第37話 杞憂な発信者
運が善いのか悪いのか、今回は年始早々に投稿されることになる。というのは、少し前にカレンダーを眺めていて気付いていた。
投稿されるのが年始早々だとしても、さて何を書こうかと考えているのは年末だから、ここに吐き出される言葉の羅列は去年の私のものだといってもいい。(それは年末年始に限った話ではなく、流動的な時間によって私は常に過去になっている)
もとより、年末年始は仕事だから、昨日も今日も正月気分ではないと思う。年が明けて大体一週間くらい経たないと「あぁ、年が明けたんだなぁ」という実感が湧いてこない。
だからこの時期に、こういう場に提示する話のネタとして、「去年はどういう一年だった」とか「今年はどういう一年にしたい」みたいな内容が思いつかない。悲しいのだけど。
それとはちょいと違うのだけど、昔の私は厭世観にどっぷり浸かっていたから、
「過去がどうだったとか、未来がどうだとか、そんなのうるさいんだよ」
なんて、まるで希望を持とうとしていなかった。
しかしそれはただ単純に、「希望」を考えるのが怖かっただけなのだろう。
いや、「希望」はたくさんあった。他者よりもたくさんあったのかもしれない。おそらくそれはフタを開けてみれば願望とか欲望の類だった。
別に願望や欲望があるのが悪いとは思わない。人はその衝動によって動かされている部分もあるからだ。
私は臆病な性質だから、願望、欲望が頭の中に無数にあるのに、それらが叶ったとき、叶って自分が変わったときに一体どうなるのか、どうなってしまうのかわからない恐怖が、それ以上の考えや行動を押し止めて、敢えて変わらないように意思として仕向けていた。
とはいえ、たとえばこんなふうにあなたに向けて表現している時点で、私の中から吐き出された言葉は、もう私だけのものではなく、あなたのものでもある。
言葉が伝わるというのは、「私の」ではなく「あなたの」解釈によってあなた自身に伝わっている。無論、それは変化だ。
私が「善い」と思って提示した言葉が、あなたには「悪い」という場合もあるだろうし、私が「面白い」と思って提示した言葉が、あなたには「つまらない」の場合もあるだろう。逆もまた然り。
諸創作だけに限らず、日常生活においても変化は常について回る出来事だから、それを面白がればいい。
なんていう考えが出る時点で、いまの私は、私とあなたの間に生まれる変化を楽しみにしているのだと思うし、私自身がどう変化するのか、それも楽しみなのだろう。
あっ、ひとつだけ「今年はどういう一年にしたい」というのがある。
今年はちゃんと小説を投稿したいです。
いや、する!
したい。
しようかな…。
できればいいな。(しろよ…)
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