4話  いやな予感 1 河川敷  

 四月に入り札幌は春の景色を披露ひろうする。大通り公園にベンチが並び、シートが外され噴水が顔を出す。一真は指定席を八丁目のベンチに決め、そこで本を読むのが日課になっていた。


「留さ~ん」


 優の声に、文庫本を閉じる。

 優が暮らしはじめてから『明日の約束』はない。

 一真の散歩は決まって午後三時で、その時間を見はからって、優は毎日やってきた。


「僕は、『何かあったら、おいで』と言ったんだ」

「今日も疲れたって、何かがあったの」

「仕事中か?」

「早番なの。今日の業務は終了だ、ぴょん」


 優の働くホテルは、価格のわりに味がいいと評判だった。


 ビジネス街の立地もともない昼時には行列ができる。早番の出勤は朝五時と聞いている。一真にとって、夜遊びを終え、ホテルに帰る時刻でもあった。


「留さん、働くって素晴らしいね」

「仕事がないのは、もっと、素晴らしいよ」

「留さんって、毎日、何をやっているの?」


「鳩に餌をやったり、豊平川とよひらがわで石を拾ったり」

「お爺さんのリハビリみたい」


「人がいなくて、静かな河川敷だ」

「わたしも、豊平川に行きたい」

「僕は、そろそろ帰る」


 言ってはみたが、駄々だだをこねられれば名前を連呼される。

 文庫本をジャケットに忍ばせ、「はいはい」と重い腰を上げた。




 支笏湖近くの沢を源流とした豊平川は、札幌中心部を流れ石狩川いしかりがわを目指す。河川敷は、公園や運動施設が整備されイベントも多い。


 地下鉄中島公園なかじまこうえん駅、徒歩五分、優に手を引かれ南大橋みなみおおはしを渡った。 

 

 優は河川敷で平らな石をひろい五色のペンで、黙々と絵を描く。


「できた」

 の声に一真がのぞくと、立体的に描かれたお地蔵さんが笑っていた。


「なんと、絵心があるじゃないか?」

「上手でしょう~ 一万円でいいよ」

「金を取る気か?」

「将来は有名人かも、投資のつもりでどう?」

「リスクが高すぎる」

「じゃあ、ラーメンで手を打つ」


 優が指をさすのは、土手で湯気を出す屋台だった。

 一真は見えないふりで背中を向け、歩き出した。


「留さ~ん」

「おいで、ホテルで何か食べよう」


「聞いていないの? 

 あたすは、ラーメンが食べたいの。

 コーンたっぷり味噌ラーメン!」


「じゃあ一人で食べなさい。僕は帰るからね」


 ツンと横を向き、一真は南大橋を目指す。


「留吉の、バ~カ!」は、がまんができた。

「死にぞこな~い!」で、南大橋を渡る一真の足が止まる。


寄生虫きせいちゅう――」


 と言われ、にらみをきかせてふり返った。すると、追いかけてきた優もピタリと止まる。しかし、後ろの自転車は止まり切れない。


 優を避けようとハンドルがふらつき、一台目が欄干らんかんに激突すると後続の自転車もドミノ倒しで転がる。その数八台、優を囲んで自転車のミステリーサークルができていた。



「痛てぇな~ 急に止まるな、くそガキ!」


 声を荒げたのは宇野うのまもる、二十二歳。北陵ほくりょう大学の四年生だ。腰をさすりながら自転車を立て直す。その後ろで後輩の淳一じゅんいちの悲鳴が響いた。


「宇野せんぱ~い、チケット落としました~」

「何をやっているんだ。全部落ちたのか?」

「全部です~ もう四時、間に合いませ~ん」


 欄干に身を乗り出す八人は、おそろいのスタジャン姿で、背中に『劇団北斗七星げきだんほくとしちせい』のロゴがついている。


 自転車の籠から飛び出したチケットは空に舞い、ふわふわと豊平川へ落ちていった。


「いやな予感がする……」

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