5話  いやな予感 2 劇団北斗七星 

「いやな予感がする……」


 欄干に寄りかかり一真は呟く。それは、呆然ぼうぜんとする八人の後ろを、「ラーメン」とスキップする優の姿だ。その声にふり返った宇野の視線は厳しかった。


「おい、そこのくそガキ、ちょっと待て!」

「あたすのこと?」

「ああ、お前だよ。まず、あやまれ」

「なんて言って?」

「『ごめんなさい』だろう」

「いいよ。気にしていないから」

「――お前が、あやまるんだよ!」


 天然パーマの髪をふり乱し宇野が吠える。押さえつける劇団員を引きずり、優のあとを追う。その結果、一真の正面に男八人が顔をそろえた。


 一真が苦情を頭の中で整理すると、チケットの収益は会場を押さえる頭金だった。一枚千円で三十枚、タイムリミットは今日の午後五時と訴える。


 宇野が、「慰謝料いしゃりょう込で五万」の示談金を提示した。


「五万なら、なんとかなるよ」

「僕は貸さないよ」

「大丈夫。いいものがあるんだ」


 かばんを開けた仕草に、一真は再びいやな空気を感じ取った。


 それは、劇団員を呼びよせ、石のお地蔵さんを見せびらかす行為だった。祖父が中国に滞在中、貴族からの預かり物と口はよくまわる。鑑定士に五万と言われ、断ったばかりと言い切った。


「誰が信じる」

 一真は、欄干にヒジを乗せる。


「中国の貴族? すごいね~」

 淳一の声に、ヒジが滑った。


「こんな大切な石は、もらえないよ~」


「遠慮なく使ってね。

 その方が、お地蔵さんも喜ぶよ」


「ありがとう……えっと……」

「優ちゃんでいいよ~」

「ありがとう優ちゃん。僕は淳ちゃん」

「気にしないで、淳ちゃん」



 二人の世界に口をはさめる者はいない。のどかな春を思わせる言葉のキャッチボールは続く。しかし、宇野が石を取り上げたことで風向きが変わった。


「ふざけるな、くそガキ!」


 放り投げた石は、川岸に生い茂る木の中に消えていった。


「俺達は本気で芝居をやっているんだ。

 前売りで百枚、それが条件だった。

 あの舞台は、めったにおさえられないんだぞ!」


「あたすのお地蔵さん……」


「人の話を聞け――! 

 俺達が飛躍ひやくするために必要な舞台なんだ。

 あと三十枚なのに、お前のせいで水の泡じゃねぇ~か!」


 宇野の声に優のリアクションは薄い。欄干から河川敷をのぞき込むと、

「あった!」

 と言って走りだす。


「待て、くそガキ!」

 の声に一真が行く手をさえぎった。


「ガキをゆすって楽しいのか?」

「なんだよ。さっきから澄ました顔をしやがって」


「お前は、舞台、舞台ってうるさい。

 舞台じゃなく、芝居で勝負しろ」


「なんだと……」


「未熟な演出だから舞台に頼る。

 悔しかったら、ゴザ一枚で人を泣かせてみたら?」


「もういっぺん言ってみろ!」

「やめろ、宇野! また作り直せばいいだろう」


 リーダーの男が押さえるが、その手を宇野はふりほどいた。


「そんなにあのガキがだいじなら、あんたが弁償してくれよ」

「だいじじゃないから、弁償はしない」


「あんたさ~ 自分の女の尻拭いもできねぇ~のかよ。

 情けない男だぜ。かっこつけやがって、金も力もないだめ男か!」


 まくし立てる宇野に一真は一歩二歩と近づく。冷たい顔つきに宇野は息をのんだ。


「や、やるのか? 俺は空手初段だぞ」

「僕は二段だ」


 にらみ合うこと数分、勝負は劇団員の声で無効になった。


「危ない。あの娘、危ないよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る