第38話 太陽の見えかた
確か前回、年が明けて一週間くらい経たないと、「年が明けたんだなぁ」という実感が湧かない、というようなことを書いたはず。
しかし一週間も経ってしまうと、年明けに関する感慨なんて消え失せていて、意識はもう日常の流れに在る。だから正月気分はもうない。
というか、今年は元日に地震が発生して、さらに翌日だったかには空港での飛行機事故も起こって…、と大変な状況が続いたし、いまも続いているから、もとより正月気分にならなくていいとさえ思う。
まぁ、事故や災害が起こらない年でも、年末年始にやっている芸能人が騒ぐだけとか、ドラマの再放送の垂れ流しとか、旅番組とか、そういうテレビを見ないから外側から入ってくる正月気分はロクに無い。
まして、それらが正月気分の代表的な事柄なのかと言われると、そんなの知らない。(お前がそれとして挙げたんだろうが…)
私は地震の映像を、特に津波の映像を見るのが怖い。地震や津波の情報を流している、やけに色彩を欠いたような極端な静けさが怖い。
東日本の震災のとき、直後に放送され続けていた映像を私はずっと見ていた。あれがいまもずっと「怖いもの」として記憶の中に残っている。
でも、あのころはまだルークもシェルもチューちゃんも生きていた。ずいぶんと揺れた家の中で、それでも何事もなかったかのように生活していた彼らの姿が、怖い記憶の中に色彩として残っている。
って、彼らの話になると長くなってしまうから、ここで止めておこう。
元日はSNS上で有名人の結婚発表、報告が多かった。
本音を言えば、芸能人や類する人の諸情報、誰と誰が交際している、誰と誰が離婚したなんて話題は、BLANKEY JET CITYの「SEA SIDE JET CITY」のそこだけを取り出して、「どうでもいいぜ そんな事柄」と歌ってしまえば私は気分がいい。
でも結婚は単純におめでたいから、その人のことを知らなくても素直に祝うべきだし、「おめでとう」と言いたくなる。誰かの不幸を笑うよりも、誰かの幸せを祝ったり喜んだりしたほうが、私の気分だってよくなる。
とある人が元日の夜に、
「大変な思いをしている人がたくさんいるのに、SNSを更新して申し訳ない」
というような投稿をしていたのだけど、こういうのを見ると、どうにも私は「ちょっと待て」と思ってしまう。
無論、被災した人たち、事故に直面した人たちは大変だし、苦労や苦痛を実感している。
しかし、大丈夫だった側が大変な側に合わせてしまうのは何かが違う。
大丈夫な人が大丈夫に生活して、それが「悪い」と指摘されてしまうのであれば、それは何かが違う。
いや、特に有名な人は、それで文句を言われてしまうかもしれないある種の恐怖を予感していたのかもしれない。
ハッキリ言ってしまえば、特に自然災害に関しては、人間の暦や日常は無関係だ。個人的な配慮以前に、根本的な「生きる」は間違った行為ではないのだから、謝る理由はない(と私は思う)。
だったら、この場に投稿している私だって、同じような指摘を受けなきゃいけなくなる。投稿すること以前に、そのための言葉を考えることさえ「悪」とみなされてしまうはず。
「世の中には飢えて苦しんでいる人がたくさんいるんだぞ!」
そんなのはわかっている。よくわかっている。
だからこそ、私は食べるんだ。
食べることで深く、強く考えるんだ。
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