第10話 蟹爪フライ

「すごい・・・」

タキジは思わず呟いていた。それほどまでに、チュウヤの操縦は巧みなものだった。自分ではああは行かなかっただろう。思考操縦というのは、思った通りに機体が動くことに変わりはないが、その実自分の思考に縛られてしまうことに他ならない。つまり、自分の運動能力以上の事を想像する事ができなければ、それはただ巨大な自分が蟹と戦うことに他ならない。チュウヤはその身体能力もさることながら、思考を研ぎ澄ますことによって、自分の身体能力以上のスペックを叩き出すのだ。だからこそ、ヒートナイフを正確無比に関節の弱い部分に叩き込み、交差法で威力を倍増、ハサミを切り落とす様な事が可能になるのだ。

「カニカマ4と7でハサミを回収、そのまま機動車まで運び込め」

予想よりも早い事態に少佐は動揺するどころか、作戦を即座にアップデートし、指示を飛ばす。切り落とされた蟹の鋏がカニカマによって回収されていく。これで相手は敵からただの巨大の標的に成り下がったのである。


「期待はずれやな。つまらん」

誰にも聞こえない音量でコクピットで呟くチュウヤの目は、それでも暗い炎を湛えたまま、静まってはいなかった。あとは捕食用の小さな鋏に細心の注意を払いながら、トドメを刺せばいい。切断面にナイフを差し込んで中から茹で上げてもいいし、足の全てを折って生捕りにしてしまってもいい。もしかしたらその方が研究期間は喜ぶのかもしれない。どちらにせよ簡単だ。自分の腕での復讐が、こんなにも簡単だとは思わなかった。これからもこのレベルなら簡単だ。プロレタリアの反応も自分の期待通りだ。倒せる、妹の仇を、復讐を、遂げる事ができる。

チュウヤの視界がぐにゃりと歪んだ。

(・・・生捕りに、する、だと? )

何を自分は甘い事を言っているんだ?こいつらは何をした?

ただ、殺して、喰ったはずだ。それなのに、誰が喜ぶ?研究?

チュウヤの思考が黒く塗りつぶされていく。プロレタリアが流れるようにナイフを逆手に持ち換えると、三角跳びの要領で跳ねるようにビルを登っていく。

「チュウヤ!止まれ!もう勝負はついてる!」

耳元に少佐の声が響くが、チュウヤには届いていない。チュウヤの耳は妹の声だけで埋め尽くされていた。


「大きなったら、何にでもなれるんよ」

「せやから、お兄ちゃん、諦めたらあかんよ」

「うち?うちは、大きくなったら、何になりたいやろなぁ」

「まだわからんなぁ、でも、何にでもなれるからなぁ」


記憶の中の妹はずっと笑顔だった。笑顔のまま、動かなくなった。その笑顔は永遠に更新されることはなかった。そして、もう二度と見れなくなった。

「クソでかい図体晒しよって、大きなった分何にでもなれるわ。刺身か、茹で蟹か、すり身にもしたらあ」

プロレタリアが、高所からその体重をナイフ一点に集中し蟹に向けて飛び降りる。

その動きを防ぐ鋏はすでに切り落とされている。ただの打撃では甲羅にヒビを入れるのが関の山だが、その質量全てをかければ、貫くことすら可能だろう。コクピットで叫びながら、その瞬間、チュウヤの顔は愉悦に歪んでいたのかもしれない。

蟹が、命を乞う様にこちらを見上げるが、プロレタリアに働く重力に慈悲はなかった。人間で言えば眉間、黒々とした目と目の間にそのままナイフが吸い込まれた。


「ヤァ、ここまでやるとはなぁ」

プロレタリアの着地の衝撃で転がってしまったカニカマのカメラ越しに惨状を眺めながら、カーンはつぶやいた。恐ろしさよりも、誇らしさが強かった。自分の作り上げたプロレタリアの性能と、それを十二分に引き出すパイロットと巡り会えた自分の強運に。そしてこの戦果に惚れ惚れとしていた。蟹の甲羅は真っ二つにわれ、中身を周辺にばら撒き、半ばクレーターと化した着地点を蟹のカケラで彩っていた。カニの残骸を身に浴びたプロレタリアは、自分の働きに満足したかのように周りを見回していた。無線機からは少佐の指示が飛び、カニカマ達は周辺の安全確保や被害状況を報告しているが、カーンはそんなことはどうでも良かった。プロレタリアとチュウヤがいれば、もっともっとすごい遊びができる、そのためにはさらにどんなおもちゃが必要か、彼が思考の海に漕ぎ出そうとした瞬間のことだ。

「あら?」

カメラの画角外から飛び込んできた何かに、プロレタリアの右腕が切り落とされた。


何が起きたか、誰にもわからなかった。その倒し方の凄惨さはさておき、蟹は倒した筈であり、プロレタリアを攻撃する存在はどこにもいない筈だった。それなのに。


「カニカマは周辺を360度警戒で報告しろ! プロレタリアは下がれ!」

少佐の叫び声が無線機越しに突き刺さる。即座にカニカマ達は隊列を組み直し、報告を開始する。

「少佐ぁ!取り囲まれてますぅ! 」

「飛翔する敵性体多数!ざっと20ほど! 」

報告と同時に映像が集約される。プロレタリアを取り囲んでいるのは、本体から切り離された様に空中に浮いている蟹の鋏だった。


飛翔する蟹の爪、蟹爪フライである。


「プロレタリア!プロレタリア!下がれ!」

少佐の指示は続いているが、チュウヤは反応しない。

「少佐、カーンです。プロレタリアは動けないかもしれない」

「どういうことだ? 」

プロレタリアは操縦者の思考と共有して動くが、その為に一部感覚を共有するシステムになっている。完全に共有をしているわけではないが、攻撃を受ける前のチュウヤの感覚の昂りと、右腕を切り落とすというダメージの大きさから考えると、その衝撃でチュウヤの意識へ相当のダメージがあったことは想像に難くない。

場合によってはコクピットの中で気絶しているかもしれないのだ。

「ええい、面倒な仕様だな!」

カーンの説明と少佐のイラついた声を聞きながら、カフーはタバコに火を付けた。

髭を撫で付けながら、端末をいじり、タキジにヘルメットを投げつけた。

「坊主、出番だぞ」

「え、あ、はい!」

突然の事にチュウヤの心配で頭がいっぱいになっていたタキジは驚いた声を出した。そうだ。チュウヤが、プロレタリアが動けなくなった時の予備、それが自分なのだ。一瞬で、タキジの意識が作戦行動用に編み上がっていく。

「俺がカニカマでおもちゃまで運んでいってやる。友達も守って、作戦も遂行する。男の見せ所だな。」

そういうとカフーはタキジの背中をぱん、と軽く叩いた。

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