロントに向かう。渡部を見つけるとカウンターに新聞を放り投げた。
「渡部さんでしょう?
『留吉』の名前で、劇団に差し入れしたの」
「『北澤』の名前は、おいやだと思いまして」
「『留吉』は、もっと、おいやなの」
一真は新聞を丸めて、カウンターを叩いた。
「おかげで、友達宣言をされたよ」
「それは、お喜ばしい。
友達百人、できるとよろしいですね」
その言葉に一真は再びカウンターを叩く。すると、渡部の手が待ったをかけ、視線は回転扉をにらんだまま動かない。
エントランスには、黒塗りの高級車が横づけされ、足を降した男に一真は息をのんだ。
「叔父さんだ……」
「ご
渡部の声はいつもより高かった。秘書を引き連れロビーを見まわす姿にスタッフは姿勢を正している。
音程がなく一本調子の唄が聞こえると、次郎と秘書は
「今日は仕事が休みだ、ぴょ~ん。
留さんと遊ぼう、ぴょんぴょんぴょ~ん」
秘書の間を、優がスキップで通り抜け、次郎に「じゃま、どいて」と吐き捨てる。さらに、前を通るとき、革靴を踏みつけ、優が「痛い」と口走った。
「そこの娘、ちょっと待ちなさい」
「あたすのこと?」
「痛いのは君ではなく、踏まれたわたしだ」
「ああ~ 大丈夫。気にしてないから」
「わたしが気にしているので、あやまりなさい」
「おじさんしつこいね。そんなオヤジは、当ホテルにはお泊めできません。
な~んちゃって」
次郎の鼻がふくらんだ顔を見て、一真はフロントから駆けつける。優を背中に隠すと、次郎に頭を下げた。
「久しぶり、叔父さん。
また、お腹が出たんじゃないの?」
「一真か……?」
「連絡をくれれば、迎えに行ったのに」
「わたしの足を踏んで『痛い』と言った娘は、ここの社員か?」
「いいえ。ここの社員ではありません」
渡部は、胸を張って答える。
「たとえ面接に来ても、全力で落とします。ご安心下さい」
「では、誰だ?」
の問いに、一真の後ろから優が顔を出した。
「おじさんは、叔父さん? それとも、近所のおじさん?」
「このホテルのオーナだ」
「ああ~」
と笑いながら、優が一真の背中に身を隠す。
「社会人でしょう? あいさつは、だいじだよ」
優の首をつかみ、次郎の正面に立たせると、しかたなさそうな表情で咳払いをした。
「――ごあいさつが遅くなりましたが、わたしは『サンプラザ札幌ホテル』の花村と申します」
「なぜ、『サンプラザ』の社員がここにいる」
「――それは、わがホテルから敵地視察の
優のおどけた右手が、後頭部を二回叩く。
ピンと張りつめた空気はいっこうに、なごまない。次郎は眉間にしわを寄せ、渡部のメガネがくもる。汗を拭く秘書の仕草を見て、一真一人が笑っていた。
◇
「山には、まだ雪が残っているのか」
後ろで手を組み、次郎は
「どうした? スパイが気になるのか」
「いや、そう言うわけじゃないけど……」
一真はコーヒーを口に運ぶが、次郎と目は合わせなかった。
エレベーターホールでふり返ったとき、優の姿はもうなかった。ロビーの空気がなごんだのは、次郎が一真の頭を撫でた仕草だ。いやがる一真の顔を見て秘書達が笑った。
「二人だけにしてくれ」
と言う次郎に、一真みずからプレミアムスイートへ向かう。途中、聞こえたのは渡部の声だった。
「まことに勝手ながら、花村様はしばらくのあいだ、出入り禁止にさせていただきます」
「なんで?」
「お答えできない事情を、ご理解いただきたい。
尚、ここからはトップシークレットです。
スパイのあなたは、お答えできません。以上」
エレベーターに乗り込む前に、一真がロビーをのぞくと、見えたのは優を見送る渡部の背中だけだった。
「一真、聞いているのか?」
次郎の声に一真は顔を上げた。
「もちろん……それで、なんだっけ?」
「お前は、少し太ったと言ったんだ。
札幌の暮らしはどうだ?」
「ここはいいホテルだよ。
スタッフもプライドを持って働いている」
「当然だ。札幌には渡部がいるからな」
一真と向かい合わせに、次郎も腰を下ろした。
「東京に戻る気はないのか?」
「今は帰りたくない。この街じゃ僕は観光客の一人だ。
黒い噂もこの街には届かない。身を隠すには都合がいいよ」
「そうか……まあ、お前の好きにすればいい。
ところで、あのスパイは何だ?」
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