第31回 喉の奥の小骨
母のICカードの件で地元の警察署から一本目の連絡が入っていたその時間、私たちは叔父の葬式の最中だった。
少し前に両親から「叔父が亡くなった」と知らされたとき、もとより病気だったことも、療養中だったことも知らなかったくらいに、私は親戚とは遠くなっていた。
そして、ここ数年は誰かの葬式や〇回忌に出席することが多いから「あぁ、また葬式か……」と思ったし、実際にそう口にした。
私は祝い事に参加したことがない。
あっ、いや、従兄弟の結婚式には途中まで参加した覚えがあるのだけど、従兄弟の結婚生活は約一年しか維持できなかったのだから、別に祝い事でもなんでもない。(いまは再婚している。二回も結婚式をしたある種の猛者である)
私がそうやって「あぁ、また――」と口にしたとき、母は「仕方ないわよ、もうそういう年齢なんだから」と言った。
そのときも返す言葉は無かったのだけど、葬式に参加してハッとさせられたのは、親戚一同の中で結婚していないのは自分だけだと気付いたからだ。
いや、未婚者は他にもいた。でも、法律的に結婚が許されていない年齢だから、許可されている(許可されて久しい)側は、私だけだった。
私は祝い事に参加したことがない。
姉は結婚しているが、式を行っていない。友人連中も、誰ひとり結婚していない。
というふうに、この手の話題になると、私はいつも私を輪の外側において物事を考えてしまっている。誰かの祝いごとばかりに期待している。
「じゃあ、自分自身は?」という疑問は、答えを持っていないだけに、受け取ってもどこにも放りようがない。
おそらく私は、幼いころから結婚についても、仕事についてもちゃんと考えたことがない。それは大きく捉えれば、「社会を考えたことがない」ということになるのではないか。
はい、無いです。(おい、コラ……)
もっと言えば、私は私の外側に向けた人としての機能を、生まれてこのかた一度も考えたことがない(と、思う)。
それでも生きているのだから、人って不思議だね。(また外側で考えてやがる)
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