3話  単純な『留さん』

「もしかして、人見知りをしているのか?」

「変なことを言わないで」

「だから、僕を連れて来たな?」

「お話の意味が、分かりません」

「何が自立だ。バカ娘」


 一真は、優の座布団ざぶとんを引っ張り、赤い顔を眺める。正面に座るのは、口が達者な内弁慶うちべんけいだった。


「おいで、僕と一緒に行くよ」


 優の手を引き、同僚の輪に放り出すと、一真は近くに腰を下した。



「ほら、行っておいで。

『これからよろしく』って、頭を下げればすむ話だ」


「留さ~ん」

「行かないと、鴨居かもいに縛るぞ」

「それが、留さんの性癖せいへきなの?」

「いいから行って来い!」



 一真は背中を向け、『歓迎、新入社員』のたれ幕を眺める。舞台で演歌を熱唱するのは、パンチパーマの花巻だ。気持ちよさそうだが誰も聞いていない。


 茶髪の千草は、似ていないものまねで社員を凍りつかせる。

 笑えないダジャレを言い続ける風間社長と、優の同僚たちはにぎやかだ。


 やがて一真の耳に、「花村、お前も飲め――」の声が響く。


 ふり返ると、風間にジュースをつがれて笑う顔が見えた。


 一真のテーブルには、部外者と言いながら空けたビール瓶が数知れず。

 お役御免やくごめんの空気に帰り支度をはじめると、優がジュース片手に腰を下ろした。


「ねえねえ、留さん。明日からここで働くんだよ」

「そう、ご愁傷様しゅうしょうさま。なかなか楽しそうな職場だ」

「あの日に乗った電車は、未来行きだった。みんな留さんのおかげだよ」


「七割、君の実力じゃなかったのか?」


 一真は、笑いながらジャケットを羽織った。


「あれは奇跡かもね。雪に感謝をしなくちゃ」

健気けなげな小娘さん。はじめの一歩は踏み出せたか?」


「うん。みんないい人達で安心した」


「そう、何かあったら公園へおいで。

 僕は、あのベンチで生きているから」


 一真は、優の頭を撫でてから席を立つ。北一条通りで酔いをさまし、


「やれやれ」


 と頭をかきながら、保護者の顔に別れを告げた。



             ◇



「一真様が、叔父様になられたのですか?」


 その夜、スカイラウンジで渡部の声が裏返った。


「小娘の相手は疲れる」


「今日は特別な日ですからね。

 慣れてしまえば、疲れることもないでしょう」


「慣れるまで続いたら、僕の身が持たない」


「確かに……」

 と渡部がうなずく。


 スカイラウンジには弾き語りのピアノが流れ、優しい旋律せんりつかなでている。


「一真様もいかがですか?」

 の声に聞こえないふりで、一真は『長寿飴』を転がしていた。


「ねえ、渡部さん。『音別』って街を知っている?」


「もちろん存じておりますよ。確か、炭鉱で栄えた街と聞いております。

 今では人口も一万を切ったとか、過疎化かそかも進んでいるのでしょうね」


「一万切った?」


 今度は一真の声が裏返った。


「ちょっと待って、湖は? 湖あるよね」

「『音別沼おとべつぬま』ならございます。マガンで有名ですよ」

「沼……」


 渡部が語るのは過疎地の悲劇だった。

 そこに優の言葉をイメージできるものはない。

 思い浮かぶのは田園風景ばかりで、肥料ひりょうの匂いさえ感じていた。


「あの野郎~ 騙しやがった。僕を誰だと思っているんだ」

「単純な、『留さん』でございましょうか?」


 渡部は笑いながらピアノ奏者に拍手を送る。


 ジンを飲みほしたグラスを置き、一真の目もピアノ奏者の女に向かう。拍手に一礼をするたびドレスの胸元が開く。かがんだ腰のラインが、誘っているように見えた。


「いい女だな。口説くどいちゃおうかな」

「確かにお美しい。しかし、花村様はよろしいのですか?」

「鼻水たらした小娘じゃ、働き盛りの息子もえる」

「なんと……」

「僕は未成年に興味がない。女は年上に限る」


 執拗しつように追う一真の視線に女がふり返る。

 うねりのない黒髪を揺らし、挑発的な目が一真の好みだ。


「似ている……」


 一真の独り言を、聞こえぬふりで渡部はカクテルをグラスにそそぐ。

 リクエストは口当たりがよく腰が砕ける強さだ。

 本能ほんのう全開で女を追う一真に差し出した。



「お手並み拝見はいけんでございます」

「五分で部屋に誘えたら、叔父さんのワインを抜いてね」


 一真には、今日の記憶を消してくれそうな女に見えた。


 優にふりまわされ、疲れた体が魔性ましょうの夜を欲しがる。けだものの視線を好青年の顔にすり替え、部屋に連れ込むまで穏やかな口調を演じ通す。


 女の手に触れ、耳に口説き文句をささやき、砂時計の砂が落ちきりちょうど五分。席を立つと「ワイン楽しみにしているよ」の言葉を、渡部に贈った。


 健気な花を散らさぬようにと願えば、甘い香りを消す以外方法はない。夜空に優の未来を祈りながら、その夜、腕の中であえぐ女に一真は酔いしれた。

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