第23回 走る前の準備


 姉が甥っ子を連れて家にやってきた理由は「ただなんとなく」だったらしい。


 私は自分にはできそうにない、ある種の直感に衝き動かされる身体操作を羨ましく思うし、むしろそういう行動こそがいいじゃないかとも思う。


 某Mドナルドの一件は先々週の話で、その実、先週も姉は家に来ていた。


 先週は旦那さんの実家に一泊二日で遊びに行った帰りに、お土産を持ってきてくれたのだけど、夕方に居間から姉や旦那さんの声がしていて、自室にいた私は「あぁ、来てるんだなぁ」なんてほんのり認識していた。


 どうやらそのとき、両親は買い物に出ていて家にいなかったらしい。




 姉はいまだに実家の鍵を持っている。だから家には入れる。いや、姉は結婚したとはいえ、私たちの家族であることには変わりない。もちろん、旦那さんも。


 私は自室にいれば(大半が自室にいるし、いまもそうなのだが)、この場にどういう話を吐き出そうかなぁ、とかなんとか考えていることが多いから、部屋の外の音は気にならないと言ったら嘘になるが、音の根源を調べようとは思わない。



「えっ、泥棒だったらどうするの?」


 と問われても、


「盗られるものなんてあったかなぁ」


 と、呑気に考えてしまっている時点で、防犯面が危うい。




 特に今回は居間からドタドタ、ドンドンというけっこう激しい音が聞こえていたのだが、それでも怪しさを感じなかったのは――、「いや、むしろそれは――」と思われるかもしれないけど、そのドタドタ、ドンドンは甥っ子が立てている音だとわかっていたから、「あぁ」と納得していた。



 とかいっておきながら、先々週の時点では、私は姉と甥っ子の到着を知らずに、でも居間からドタドタ、ドンドンが鳴り響いていたから、上手く歩けないアリシアのかわりに、両親のどちらかが走り回って遊んでいるのかと勘違いして、「バカな人たちだなぁ…」なんて勝手に呆れていた。


 でも真実は、甥っ子がその場で連続ジャンプをしている、もしくは居間を走り回っては急に転んでいる音だった。



 姉が部屋まで持ってきてくれた某Mドナルドの商品を食べ終わって、台所にゴミを捨てに行ったところで、私はその日、甥っ子と初めて顔を合わせた。


 開口一番、「おじちゃん、見てて」と言って、自分の腰よりも高いソファーから飛び降りて、床の上に着地したのを目の当たりにしたとき、甥っ子から捉えた「私」という人物が、いつの間にか「叔父」として確立されていたことに驚いた。



 と、こういうふうに言うと、


「おじさんじゃない、お兄さんと呼べ!」


 みたいな感覚になる人もいるのだろうけど、私はそう呼ばれるのが嬉しいからそれでいい。



 いやいや、そうじゃなくて、以前会ったときは人見知りをして、私と顔を合わせたとき大泣きをしていたちびっ子が、私を「知っている人」と認識して、なおかつ「おじちゃん」と、当然のように表現していたこと、高いところから平気でジャンプしていたことに驚かされた。


 なおかつ、母がいちいち甥っ子に「何歳?」と訊くたびに、(喋る人形を扱うみたいに、ちびっ子にしつこくこうやって訊く人を、たとえそれが親だとしても、私は面倒臭いと思っているのだが…)数字を口にして、さらに指でも数字を表してみせた。



 その言動に、お父さん(姉の旦那さん)が


「そんなこと、いつできるようになったんだよ」


 と驚いていたというから、外側の私からすれば、「更地だった土地に、いつの間にか家が建っていた」くらいの衝撃があるのは当然なのかもしれない。(どういうたとえだよ…)




 いつだったか、


「子どもの成長ってすごく早いし、ずっと見ていられる時間、一緒にいられる時間なんてほんの数年しかないから、その期間を大事にしたほうがいい」


 と母が言っていたのを思い出した。



 甥っ子を見ていたら、なんとなく頷けた。


 でも、それを私に言われても、私には何をどうすることもできないのです。





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