第30回 ルール上の単語


 母が交通系ICカードを紛失した。


 仕事のための定期券として使っていて、さらに更新したばかりだったから、お金もかなり入っていたらしい。


 無くしたことに気付いた母は立ち寄ったいくつかの店に戻って、自分の目で探し回ってから、店員さんにも訊いてみたけど、


「(落とし物として)届いていない」


 という回答だった。



 帰宅した母は悔しがっていたわけだけど、入金してあった金額以上に、ずっと使っていたパスケースまで無くしてしまったことを、なによりも悔しがっていた。


 母は革製のパスケースを使っているのだが、聞いてみれば、あれは意外といい値段がするのだという。



 なんだ、結局は金額の話か…。


 なんてほんのり呆れてしまったのだけど、でもそこでふと思い出したのは、その実、私のパスケースも革製のもので、それはとある人からのプレゼントだった。



 もうずいぶんと古い記憶だが、私が初めて駅でICカードを買ったとき、一緒にいたその人が「これに入れておくといい」と言って、後日買ってくれたもの――


 というそれを「ふと思い出した」なんて表現で片付けようとするのは残酷か。

(他者からプレゼントをもらうなんて、宝くじの一等が当選するよりめずらしいことなんだから、ちゃんと覚えておけよ…)



 パスケースをもらったとき、きっと私は「あぁ、ありがとう」くらいで済ませてしまったはず。


 でも、革製のパスケースは意外といい値段がするという事実を聞いて、それに見合ったお返しが出来なかったことに、私はいまさらになって後悔してやがる。(ホントにいまさらだな…)



 つい先日、地元の警察署から、母のICカードが落とし物として届けられたという連絡がきた。落としたその日に届けられたという。


 届けてくれたのは、母が立ち寄った店の店員さんだった。つまり、探しに行った母とは行き違いというか、すれ違いというか、そういう状態だったようだ。母は正真正銘のドジだから、店には探しに行ったが、交番には行っていなかった。


 母はすでに定期券を買い直していたから、戻ってこないと思っていた元々のICカードは不要だった。(有効期限が切れていたから)


 でも、パスケースが戻ってきたことにはホッとしていた。


「お金じゃない」って言葉は、つまりはそういうことなんだなぁ、なんて思った。






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