第3回 「悲しい」の着地点


 アリシアは相手が誰であろうと、どんな人物だろうと、興味があれば近付いて、しつこいくらいにまとわりつく。特に見知った相手に関してはそれが色濃く出る。



 自宅から道を挟んだ向かい側の奥の家にはおばあちゃんが住んでいる。アリシアは散歩の途中でわざわざ家の前まで行って、おばあちゃんが出てこないかしばらく待つこともあった。


 そこでは昔、黒色のラブラドールレトリーバーを飼っていた。その子が亡くなったあとはコッカー・スパニエルという、垂れ耳でパーマがかかったような毛に覆われた犬を飼っていた。


 しかし、そのどちらもルークとシェルの世代だから、アリシアは直接会ったことがない。




 そのコッカー・スパニエル(名前をど忘れしてしまった)がいたころには、もうおばあちゃんの視力も聴力も弱くなっていたはずで、ある日、おばあちゃんが「飼い犬が倒れて動かない」と言って家を訪ねてきた。


 父が見に行ってみたら、コッカー・スパニエルは息を引き取ったあとだった。


 

 その一件が起こったのはルークが亡くなって1、2週間後のことだったから、父はたとえ他人の家の犬だとしても、その死を目の当たりにしてさらに落ち込んで、ペットロスに拍車がかかったのは言うまでもない。





 そうやって長いこと犬と触れ合っていたから、向かいの家のおばあちゃんも犬(動物)が好きなのはよく知っていて、だからはじめてアリシアを紹介したときも、我が子(もしくは孫)のように喜んでいたし、可愛がってくれた。



 でもそれは人間側から捉えた一面であり、側面だ。



 というのは、いまそうやって話した時間の流れ、大袈裟に言えば歴史は、私たち人間の側が「知っていること」であり、「認識していること」でしかない。



 じゃあアリシアが初対面からおばあちゃんにものすごく好意的だったのは、何らかの形で私たちの歴史を知ることがあったとか、かつておばあちゃんと暮らしていた犬たちの匂いが、おばあちゃんに残っているとか、染み付いているとか…


 って、そういう考えはある種のストーリー性があって面白いとか、感動的だという人間の身勝手なイメージだというだけで、ホントの答えはアリシアしか知らない。



 というか、アリシアは性格的に、素直に人間が好きだということでしかないのだろうし、もっと別のストーリーを考えようと思えばいくらでも浮かぶのだけど、事実はそういうことなのだから、そこんとこは、まあいいや。

(創作意欲を面倒がるなよ…)






 で、アリシアが見知っているもう一人は、十四歳だったか十五歳になる老いたシーズー犬を連れている明るいおじさん。


 時々は奥さんが連れているときもあるが、でも大半はおじさんが連れている。




 散歩のときもよく会うみたいだし、日曜日の午前中に父が洗車をしていると、家の前を通りかかったおじさんが父と挨拶を交わしたあとに、


「あら~、アリシアちゃん!」


 と言っている、少し高い声を私は何度も耳にしている。




 正直なところ、そこまでおじさんに懐いているアリシアのことも、アリシアのことを必要以上に可愛がるおじさんのことも、老いたシーズー犬は常に不機嫌そうに眺めているらしいし、アリシアがシーズー犬に挨拶をしようとすると、結構な具合で怒るという。


 いわゆる嫉妬なのだろう。そりゃそうだろうなんて思わないでもない。





「あら~、アリシアちゃん! どうしたの~、ん~、ん~、そっかそっか~!」



 この「ん~、ん~」の部分は、アリシアがおじさんの顔、特に口の周りを重点的に舐めているタイミングらしくて、父は内心、「アリシア、やめろ!」と思っていたという。




 私はそれを聞いてゲラゲラ笑っていた。でも、もし生前のチューちゃんの頬に、他人(おじさん)が「可愛いねぇ~」なんていいながら、チューをしていたら、きっと私もムッとしたのだろう。



 でもでも、もしそれが女の子で「チューちゃん可愛い~」なんて言って頬にチューをしたら、私はその女の子からチューちゃんを奪い取って、女の子の唇が触れたチューちゃんの頬を吸う。力の限りに吸う。


 もしあなたが男だったら、わかるでしょ、この気持ち!

(わからんよ…)





 もしあなたが女の人で私の側に立ったら、「吸う」なんて行為はしないし、気持ちなんてわからないかもしれない。


 女の人は女の人で「ヘゲめる」のかもしれないし、もしくは「ゴベみる」のかもしれないし、逆に「ミピける」のかもしれない。


 ねぇ、それってどういう行為なの?

(知らんがな…)





 じゃあ、もし吸わないのであれば、あるいは私は全裸にウサ耳カチューシャだけを付けた状態で、


「換毛期でほとんど毛がないけど――、ある部分にはあるけど(黙っとけ)、ぼく、チューちゃん」


 と名乗って、自らの頬にチューを要求する。まずは「可愛い~」と言ってもらってから。

(全力のグーで引っ叩かれろ…)








 ある日、母がふと、


「そういえば、最近おじさんの姿を見かけない」


 と言い出した。




 確かに私も、最近は日曜日の朝の「あら~、アリシアちゃん」という少々高い声を耳にしていないことを思い出した。


 私と母の頭をよぎったのは、老いたシーズー犬のことで、でも話を聞く限りでは、まだまだ元気そうだったみたいだけど、ルークは老いても走り回るくらい元気だったのが、ある日の夜、不意にガクッと崩れるように倒れて、そこから一時間もしないうちに息を引き取った。


 向かいの家のコッカー・スパニエルもそんな感じだったのかもしれない。



 だからおじさんのところのシーズー犬も、ともすれば急に亡くなったのかもしれないし、もしそうだとすれば、散歩に出る理由もなくなってしまうだろう。という話で結論付けた。






 先週、アリシアの散歩中だった父が、おじさんの奥さんに道端で会った。やっぱり奥さんはシーズー犬を連れていなかった。



 どうしても気になった父がそのことを訊いてみたら、約三週間前におじさんが亡くなったのだという。





 おじさんはガンを患っていたようで、体の表面に違和感(腫れ)として出たのが、下半身のちょっと人に見せるのが恥ずかしい部分だったから黙って放っておいたら、病院に行ったときにはもうかなり病状が進行していたらしい。



 その実、母は術後のおじさんが老いたシーズー犬と散歩していたときに一度だけ会っていた。


「何の、どういう」という部分は訊かなかった(訊けなかった)ものの、手術をしたことだけは、おじさんの口から直接聞いていた。でもそのときも、あまり調子がよさそうには見えなかったという。




 おじさんが連れていたシーズー犬はまだ元気で、奥さんは、


「いまはあの子が気を紛らわせてくれている」


 と言っていたらしい。




 私はこの話を数日前の夜に母から聞いて、すごく驚いた。


 アリシアはその事実をまだ知らない。


 いや、この先もずっと知ることはないのだろう。







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