第4回 都合と錯覚の交点


 とある芸能人(女優?)が第二子を妊娠したんだか、出産したんだかというニュースを見たと、母が私に言ってきた。



 妊娠したのか出産したのか曖昧なのは、個人的にはどっちでもいい以前にどうでもいいからなのだけど、その人の旦那さんも芸能人で、数年前に数々の女遊びを週刊誌だったかに暴露されて、謝罪会見までさせられていた。


 世の人、特に女の人は敵として散々批判していたし、旦那さんは当然のようにテレビにも出なく(出られなく)なってしまった。





 女遊びの騒動に関して、当時から私が特に何も思わなかったのは、私にとっては(もっと言ってしまえば、批判していた大半の人には)どうでもいいことだったからで、なおかつ、別の角度から捉えれば「羨ましい」とさえ思う部分もあった。



 というのは、浮気をしてしまえるほどにモテるという事実があるからだ。


 まぁ、それ以前に仕事がたくさんある、毎日忙しいとかなんとか吐かしている売れっ子芸能人様が、どうしてそこまで遊べるのか、そういう時間があるのかという疑問は常に持ち続けているのだけど。

(欲望のためには無理をしてでも時間を作るとかそういうことなのだろうか…)




 あっ、いや、浮気してみたいとか不倫してみたいとか、そういうどうしようもない邪な気持ちではなく、単純に一度くらいはモテてみたいという意味。


 キャーキャー言われて「よせよ、カッコいいって言うなよ」と返してみたいだけ。

(願望を持つだけなら誰に怒られることもない…)




 その第二子云々の女性芸能人は旦那がそんなだから、状況や環境を不憫に思った母はずっと、


「(女性芸能人が)あんな美人なのに可哀想だ」


 みたいに言っていた。




 先日、何の気なしに流していた某Ytubeの動画の中に「あの芸能人の意外な素顔、意外な過去」みたいなのがあった。


 そこでその女性芸能人は、まだデビュー当時だったのか、金髪でギャルメイクで、メディアのカメラが回っている前で(当時の)恋人の車で無免許運転していたことを自ら暴露してケラケラ笑っていた、という話とそのときの画像が載っていた。




 また別の若い女優さんも昔は不良で、こういう姿でこんなことをしていたみたいな話と画像があったのだけど、さっきも言ったとおり、そんなのは、私はどうでもいい。


 ものすごくわかりやすく言えば、関係ないから。


 関係ある人だったら、きっとそれなりのリアクションをするというか、何かしらの感情が湧くのだろうけど。





 でもその人たちの過去と現在を見て「あぁ」と納得したことがあった。


 大抵の女の人は、艶のある黒色かそれに近い色のストレートロングヘア―で、さらに落ち着いた化粧をしていれば、誰の目にも「この人は清廉潔白なお嬢様」的な印象を安易に与えてしまえる、錯覚を生み出せてしまえるんだなぁ、ということ。




 その女の人たちが独身だったころに「世の男性に聞いた恋人にしたい芸能人ランキング」みたいなアンケートをテレビや雑誌がやっていて、(さすがにいまはもうないだろうけど…)その人たちが上位にランクインしているのを見たことがある。


 つまりは、アンケートに参加した何割かの男性諸君は、すでに安易な錯覚にだまされていたわけだ。



 


 カテゴリーなのかジャンルなのかわからないけど、「清純派」という言葉がある。


「派」というのは、類であり、属だから、「清純派」と指し示されるその人は、決して本物の清純じゃない。もっと言えば、本物の清純なんて(人間には)存在しない。





 たとえば、「清純」という言葉を前面に押し出すと、黒髪ロングで落ち着いた化粧をしていて、しとやかに見える角度と表情で立っている、そんな一枚画がイメージできる。



 でも、なんかそれって、


「自分の言うことをなんでも聞いてくれる、こんな感じの子がいたらいいのに…」


 という、男が頭の中で描いている身勝手な妄想にかっちりとハマりそうな気がする。



 そんなのは、やっぱりイメージの域を出ない、ある種の空想上の怪物のようなモノでしかない。



 とはいえ、決して黒髪ロングを否定しているのではない。


 私もその髪型は素敵だと思っている。


 まあ、髪の色が派手だとしても、その人に似合っていれば、私はそれがなによりもいいのだが。




 でも、もしその髪型(黒髪ストレートロング)であることを、本人がその髪型にしたいからそうしている以上(以前)に、他者に向けた作為的な活用方法としての一種の「形式」になっているのだとすれば、あくまでも私自身は印象として残さない。






 先日、SNS上で、


「アイドルはウ〇チなんてしない、なんて妙な理想を押し付ける人のほうがよっぽど汚い」


 みたいなことを言っていた人がいたけど、捉える側も捉えられる側も、つまりはそういうことだと思う。





 いや、テレビやネットの向こうの役者やアイドルを盲信するというのは、あるいは相手が自分と同じ人間だという事実を忘れてしまう、忘れてしまえる歪んだ幸せなのかもしれない。


 でも、あいにく私はその(幸せの)領域に踏み入ったことがないから、こういう発言はあくまでも憶測でしかないし、そこからしか語れない。





 さっきの某Ytubeで見たあれやこれやのゴシップを口にしていたら、母は、


「まつりちゃんはそうじゃないわよね」


 と、自身がファンであるナントカ坂のまつりちゃんの心配をしていた。



「えっ、大丈夫じゃないの…」としか返せなかったのは、私はその「まつりちゃん」が何坂の子で、どんな容姿なのかをまるで確認していないからなのだが、まぁ、わかんないけど、うん、大丈夫だと思う。




 なんて適当な返事をしてしまうと、その実、あなたも「まつりちゃん」のファンだった場合、


「違うに決まってんだろ!」


 と、板氷で頭をぶっ叩かれた挙げ句、その板氷をお湯で溶かして証拠隠滅されてしまいそうだから、「知らない」とか「よくわかりません」と言ったほうが、まだ潔いと思う。





 母が「そうじゃないわよね」のあとに続けた、


「あの子がそんなふうだなんて、絶対に思えない」


 という発言が、どうにも「うちの子に限って――」のような響きを含んでいたような気がして…



 あっ、いや、強く信じているんだなぁ、なんて思ったし、信じるってことは強いんだなぁなんて思ったということです、はい。

(濁して逃げやがった…)






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