7話  社長来札  1

 その日、ラウンジで一真が新聞を広げると道内版の記事に目がとまる。それは、たった五行だが『劇団北斗七星』をたたえる文字だ。


 追加公演は即完売、宇野脚本の芝居は客を泣かせ、そして笑わせた。


 一真は新聞を脇にはさみフロントに向かう。渡部を見つけるとカウンターに新聞を放り投げた。


「渡部さんでしょう? 

『留吉』の名前で、劇団に差し入れしたの」


「『北澤』の名前は、おいやだと思いまして」

「『留吉』は、もっと、おいやなの」


 一真は新聞を丸めて、カウンターを叩いた。


「おかげで、友達宣言をされたよ」


「それは、お喜ばしい。

 友達百人、できるとよろしいですね」


 その言葉に一真は再びカウンターを叩く。すると、渡部の手が待ったをかけ、視線は回転扉をにらんだまま動かない。


 エントランスには、黒塗りの高級車が横づけされ、足を降した男に一真は息をのんだ。


「叔父さんだ……」

「ご多忙たぼうのため、いらっしゃらないと聞いておりました」


 渡部の声はいつもより高かった。秘書を引き連れロビーを見まわす姿にスタッフは姿勢を正している。


 北澤次郎きたざわじろう、五二歳、『北澤リゾート』の経営者であり、一真の叔父だった。やがて、回転扉がまわりロビーに春の風が吹く。


 音程がなく一本調子の唄が聞こえると、次郎と秘書は一斉いっせいに足を止めた。


「今日は仕事が休みだ、ぴょ~ん。

 留さんと遊ぼう、ぴょんぴょんぴょ~ん」


 秘書の間を、優がスキップで通り抜け、次郎に「じゃま、どいて」と吐き捨てる。さらに、前を通るとき、革靴を踏みつけ、優が「痛い」と口走った。


「そこの娘、ちょっと待ちなさい」

「あたすのこと?」

「痛いのは君ではなく、踏まれたわたしだ」

「ああ~ 大丈夫。気にしてないから」

「わたしが気にしているので、あやまりなさい」


「おじさんしつこいね。そんなオヤジは、当ホテルにはお泊めできません。

 な~んちゃって」


 次郎の鼻がふくらんだ顔を見て、一真はフロントから駆けつける。優を背中に隠すと、次郎に頭を下げた。


「久しぶり、叔父さん。

 また、お腹が出たんじゃないの?」


「一真か……?」


「連絡をくれれば、迎えに行ったのに」

「わたしの足を踏んで『痛い』と言った娘は、ここの社員か?」

「いいえ。ここの社員ではありません」


 渡部は、胸を張って答える。


「たとえ面接に来ても、全力で落とします。ご安心下さい」

「では、誰だ?」

 の問いに、一真の後ろから優が顔を出した。


「おじさんは、叔父さん? それとも、近所のおじさん?」

「このホテルのオーナだ」


「ああ~」

 と笑いながら、優が一真の背中に身を隠す。


「社会人でしょう? あいさつは、だいじだよ」

 優の首をつかみ、次郎の正面に立たせると、しかたなさそうな表情で咳払いをした。


「――ごあいさつが遅くなりましたが、わたしは『サンプラザ札幌ホテル』の花村と申します」


「なぜ、『サンプラザ』の社員がここにいる」


「――それは、わがホテルから敵地視察のにんを受け、現在スパイ活動中……なんちゃって」


 優のおどけた右手が、後頭部を二回叩く。


 ピンと張りつめた空気はいっこうに、なごまない。次郎は眉間にしわを寄せ、渡部のメガネがくもる。汗を拭く秘書の仕草を見て、一真一人が笑っていた。



            ◇



「山には、まだ雪が残っているのか」


 後ろで手を組み、次郎は藻岩山もいわやまを眺める。ホテル最上階の景色を確かめ終わると、返事をしない一真に視線をまわした。


「どうした? スパイが気になるのか」

「いや、そう言うわけじゃないけど……」


 一真はコーヒーを口に運ぶが、次郎と目は合わせなかった。


 エレベーターホールでふり返ったとき、優の姿はもうなかった。ロビーの空気がなごんだのは、次郎が一真の頭を撫でた仕草だ。いやがる一真の顔を見て秘書達が笑った。


「二人だけにしてくれ」

 と言う次郎に、一真みずからプレミアムスイートへ向かう。途中、聞こえたのは渡部の声だった。


「まことに勝手ながら、花村様はしばらくのあいだ、出入り禁止にさせていただきます」


「なんで?」


「お答えできない事情を、ご理解いただきたい。

 尚、ここからはトップシークレットです。

 スパイのあなたは、お答えできません。以上」


 エレベーターに乗り込む前に、一真がロビーをのぞくと、見えたのは優を見送る渡部の背中だけだった。




「一真、聞いているのか?」

 次郎の声に一真は顔を上げた。


「もちろん……それで、なんだっけ?」


「お前は、少し太ったと言ったんだ。

 札幌の暮らしはどうだ?」


「ここはいいホテルだよ。

 スタッフもプライドを持って働いている」


「当然だ。札幌には渡部がいるからな」


 一真と向かい合わせに、次郎も腰を下ろした。


「東京に戻る気はないのか?」


「今は帰りたくない。この街じゃ僕は観光客の一人だ。

 黒い噂もこの街には届かない。身を隠すには都合がいいよ」


「そうか……まあ、お前の好きにすればいい。

 ところで、あのスパイは何だ?」

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