第6回 無意識の域


 仕事中にどこかに打ちつけてしまったらしい、腫れて広範囲にわたって内出血(皮下出血)を起こしていた右腕を母が見せてきた。


 肘を軽く打っただけらしいが、前腕の外側の肌の色が、私が見たときには青色や紫色ではなく、黒色に近くなっていて、その黒色の縁が黄色になっていた。



 母は皮膚が弱いのかなんなのか、今回のように「軽く」打っただけでも、そうやって広範囲に内出血を起こす。でも痛いのは打ったらしい肘のあたりだけだという。「らしい」というのは、大抵の場合、母は打ちつけた瞬間を覚えていない。それだけ「軽く」で腫れて内出血を起こしてしまうのだという。



「他人が見たら、なんか怪しまれそうだ」



 母が言わんとしていること、その冗談めいた言葉の中身というか、笑いどころはわかっている。


 でもどうしても笑えないのは、そういう青あざを見るたびに、誰のどこにできた青あざを見ても、私はいつだってY君のお母さんのことを思い出すからだ。






 ネット上でよく「トラウマ級の――」とか「アニメ、ゲームのトラウマシーン」なんてワードを見る。確かにネット上には、怖い映像や画像があちこちに転がっているし、アニメやゲームにもそんなシーンがよくある。



 でもそれらがトラウマに、心的(精神的)外傷になるのかといったら、いまいちピンとこない。


 そのピンとこない感じは「飯テロ」という言葉もそうだ。


 たとえば、夜遅い時間帯に不意に美味しそうな食事の画像を提示する、されると「飯テロだ!」となるのがそれだろうけど、でもテロリズムってそういうことじゃない。


それを言うなら、むしろゲリラのほうが正しいでしょ。「飯ゲリラ」




 あっ、でも「飯ゲリラ」って、略すとなんだか食中毒でお腹ゴロピーになったみたいだし、こういうふうにすでに世間一般に浸透、定着した言葉を訂正、修正するようなのって「空気が読めない」とかって煙たがられるのだろうから、単に「私は使わない」でいい。



 先日、テレビで五十歳くらいの男性タレントが「エモい」と言っていて、思わず「う~ん…」と唸ってしまったのと同じだ。


 無論、それも「私は――」というやつなのだが。







 話を戻そう…。


 Y君は小学生当時の友人で、ときどき彼の家に遊びに行ったのはプロレスのゲームをやっていたからだ。


 それは海外のプロレス団体のゲームで、面白かったのかと言われると首を傾げてしまうのだが、久しぶりにそのゲームタイトルを調べてみたら、某Ytubeのとあるゲームチャンネルでクソゲーとして紹介されていた。まぁ、異論はない。







 ちゃんと話を戻そう…。


 遊びに行くと、大抵の場合Y君のお母さんは家にいた。挨拶をすると笑顔で返してくれた。


 ときどきはY君のお父さんも家にいた。若干目つきが怖かったが、面白いおじさんという印象だった。


 妹ちゃんの姿はあまり見なかったけど、どこにでもある普通の家族という感じだった。Y君のお母さんがいつも顔のどこかしらに青あざを作っている以外は、普通の家族という感じだった。





 いや、たったそれだけでは「何が」という原因を「これである」と的確に指し示してしまうことはできない。他の理由だって考えられなくもない。



 でも数年前に、少しの期間だけ職場で働いていた主婦が、私の上司との不倫関係にあったことが旦那さんにバレて、ある日出勤してきたときの顔の腫れやあざの感じによって、古い記憶が呼び起こされたY君のお母さんのそれが、いよいよ私の中で確信に変わった。



 私はその主婦に同情なんてしないし、いまも職場に残っている上司のことは力の限りに蔑んでいるが、Y君のお母さんの場合は、青あざを作る要因、原因は、Y君のお母さん自身にあったのではなく、あるいは「特定の誰か」による、一方的なモノだったのではないか。





「何を見たり、知っていたりしたわけでもないのに、適当な擁護はできないだろ。ともすれば、そのY君のお母さんだって――」



 もちろんそうだ。でもちょっと違うように思った、「一方的に――」という私なりの答えに至ったのは、子ども(Y君)への影響を考えてのことだった。





 Y君は普通に遊ぶのであれば楽しい相手だったが、どことなく好戦的だというか、平気で他者に手を挙げられる部分があった。彼が上級生とケンカしていたのを見たこともあった。



 平気で人を攻撃してしまえる、悪いことをしてしまえる男もいるし、もしくはケンカが強い男が好き、不良をやっている男が好きだという女の子も世の中には存在しているらしい。


 ハッキリ言って、それらは最低の感覚だと思う。まともな人間なら、進んで人を傷付けようなんて考えないはずだし。





 Y君がけんかっ早かったのか、不良だったのかといったら、決してそうじゃない。でも私も一度だけ殴られたことがあった。


 それは彼の提案に対して、私が否定的な意見を出したときだった。彼は私の言葉を聞いたあと、少し黙ってから、急に私の顔を無言のまま殴ってきた。



 言葉が見つからなかったのか、私が的を射たことを言ってしまったのか。


 とはいえ、その「無言で殴る」という行為が、私は、


「自分に従わない者は力で圧する」


 というそれが自然に出てしまうのは、常にその状態を間近で見ていて、悪い意味で学んでしまった後天的な遺伝なのではないか、なんて気がした。




 さっき私はトラウマの話をした。


 でもそれは、私が私の母の腕の腫れと青あざを見たことで、誰のどの箇所の青あざを見ても、Y君のお母さんの顔の腫れや青あざに行き着く記憶のこと以前の問題だ。


 つまり、Y君とY君の妹ちゃんは、間近で触れてきた、目の当たりにしてきた両親のある種の主従のような関係性によって、心的外傷を受けていた、あるいは後天的に植え付けられていた形があったのではないか、というほうが強い。





 私はもういい年だけど、独身だ。って、そんなことは改めてあなたに伝えることではないのだろうけど、しかしそれは私がそうだ(モテない)というだけだ。


 同年代の人たちは、すでに結婚をしていて、子どもを育てているほうが圧倒的に多いはず。Y君だって後者である可能性のほうが近いだろう。



 だとすれば――、そういう両親の関係性を、父親のそういう態度や行為を目の当たりにしてきたY君自身の異性への態度は…、Y君の妹ちゃんの異性への態度は…、なんて身勝手に邪推してしまう。




 まぁ、私が考えたところで、なにが解決する問題でもないんだけど。


 なんて、なげやりな態度はズルいのか…。






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