第10回 取り戻した秒針


 前回、ホントになにも思い浮かばないそれの原因は何なのだろうというそれすら思い浮かばないのは、暑さや湿度が要因になっているのだろうか、なんてことを書いたのだけど、どうやらほんのり風邪気味だったらしい。



 いや、発熱したわけではなくて、咳が出るとか、胸が詰まったような感覚があるだけだったから、やっぱり「気味」でしかなかった。


 だけど、終始眠かったのは、体を休めろという内側からの指令みたいなものだ。


 って、眠いのは相変わらずで、いま私の中で何が起こっているのか、私自身もよくわかっていない。




 じゃあ、とりあえず風邪気味から回復した今回は何か話題があるのかといったら、特にない。


 いや、その実、前回この場に記している最中は、


「そろそろどこかに出かけたいなぁ(出かけようかなぁ)」


 なんて思っていたのだけど、いざその段になってみたら、どうにも体が動かない。やっぱり眠い。だから外側から得られるはずの話のネタがなにも無い。




 無理に作ろうと思えばある。(どっちだよ…)


 でも、たとえば最近話題に挙がった有名芸能人の不倫云々について語ってみたところで、別に(私は)面白くない。


「あぁ、ネット上で散々こすられてきたゴシップはモノホンの情報だったんだなぁ」


 くらいにしか思えないし、そもそも不倫なんてしなけりゃ、秘密の手紙は存在しなかったし、誰が悲しむことも無かったんだから、問題は本人の意思なのでは。



 暴露系Yチューバ―に脅迫された云々で当人を訴えて、正義だとか体裁だとか弱者を気取るくらいなら、そもそも悪い事実や噂が立たない、誰にも信頼されるような誠実な生き方をしていればよかっただけなのでは。


 とか、そのくらいしか思わない。


 まぁ、私もいつ不倫をしてしまうかわからないから、そこんとこは強く非難できないのだが。(恋人すらいないお前が、よくもまぁ…)




 別にそういう話題が上がったとかではないのだが、職場のとある人が「自分は人間不信だ」というようなことを言った。


 しかしその人は能動的にも受動的にも孤立しているなんてことはなく、むしろ周囲と仲良くやっているふうに見えるというか、実際に仲良くやっている。


 まぁ、いざこざが起こらないように、必要以上に気を使っている感は否めないのだけど。




 で、よくよく話を聞いてみれば、つまり人ってのは、裏表(本音と建前)があって、接しているときはニコニコ笑っていても、内心ではなにを考えているのか、別の場ではどういう人間性なのかわからないその不安以上に、やっぱり不信感がある、ということらしい。



 あぁ、なるほど。とは思ったものの、でも普段、周囲には笑顔で接していても、私に他者への不信さ加減を吐露している状態、表情、姿は、その人の裏の顔なのではないか。


 いや、語った言葉が本音なのだとすれば、それこそが隠している表の顔であり、他者には偽りの顔を見せているのではないか。



 その人の話を聞いて内心でそんなふうに首を傾げた直感が私自身の裏なのか表なのか。兎にも角にも、首を傾げてしまったそれは、普段はひた隠しにしている私の本性なのだろうことは明らかだ。


 そして、その本性をこの場であなたに晒してしまえるのは、単に私の心地よさなのだろう。



 たとえば、通販番組や通販のコマーシャルの中で紹介される高圧洗浄機は、「これだけで簡単にあれやこれやの汚れが落ちる」というような、可視し得るメリットしか提示しない。


 それは「テレビ」という媒体のメリットでもある。


 だから高圧洗浄機を通販番組を経て購入した人の大半が真っ先に驚くのと同時に、悪い意味で気付かされるのは、使用中の音の大きさだ。ハッキリ言ってうるさい(と、私は思う)。



 母の知り合いの夫婦は、住んでいるマンションのベランダをキレイにしようと思って海外の某有名メーカーの高圧洗浄機を買ったが、あまりの音の大きさに隣の住人を気にして、たった一度だけ、短時間使っただけで、家に届いたときと同じ状態(箱に)戻したという。



 某海外メーカーの掃除機も同じだ。それだけの強力な吸引力の源は一体どこにあるのか。しかしテレビによって、聴覚からの情報は一切ふさがれ続けていた。




 もちろん、それでも使う人、使い続ける人はいる。


「近隣に迷惑がかからないくらいに大きな、広い家(敷地)に住んでいるから」


 もしそう言われたら、「じゃあ問題ないよね」と私は頷く。



 でもそうじゃない人もいる。そうじゃない人のほうが多いのではないか。


 後者に関しては、「自分にとってのメリット」だけを考えて生きていける人だ。


 それを一般的にどう表現するのかわかっている人は、多少の違いはあっても、きっと私と同じ感覚を持っているのだと思う。




 人間関係において、そういう機器を紹介、販売するテレビのやり方をある程度模倣するべきなのではないかと思うのは、善くも悪くも他者に対して表面(外面)を繕っておけば、大抵は穏便に「自己」が上手く作用するからだ。


 可愛い(カッコいい)人がその状態を意地でも維持していれば、その領域で踏みとどまっていられれば、他者との関係性は、その「可愛い(カッコいい)」がある前提で常に進む。



 外側に向けて「可愛い(カッコいい)」を強く印象付けてしまえれば、そうじゃない場面でも、相対している場面と同等のイメージを与えてしまえるのは、一種の錯覚であり刷り込みだが、そこまで達してしまえば、きっと人の印象なんて安易に揺るがないのだろう。


 あるいは、鼻の穴に指を突っ込んでいたとしても、それすら「可愛い(カッコいい)」として受け止められてしまうはずだ。(ホントに…?)




 まぁ、私の場合は、見た目の印象も悪いし、内心でも常にウサギさんのこととか、可愛い(もしくはキレイな)女の子のこととか、可愛い(もしくはキレイな)おパイのことを考え続けているから、どう転んでも他者からの像はズタボロに崩れている。


 だから偉そうなことなんてなにも言えないのである。




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