第25回 迷う世迷い言


 先週、連続六日出勤という憂き目にあった。


 それが伝達ミスだったのか、意図的にそうされたのか。私の上司は無責任で仕事をしない人だから、常に後者だという思い込みが強くなるし、「あぁ、またか…」なんて気分が悪くなった。



 でもその不快感もほんの一瞬しか湧いてこなかったのは、そうなってしまった以上はやるしかないという事実もあったし、職場や上司が好きじゃないから、感情的にすでにいろいろ通り越しているというのもあった。


 それよりもっと前提に、別に何かを諦めているわけではないが、あらゆる物事に関して落ち込むことがなくなった気がしていて――、というそれは、今回のような不当な扱いを受けたことに「落ち込まなくなった」という表現を使うと、ネガティブなイメージしか浮き上がらない。



 でも、あくまでも「善くも悪くも」落ち込まなくなった。「期待しなくなった」と言い替えてもいい。って、どっちも似たようなモンだけど…。




 で、その連続六日出勤の最中、普段ならあまり会わない、曜日の関係上あまり会えない職場の人と会った。案の定、


「どうしたの?(なんで今日いるの?)」


 と、素直な疑問を投げかけてきた。


 

 だから私は、


「いやぁ、騙されちゃいましたよ」


 と、経緯を説明したわけだけど、その人は、


「人がよすぎるんだよ。よくないよ、そういうの。疑わなきゃ」


 と笑った。



 私は私自身が「人がいい」のかどうかなんて知らない。


 相手からすればそう見えるのかもしれない。それよりなにより、私のこういう失敗を誰かが笑ってくれたことで、私は「勝った」気分になった。



「いやいや、どこに勝敗が存在してるんだよ」と思われるかもしれないが、あくまでも私は個人的に、自分が犯したミスだとか、失敗、恥をかいたそれらを誰かが笑ってくれれば、ある種のネタとして昇華できた気がして、「失敗した甲斐があった」とさえ思えてしまう。



 ずいぶん前の話だけど、電車の中で端の席に座っていて、ハンカチを取り出そうとポケットに突っ込んだ手を引いたその勢いが強くて、手の甲を手すりにおもいきりぶつけてしまった。


 私は思わず「あたーっ!」と声を上げたのだけど、向かい側に座っていたアジア系の外国人女性が「ブッ!」と吹き出したのを見て、勝ちを確信した。



「だからなんだよ、その勝ちってのは…」


 それはなんだと問われても、「勝ち」は「勝ち」だとしか言えない。



 いつだったか、自分が犯したミス(というか、ちょっとしたドジ)に、一人で手を叩いてゲラゲラ笑っている人を見た。きっとその人も「勝ち」だった。


 って、私はその状況を見ていたのだから、私が笑うことでその人が勝ちになるのかもしれない。でもこんなに冷静に覚えていたということは、きっとそのとき私は笑っていなかったはず。


 しかしルールなんてないのだから、独りで笑えばいいのだろうし、機会があればいつか誰かに笑ってもらって「勝ち」を得ればそれでいいし、それがいい。



 まぁ、今回の件について、なぜそこまで苛立たなかったのかに関しては、笑ってもらえたのと同時に、個人的にもっと面白いものが、私の世界の主体になっているからなのだろう。



 悩みを器の中心に入れてしまうと、いくら掻き回してもその悩みは中心でじっとして動かない。だから、外側に寄せてグルグルとかき回してやればいい。


 そんなふうに教えてくれた人がいました。





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