第48話 眠れない砂嵐


 実際に昼夜逆転生活を送っていた十代のころは、夜中のほうがテレビもラジオも面白かった――


 なんて言いかたは、いまはもうテレビを見なくなってしまったから比較のしようがないし、「昔はよかった」「テレビなんてもう見ない」は、感性とか生活の変化によって安易にひっくり返ってしまうことだから、たとえ私の言葉だとしても欠片も信用ができない。


 そういうありがちなセリフ以前に、ただ単純に「夜は眠い」「明日も仕事」なんていう一言、二言で片付く。あと、深夜ラジオはいまだに面白い。



 先日、某YTubeで過去の各テレビ局のオープニング、クロージング映像を見た。


 それらはつまり、その日の放送開始と放送終了前に流れていたもので、深い時間までテレビにかじりついていた者だけ(超人的みたいな言いかたをするな…)が触れ得るというか、ラストオーダーどころか、閉店前の掃除まで済ませている店にまだ居座っているような状態というか…、まぁ、もうたとえが何も出てこないのだけど。(いちいち言わなくていいんだよ、そういうのは…)



 月曜だったか火曜だったかは日本テレビ。土曜はテレビ東京で深夜映画が放送されていた。


 どんな作品が放送されていたっけなぁ、なんて思い出してみたのだけど、「マイ・ドッグ・スキップ」と「ドラッグストア・カウボーイ」くらいしか出てこない。


 特に土曜の深夜映画はラストシーンあたりで外が明るくなっていた。午前六時近かったと思う。映画が終わるとすぐにクロージングが流れていた気がする。日曜はどの局も(ラジオも含めて)終了時間が早かった。いまはどうなのだろうか。



 前回、そういう当時の私に向けて、


「それは悩みでもなんでもないし、そもそも考えていることのことごとくがつまらないから早く寝ろ」


 と書いた通り、私は私の何かについてずっと考え続けていた。何についてなのかは知らない。とにかくモヤモヤした何かを常に抱えていた。いや、本を読んでいるときもあったけど。


 という「それ」について考えてみたら、すぐに答えが出た。「達成感」だ。


 その日に達成感が得られないから、私はそれが得られるまでずっと眠れずに考え続けていた。



 いや、あなたの言いたいことはわかる。


「考えることで得られる達成感とは、一体なんぞや?」


 ハッキリ言って、そんなモンはない。達成感なんて動くことでしか得られない。



 その日、早く眠ることだって能動的な選択、「動く」だ。


 でも時々、いまだに私は夜中まで起きてしまうことがある。じゃあそのとき一体何を考えているのか。そんなこと、私だって知らない。





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