第9話 「久しぶりやな、蟹」

「大きなったら、何にでもなれるんよ」

今ではもう顔も思い出せないのに、声だけはずっと脳裏に響く。父も母も仕事で家におらず、保育施設でも一人になりがちだったチュウヤの少年時代を支えていたのは妹の存在だった。工業地域で育った彼らが目にする大人は希望を失いがちで、死んだ魚の様な目で働く者が多かった上に、子供達もそんな大人になる事しか考えられない子供ばかりだった。ただ学校に生き、義務教育を受けた後に工場に勤め、そして何者にもなれずに死んでいく。そんな流れに絶望していたチュウヤに、妹は希望を与えた。チュウヤの非凡な才能を見抜いていたのか、彼を励まし、希望を示し、そして


巨大蟹の被害に遭い、幼くしてその命を亡くした。


しかし、皮肉な事に彼女の死がチュウヤの才能を開花させた。

本人の強い希望で入学した蟹高専にてトップクラスの才能を記録し、二年次から始まったカニカマ操縦の演習では実務に就いている隊員よりもそのスペックを引き出した。機動性、操作性、対蟹戦闘に置いての作戦行動実習でも高専始まって以来の成績をマークしたのだ。それは彼の強い蟹に対する怒り、恨み、それが研ぎ澄まされた結果だった。教員達の八割が彼のシュミレーターテストを見て彼をパイロットに推薦した。だが、一部の教員達の物言いによってチュウヤは補欠パイロットの席についた。その内容は「チュウヤの行動は、蟹に対する復讐心が滲み出すぎている」と言ったものだった。


タキジ達を乗せた装甲車が作戦位置に到着する。チュウヤとカーンは作戦開始前に別車両で運ばれているプロレタリアの元に向かっており、今はもう装甲車にはカフーとタキジしか残っていない。カフーは甲殻迷彩に身を包み、タバコを吸いながらコンソールを眺めている。タキジも、作戦が映し出されているそれを真剣に眺めていた。今回のタキジの任務はチュウヤの予備であり、作戦を把握しておく必要性があった。タキジの出番が求められていないとはわかっていても、だ。モニターに映し出されているのは蟹を放射状に取り囲むカニカマ達と、そこから少し離れた位置で息を潜めるように待機しているプロレタリアの配置図である。サブ画面には、カニカマ達の視界カメラから送られてくる巨大蟹の映像が表示されている。タキジは見ていることしかできない自分の立ち位置に、歯を食いしばるしかなかった。自分の手で復讐を遂げたいと言う気持ちよりも、自分に見合った力がない為に何もすることができない事の悔しさが胸を占めていた。自分は、カニカマに乗って補佐に回ることすらできないのだ。タキジはただ何もできず、画面を睨みつけていた。


「システム確認、意識接続、クリア。バイタルシグナルも安定、と」

別車両でプロレタリアのステータスをモニタリングしているカーンは手元の端末にデータを打ち込んでいく。不本意ながら、彼の内心はワクワクしていた。自分が開発したプロレタリアが、導入され、実戦投入されている。その事実だけで興奮が止まらなかった。そもそもロボット工学にかけられる予算が生物学に傾いて行き、斜陽となっていた所に思いついた一発逆転の奇策があれよあれよと言うまに実現するやらそのまま配備されるやらで、普段の自分なら踊り出しかねない場面に、あまつさえ自分自身が居合わせているのだ。顔に浮かびそうになる笑顔を自然なものに押さえつけるのがやっとである。先ほど装甲車の中でカフーにプロレタリアをおもちゃと呼ばれた時、どきりとした。自分がおもちゃ感覚でプロレタリアを作った事がまさかばれたのかとも思ったが、思い過ごしだった。機動隊風情に自分の感覚がわかるはずがない。

「いいかい、チュウヤくん、プロレタリアはセミオートになってる。思考同期も走るが、マニュアルでの操作の方が上位、シュミレーターと同じ状態だからね」

「了解」

少年の短い返答も心地よかった。彼が成績を上げればあげるほど自分の評価につながる。そうすれば、もっと、もっと面白い物が作れる様になるはず。

「装備はヒートナイフとカニカマと同じワイヤーガンが左腕に装備されてる」

そういうと、カーンはちらり、と自分の端末を見た。

実際のところ、今回車両にはもう一つ、プロレタリア用の装備が積んであった。

しかし甲殻警備隊の作戦にそぐわないと、今回は運用されないことになった。

それがカーンには不満で仕方なかった。自分が考えたかっこいいおもちゃのかっこいい所を見せられず、反則扱いされることに、納得がいかなかった。それなら、開発前に止めてくれれば、もっとカッコいいものを作れたかもしれないのに。

少しイラついてきたカーンの耳に全体向けの通信が飛び込んできた


「作戦を開始する」


少佐の声が無線を通して聞こえた瞬間、カニカマ達が動き出した。

直線ではなく、円を描くように。一定の速度ではなく、緩急をつけた速さで。

今日の作戦では甲殻迷彩をオフにしているからか、カーキ色の車体が鈍く光っている。今回の作戦内容は単純だ、こうして動くカニカマ達が外敵として巨大蟹の巨大なハサミでの一撃を誘う。一機が囮となり、それを回避したところに他のカニカマ達がワイヤーガンを打ち込み、徐々にその動きを制限して行き、動けなくなった所をプロレタリアが一撃を入れる。巨大蟹のハサミは巨大化しているが、その関節まではその限りではない。つまるところそこに一撃を入れることで自重で腕が落ちる可能性が高い。武器を無効化した後に、あとはじっくりと料理していけばいい、と言うのが今回の作戦である。確かに、プロレタリアの操作においても一撃でピンポイントな一撃を放つ必要がある為、作戦成功率を上げるのであれば、操作訓練を受けているチュウヤが適任に思われた。

「おーい!こっちだよー!」

「鬼さんこちらー!」

思い思いの声を上げながら、カニカマが巨大蟹の攻撃を誘う。一定の距離に進行すると、蟹がハサミを振り上げ、地面を抉り切っていく。その度、小さな銛が打ち込まれ、ワイヤーが繋がれていく。現在打ち込まれているワイヤーは4本、計算上としてはワイヤーが15本打ち込まれれば安全な速度まで縛り付ける事ができるはずだった。しかし

「ワワワー!」

攻撃を回避したカニカマが一機、蟹が削り取った足場が崩れ、横転した。カニカマは横転したところで自分で立ち上がる事ができる。が、受け身をとった人間のように即座に行動できるわけではない。その隙を、蟹が見過ごすわけがなかった。ハサミを大きく振り上げ、横転したカニカマに風切音を響かせながら巨大な鋏が振り下ろされる。切ると言うよりも叩き潰す、そんな一撃だった。しかし


「青鯖目の前にしたみたいな顔でがっつくんちゃうで、クソ蟹」


カニカマのカメラの前に急に現れたのは高振動波式加熱ナイフを構えたまま高速で動くプロレタリアだった。プロレタリアはカニカマを蹴り飛ばし、その反動を利用して信じられないスピードで蟹のハサミ側に飛び込むと、稲光が走った。それがチュウヤが放ったヒートナイフでの一撃である事がわかったのは、衝撃音と土煙を上げながら蟹のハサミが切り離され、地面に転がってからだった。

「久しぶりやなぁ、かにぃ」

コクピットに響くチュウヤの声は、喜びに満ち溢れていると言うのに、その顔は全くの無表情で、目だけが爛々と輝いていた。

「悪いな、殺すで」

彼の声は、誰にも聞こえる事なく、彼の心の闇吸い込まれていった。

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