第42話 的の無い射撃


 医者に行くために交差点を渡ったところで、前方から下校途中の女子中学生がやってきた。すれ違うタイミングで、その中の一人が、


「仕事しろよ、仕事」


 と、誰の耳にも届く声で言った。



 三人の会話の流れでその言葉が出たのか、あるいは私を見て――、私がそう見えたから発言(指摘)したのか、そこんとこはわからない。


 後者だったのだとすれば、あいにく私は仕事をしてしまっているので、彼女の言葉は悪意としても刺さらないし、響かない。


 ただ、横に並んで歩いていた三人のうち、私に最も近かった女の子がこっちを見て気まずい表情をしていたから、事実は後者だった可能性も高い。



 元々の容姿はいまはちょいと横に置いておくとして、ホワイトカラーだったら、その見た目だけで誰にも何も言われないのだろうか。だぶんそうなのだろう。


 社会への順応度、貢献度がモノを言うらしい。私には土台無理な話だが…。



 その言葉を聞いたあとにふと考えてしまったのは、彼女たちのすれ違った相手が私ではなく、図星を指されてしまった人だったら、という懸念。


 本当に仕事をしていなくて焦っている、逆にもうどうでもいいと投げやりになっている人だったら。もしくは仕事云々どころではなく、精神的に突き抜けてしまった人だったら。


 彼女(たち)はたった一言によって、いろんな形で相手に大きく傷つけられていたかもしれないし、最悪な場合、命を奪われていたかもしれない。



「おいおい。たった一言を耳にしただけで、そこまで大仰な想像をするなよ」



 ずいぶん前の話だけど、駅から自宅までの道の途中にある居酒屋の前で、歩道の縁石に腰を下ろして通話をしている人がいた。その人は電話口に向かって、「バカだなぁ、アハハハ」と笑った。


 すると、私の後ろを歩いていたおばさんが、「なに、あたしがバカだってこと?」と、電話をしていた人に突っかかっていったのを見た。


 私は振り返って思わず「なんで?」と口に出してしまった。そのくらいに意味がわからなかった。



 数年内の話だが、近所で通り魔に命を奪われた人がいた。


 私の自宅から五分もかからない場所で、白昼の犯行だった。ニュースでも取り上げられた。亡くなった人の顔も、自宅も知っていた。


 でも犯人は、精神を著しく壊してしまった人だったから、それ以上の報道もなかったし、動機もわからないし、犯人がその後どうなったのかもわからない。


 ただ被害者は家族でとあるお店をやっていたが、事件から数ヶ月後にはお店がなくなって、やがて家族もいなくなってしまった。



 いまそこには、明らかに人工的なモノだとわかる、黒い毛帽子をかぶっている初老の男が暮らしている。なぜ無いモノを敢えて隠そうとするのか。(知らんがな…)



「お前は一体どういう土地に住んでるんだよ…」


 なんて思われてしまうかもしれない。正直なところ、私も生まれ育った町じゃないから、住民の特性(というか正体)がよく知れない。知ろうとも思っていない。



 その中学生の発言が、土地柄由来のある種の悪癖、土地柄としての遺伝的な品位ゆえの「どうしようもなさ」だったのかというと、そうかもしれないし、あるいは単純に子どもだったからなのかもしれない。


 しかし、思春期特有の悪意を向けられたとして、「相手はまだ子どもじゃないか」と息を吐いて終えられるのは、当たり前だが息を吐いてしまえる人だけだ。



 多様な意で「穏便」を願うのはいい。きっとそれは正しい。


 でもどんなに願っても、信じても、自分とは違う性質で生きている人がいることを認めなきゃいけないのが世界だ(と、私は思う)。


 それも含めて、諸悪意や言動の暴力性に関して「いまの世の中」なんていう前提をなくしても、外では余計なことは大声で言わんほうがいい。




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