第2章 再会の街

1話  春のよき日に 上

 春のよき日に祝うのは、故郷をあとにする者への門出かどでだ。ここ数日の気温で水溜まりができ、街行く車は徐行じょこうを繰り返す。


 三つ編みは揺れているか―― 

 鈴は、はしゃいでいるのか――


 一真はベンチに腰をかけ、カサの出番がない快晴の空に問う。


 このひと月、散歩はいつも午後三時をまわったあたりで、

「あと三日ですね」

 と、渡部は勝手にカウントダウンをはじめて盛りあがる。今日の日付に赤丸をつけたのも渡部だった。


 あと少し、あと、もう少し――


 一真は目を閉じ、真冬の景色を想像する。

 心地よい風を地吹雪に、黒く汚れた雪を真っ白な景色に変えていた。


「留さん、みっけ」


 一真が薄目を開けると、正面に黒のパンプスが並ぶ。


 スプリングコートにスポーツバックを斜めにかけ、鈴ははしゃぐが三つ編みは肩で切りそろえられている。淡い口紅の色が白い肌に似合っていた。


「留さん?」


 一真は手をふられても、優を見上げたままだった。


「やだ、見惚れているの?」

「――その言葉で、正気に戻ったよ」


「留さん、久しぶり~元気だった? お菓子たくさん持ってきたよ。

 どれから食べる?」


「まず、座りなさい」


「留さん聞いてよ~ここに来る途中で車に泥をかけられたの。

 買ったばかりのスーツなのに~ それで、さくら餅は好き?」


「聞こえたか?」


「入社式無事にすんだよ。いやいや、なまら緊張きんちょうしたべさ。

 そうそう、どら焼きもあるの」


「そこの社会人」


 一真は腕をつかみベンチに引き寄せる。頬が染まり、口が閉じたところで、

「よく来たね」と二人の再会を祝った。




 この日、『ホテルサンピアーザ札幌』でも、『北澤リゾート北海道』の入社式が行われていた。今年入社の社員は七対三で、女性が多い。


 三階「鳳凰ほうおうの間」のひな壇で渡部の銀縁メガネが光る。七十六名を一人一人見まわし、瞳の奥に総支配人の威厳いげんを打ち込む。言葉は穏やかに、オーラはパワハラの匂いがしていた。


 渡部が通常業務に戻ると、回転扉から鈴の音が響く。案内係の山崎が、

「いらっしゃいました」

 と声をかけると、銀縁メガネがまた光った。


「よっ! 久しぶり」

 カウンターにヒジをつく優の姿に、渡部は咳払いをする。


「どちら様でしょう?」

「あたす、あたす~」

「何かのお間違いでは、ありませんか?」


「おじさん、嫌味いやみな感じが、いいね~」


 優に指をさされ、メガネレンズのつやが増し、「おじさん」の言葉は、以前同様、耳を疑った。


 優から遅れること数分、一真が回転扉から顔を出す。しかし、両手に持つ荷物がじゃまをして扉がまわらない。力任せに引きずり出した荷物を見て、渡部のメガネがくもった。


「なんですか、あれは?」

「寮で使う備品びひんだよ。担当はお風呂だから、買い物をしてきた」

「一真様と?」

「だって、荷物持ちが必要なの」

「一真様が?」


 渡部がメガネを直したところで、一真がフロントにたどり着く。買い物袋をカウンターに投げるとゴム素材のアヒルが転がり、渡部を見て『ピョ』と鳴いた。


「なんと言うことを……」

「留さんの部屋で遊ぶから、預かっておいてね」


 優は山崎を見つけて走り出す。ロビーに笑い声が響く中、今度は一真がカウンターにヒジをつき、渡部をにらんだ。


「久しぶりに見る、不機嫌なお顔でございます」

「何も言うな。何も聞くな」

御意ぎょい

 と渡部は頭を下げる。


 エレベーター前で優が呼ぶ声に一真が歩き出すと、渡部は姿勢を戻す。『何も言うな』の指示通り、誰もが口を開かないが、フロントマンすべてが一真の背中を目で追っていた。

 


              ◇



「ねえねえ、留さん。すごい景色だよ~ 向こうが大通り公園かな?」


 優は東の窓に足をかけ、三十一階からの景色を楽しむ。

 一真がすべてのカーテンを自動で開くと、めまいを起こしていた。


「こんな広い部屋に一人って、寂しいね」

「じゃあ、寮を出て一緒に暮らすか?」


 一真は、笑いながらカップにコーヒーをそそぐ。すると、窓際にいた優は、部屋のすみに身を寄せていた。


「手を出したら、これから『音別』の親に、あいさつ」

「冗談だから」

「明日、入籍」

「スピード婚だな」


 一真は、テーブルにケーキを二つ用意した。


「食べないなら、僕が二個食べるよ」

「食べたら離婚」

「短い結婚生活だったね。おいで、一緒に食べよう」


 ガラステーブルの前にあぐらをかいて、一真が手招く。笑顔が戻ったのは一真が自分のイチゴを差し出したあたり。まるで、おままごとだと優を眺めながら、静かな時間を一真は楽しんでいた。

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