第11回 ユートピア乖離
そこまで強くは無くても、でもそれなりに悔しいのは、夢の中で優しくしてくれた女の子のその優しさだけはハッキリ記憶しているのに、目が覚めてしまえば容姿はおろか、その優しさの内容すらもすっかり忘れているからだ。
いや、よくよく考えてみれば、その女の子の像も、優しさの内容も、おしなべて私自身の記憶というか、内側から生み出されたものでしかないから、「してくれた」という言葉さえも、「私が私に」というセルフでしかない。
私が私に対しての優しさなんてのは、極論を言ってしまえば「甘え」といってしまっても、決して間違っちゃいないはず。
きっと人ってのは、自分自身が触れ得る諸事柄、その1つひとつにそれなりの理想像、理想の形、理想の答え、まあ、表現はどれでもなんでもいいのだけど、とにかくそういうものを抱いていて、訪れる現実を理想の方向へ推し進めようとしている。
というか、ある程度は導こうとしている、もとより理想が確立されていないと、現実的な事柄に触れようとしないのではないか。
というのは、ものすごく簡単に言えば、ある一定の理想的な形を有している、断片的な理想像を有しているから、その対象に好意を抱く。面倒な表現を省けば、まず相手をカッコいい、可愛いと思うから好きになってしまう。
もしくは、これになればお金持ちになれる(可能性)とか、この立場になれば有名になれる(可能性)から、それを目指してみようという真っ先の取っ掛かり、指標がその人の中で生まれるのではないか、とかそういうこと。
だから私が夢の中で見た優しい女の子は、決して優しい女の子ではなかった。
なんて不可解めいたことを言ってしまうと、
「あぁ、こいつ、いよいよ外出しなさ過ぎてもんまり芸者になっちゃったんだな」
と呆れられてしまうかもしれないが、つまり、私が夢の中で見たのは、「見た」のではなく、
「そんな女の子がそばにいたら、すごく嬉しいよね」
という、自分との対話を知覚していた、そのイメージを浮かべていただけの状態が夢という認識であり、「自分との対話」というのはいつだって「理想像の追求」なのだと思う。
出かけようかなぁ、とかなんとか言っておきながら、結局は家と職場の往復以外はどこにも出歩いていないから「外」と言ったら職場しかないのだけど、仕事をしている最中に、
「ここで働いてどのくらいになる?」
なんて、別の部署の人に訊かれた。
私は一定の数字を提示して「数年」と返した。でもその数字は、すでにその人が通り過ぎていた年数だったから、私はその職場にもっと長いこと勤務しているらしい。
でも、正確な年数なんて私は知らない。
正しく言い直せば、そんなの覚えていない。
たとえば、それが好きな仕事、自分がそう望んで足を踏み入れた事柄であれば、始まりや転換点や、ちょっとしたことでも覚えているはず。
私は望んで足を踏み入れた事柄については、それなりに覚えている。
(それなりなのかよ…)
望んでいない事柄――、という表現は粗雑だが、能動的に触れていない事柄に関しては、ただ時間が過ぎていて、その過ぎた時間、過ぎている(流れている)時間に他者が外部からなんらかの形(言動)で介入することによって、ハッと気付かされるくらいの遠さ、というか軽薄な感じしか見えてこないような気がする。
こうして喋り続けている間も、私はいまの職場にどのくらい勤務しているのか、まるで思い出せないでいる。そもそも思い出そうとしていない。
さっきの言い方を持ってくれば、そこに理想の形、像が欠片も無いからだ。
理想というものが、訪れる現実をその方向へ推し進めようとするある種の力なのだとすれば、理想がない場面は、現実を現実として流れる方向に流している、受動的に流されている虚無的な状態であり、その時間がものすごく無駄に思えなくもない。
でも別の視点で捉えてみれば、理想を考えられる、その「考える」の時間があるからこその「無駄に思える時間」という認識を得られている、なんて言い方もできる。
もしそれが一種の時間的余裕なのだとすれば、私はまだなににも、誰にも負けていないのではないだろうか。
(お前は一体なにと闘ってるんだよ…)
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