第33回 絶壁の拠り所
某SNSを見ていたら、とある女性声優さんが結婚報告をしていた。
正直なところ、私はそのときはじめて名前を知ったから――、もとよりアニメを見るとき、声優さんを意識しないから、
「えっ、このキャラクターの声って、この人だったの!」
なんていう場面は、つい昨日もあった。
だから結婚報告に関しても「へぇ」という感じだったし、素直におめでたい話題だと思っていた。
でも、表立って活動している人には必ずファンがいる。
いろんな意味で「好きだ」と実感している人に恋人が発覚する、あるいは今回のように突然の結婚報告をされると、ショックを受けるファンが必ずいるだろう。というか、そういうコメントを見た。
そして、ショックを受けただろうファンに向けて、
「それしか女という存在を知らないのではないか」
というような揶揄のコメントも見た。
「それ」の部分は、「アニメオタク」だったか「声優オタク」だったか、兎にも角にもずいぶんな表現を使っていたのだが、コメントに対しては、「事実、そうなのだろう」としか言いようがない。
いや、「知らない」ではなく、
「(その人しか)見えていない、見ていない、見ようとしていない」
という言いかたが正しいはず。
無論、これはカテゴライズされた誰かの話ではなく、誰だって同じだ。
「好きな相手しか見えない、見たくない、他には考えられない、考えたくない」は、至って健全な意思なのではないか。(ある種の極度な思考の持ち主とか、ある意味で振り切っている人は除く)
もっと大きく捉えれば、有名な人、活躍している人は、無名な人よりもそれなりの価値を持っている。存在そのものに価値を持っている。
発言の真意、正否以前に、「その人が言ったから」価値を持っている。
有名人と私が同じことを発言したとしても、前者だけが評価される。それが「有名であること」の価値だ。
きっとその女性声優さんが報告したのと同じ日に、結婚した人はいたはず。
でもその女性声優さんだけがたくさんの人(他者)に祝福されるようなのは、言わずもがな有名だからだ。
みんなと同じことのはずなのに、その人だけが評価されること、評価する人が多かったことが、「それしか女という存在を――」とコメントした人にとっては悔しかったり、羨ましかったりしたから、外側から石を投げるように悪態を吐いたのだとすれば、それはそれでなんか寂しい。
なんていう私の意見も、やっぱり外側からの冷静さでしかない。いつか当事者になったとき、どういう心情でどういう発言をしてしまうかわからない。
「じゃあいまから、悪態を吐かずに数日間を過ごしてみよう!」
そう心に決めたのは先週のこと。五分後には、早くもゲームセット。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます