第44話 季節の血の色


 平日の夕方に放送している「報道」を謳っている番組の中で、バレンタインデーの特集をやっていたから2月14日以前の話になる。


「報道」ではなく情報バラエティーの延長線上にある何かなのではないかという疑問は、ちょいと横に置いておくとして、その中で今年は、というよりも近年は、異性へのプレゼントではなく、自分への褒美としてチョコレートを買う人が多いと言っていた。私もそれがいいと思った。



 私が学生だった頃は、まだまだ「女の子が男の子に」の慣習の只中にあったから、楽しみにしていた男子諸君も当時はいたのではないか。


 という第三者視点のある種の冷静さは、もらえないことがわかっていたからこその諦めだったのだろう。


 淡い期待さえ抱こうとしなかったことに、「消極的なヤツだなぁ」と、過去の私を引っ叩いてやりたくもなるのだが、いまさらだからまぁいいや。



「自分への褒美」はよくわかる。


 いや、「普段頑張っている自分へ」というような、つまらない自己評価への肯定ではなく、(肯定することを否定しているわけではないので悪しからず)あくまでも個人的には、「いい(高級な)チョコレートを食べる機会なんてあまりない」という意での褒美(特別)の感が強い。



 画面に映るどこぞの有名な店やパティシエ諸氏先生様方々が作った一粒数百円以上する菓子を指し示して、ポジティブな私が、


「美味しそうだな。年に一回くらいはこういうお金の使いかたもいいじゃないか」


 と背中を押す。するとネガティブな私が、


「お前の味覚はブラックサンダーやチロルチョコを口にするだけで感激するんだぞ」


 と肩に手を置く。



 以前、職場を退職した人がお礼として、海外の高級なチョコレートをくれた。「チョコレートといえば?」という問いに真っ先に名前が出るような、有名なメーカーのもの。


 値段や質で比べるモンじゃないってことはわかっている。億単位で取り引きされる絵画と、ちびっ子がはじめて描いた両親の絵は、捉える人によってそれぞれの価値に天地ほどの差が生じるはずだ。



 いつだったか、とある人が、


「ホントに美味しいのは、空腹時に食べる塩むすびだ」


 と言っていた。


 つまりはそういうことだと言ってしまうと論点がズレてしまうし、結局、たまに食べる高級菓子も、空腹時の塩むすびも、それはそれで美味しいのだからいいじゃないか、なんて言ってしまうのもなんだがズルい。



 でもやっぱりと思って、一粒百円以上するチョコレートを買って食べてみた。


 たったそれだけの差だと言ってもいい。でも「やっぱり違う…」「美味しい…」と感じてしまった。なんだかとっても悔しかった。




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