第35回 光る喉元の刃
両親が相次いで風邪をひいた。
父はいつも咳だけで済んでいたが、今回に限っては発熱して数日間臥せっていた。
いま私は鼻と喉と肺の調子がどうにもよくない気がしないでもない。なんて曖昧な表現になってしまうのは、私は私の元気な状態がどれなのかをすでに把握できていないからだ。
おそらく私が実感として持っている百パーセントの元気な状態なんていうのは、ともすれば十代のころの私なのではないかとさえ疑ってしまうほどに、状態と認識が乖離している。
いや、実際に喉に違和感があるから、誰かにうつされないように細心の注意を払わなきゃいけないし、それは年末年始の仕事を考えてのことでもある。(もっとも考えたくない事柄なのだが…)
今年の一月、私は風邪をひいて一週間ダウンする羽目になった。年末年始をどうにか切り抜けてホッとした束の間に付け入られたとでもいうべきか。全身の疲労が「休ませろ!」と暴動を起こした。
そこからの教訓を生かして健康第一を掲げた私は、体調に気を使ってきた。(結局口先だけだが)しかし、それはあくまでも私が私に対しての防衛策であり、今回は外側からの危機に対して防衛をしなけりゃいけない。
ホントは家でずっと寝て養生したい。たとえこの身が健康だったとしても。(おい、コラ…)
先週、友人から連絡が来て、一緒に出掛けようという話になっていた。でも一連の事情によって、前日にキャンセルをした。
おそらく今年はもう遠出をしないから、あとは職場と家の往復だけになる。
しかしその選択は、学習はした結果だと思う。
あるいは数年前だったら、無理に出かけて翌日くらいには当然のように体調を崩していたかもしれない。というか、いままで何度もやらかしてきた。
なんでもそうだけど、機会を逃すと悔しくなる。だから悔しくないように、無理をしてでもその時間を楽しもうとしてしまうのだろう。
でもそれよりも、失った機会の代替として、その時間の中に引っ張ってきた、当てはめた別の機会やアイデアを、どう生かして、どう楽しむか。その中から如何にチャンスを作るか。それを考えて実行したほうが面白い。
無理をしない、急がない、焦らないことの大事さ。その決断力。
誰かと、みんなと同じタイミングじゃなきゃいけないものなんてない。
物事はおしなべて、楽しめるときに楽しめばそれでいいし、むしろそれがいい。
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