2話  新入社員歓迎会

 優が暮らす寮に門限はないと聞いていたが、日が暮れる前にタクシーで返そうと一真は決めている。しかし、ロビーで見送る一真の手を優は離さない。


「はい、さようなら」


 一真が言うたび頬をふくらませる。いくら誘われても、『サンプラザ札幌ホテル』の新入社員歓迎会に出席する義理はなかった。


「楽しいから行こうよ~」

「僕を、なんて紹介する気だ?」

「パパ?」

「違う意味に聞こえる」

「だって、ホテルを見たことないでしょう?」

「ある……」

「いつ?」

「いいから、君一人で行きなさい」

「留さんと一緒がいい」


「僕は人との接触をけたい。

 君が遊びに来るのはいいが、僕は行かない」


「留さ~ん」


 腕を捕まえられ、体が左右に揺れても一真は横を向く。すると、フロント控え室から顔を出した渡部が、一真に向かって風呂の備品を差し出す。


 一真は無言だが、その横で優の顔が華やいだ。


「さすが総支配人。顔のわりに気がききますね」


 優はアヒルちゃんを『ピヨピヨ』鳴らして渡部をねぎらう。


「その気持ちを忘れずに、これからも一生懸命働きなさい。

 分かったな、渡部」


 ふたたびアヒルちゃんを鳴らす前に、一真がその手を制する。顔は無表情だが、銀縁メガネの下の炎を感じとる。


「やっぱり、この娘の会社を見て来るよ」

 と言いながら優の手を引き、一真は回転扉を目指す。鬼の支配人に変わるまで、そう長くは持たなかった。



              ◇



「渡部さんを、からかうんじゃないの!」


 タクシーに乗り込んですぐ、一真の声が車内に響いた。


「コミュニケーションだよ」

「君の取り方は乱暴なの。

 その口を直さないと職場で敵を作るよ」


「知らないの? 敵の数だけ味方もいるよ」

「その味方も、敵になるって言ってんだ!」

「大丈夫。留さんの味方は、あたすで、あたすの味方が……」


「僕じゃない!」


 一真は、ツンと横を向く。


「留吉のバ~カ!」

 と、ののしられても窓から視線を離さない。


 行動範囲が広まれば、名前と顔もついてくる。身を隠す以上、歓迎会は最も危険な行為と表情はくもる。


 となりで敵にまわった優の、「バ~カ」が気にならぬほど、一真の事情じじょうは深刻だった。




 優の働く『サンプラザ札幌ホテル』は、旅館時代から数えると創業四十年目になる。スタッフは三十八人で、今年採用になったのは高卒二人に短大卒が一人。そして、旭川あさひかわのホテルから調理師一人が加わっていた。


 代表は二代目の風間伸吾かざましんご、一応接客のプロだ。優を送って来た一真の顔を見て、首をかしげていた。


「前に、どこかで会ったような~」


 風間の探るような視線に、一真は横を向く。フロント右手には十五席ほどのレストランがあり、厨房ちゅうぼうの香りがロビーまでただよう。明日から優が走りまわる仕事場だった。


 一真が視線を戻すと、風間が「ああ!」と指をさす。今度は反対側に顔をそむけた。


「確か、北山拓真さん?」


 記憶が浅くて、一真はほっとした。歓迎会への出席も参加しやすい。ただ、優の保護者枠には納得できなかった。




「留さんは、『札幌の、叔父おじさん』って、紹介したよ」

「若い叔父だと思わないか? 複雑な家族構成だな」

「家族はいろいろだね。でも、留さんと一緒でよかった」


 優は目の前のオードブルにはしを伸ばし、唐揚げを口に頬張ほおばる。その横で一真は、見知らぬ男に「留さん、飲んでいるかい?」とビールをそそがれるたび、優をにらんだ。


「いまの人が和食の調理人で、パンチパーマの花巻はなまきさんだよ」

「聞いていない」

「茶髪頭が洋食の千草ちぐささん。あと中華さんもいるよ」


「ふ~ん」

 と言いながら、一真も唐揚げを一口頬張る。風間が以前言った通り、味はよかった。


 酔いがまわったころ、一真の正面にすらりとした足が二人分並ぶ。右の女性は、ショートカットに目鼻立ちのはっきりとした顔立ちだ。


「紹介するね。ルームメイトの由利ゆりかおるさん。

 同じ音別出身なの」


「――君の街にも、美人はいるんだ」


「はいはい。おとなりが藍川あいかわ里奈りなさん。

 同じくルームメイトで二つ上ね」


「はじめまして」


 藍川が頭を下げるとウェーブの髪が揺れる。一真は軽く頭を下げて、視線はふくらはぎから細い足首に向かう。引きしまった足が、一真のストライクゾーンだった。


「花村さん、自己紹介がまだでしょう? 

 みんな待っているからね」


「はい。あとで行きます」


 優は藍川の誘いに肩をすぼめる。同僚を横目で見ながら一真の側を離れなかった。


「僕は気にしなくていいから、行っておいで」

「あとでもいいよ」

「僕にへばりついても、しょうがないよ」

「分かっているよ~」

「君の仕事仲間は、あっちだよ」

「分かっているって、うるさいな~」


 優がグラスをどんと置くと、一真は唐揚げを取りそこねる。語尾ごびのきつさは、一真の上をいっていた。


「もしかして、人見知りをしているのか?」

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