第6.5話 ファイトクラブ/蟹喰い猿


「と、いうわけで今回は漁港に襲来した巨大蟹二匹、被害総額は六千八百万円、被害者総人数は行方不明三十二人、重傷五十四人となりました」

薄暗い部屋でそう告げるのは、純白のスーツに身を包んだ男だった。周囲には誰もいない。ただ、無人のカメラがその男を写し、その映像を世界に配信していた。

巨大蟹の被害を放送しているのは、ニュース番組ではない。世界がこの配信を見つめながら待ち侘びていたのは、男の次の言葉だった。

「被害予想的中率一位は会員ナンバー0239の方ですね。配当金は四億円となります。ご指定の口座にご指定の方法で振り込ませていただきます」

配当金。的中。その言葉が指し示すことは一つだった。

この男は胴元として、巨大蟹の被害を賭けの対象にしているのである。

そして、その人命を賭けたギャンブルに参加している人間が多くいるのだ

「なお、本日この蟹は甲殻機動隊の手により駆除され、二体とも殺害されたとのこと。この点を鑑みまして配当は通常の二分の一としております。ご了承ください」

男がそう告げると、モニターには多数のメッセージが届いた。砂が流れるように大量に届いたメッセージを一瞥すると、スーツの男は小さくため息をついた。

「ご不満のようだね、諸兄」

カメラ越しにも伝わるくらい、男の纏っていた空気が変わった。

それまでは完全に下手に客を相手に商売をする口調だったが、今はそれを全く感じさせない威圧感を身に纏っている。

「君たちは安心安全の賭けを行っているが、その程度の愉悦でピーチクパーチクとよく囀る。私は的中率一位の人間に損はさせていない、何が不満なのかね?」

配信画面を埋め尽くしていたメッセージがピタリと動きを止める。

「命が安全な位置で金を動かして生産階級の死を駒にして愉悦に浸っている諸兄らを楽しませる不確定要素が新たに投入されたのに、何故笑わない? 私には到底理解できないよ」

男は薄ら笑いを顔に貼り付けながら立ち上がる。

「諸兄らに軽薄な命のギャンブルの楽しみを私は送り続ける。蟹の生存に関するベット項目が以前からあったが今後はこちらの項目が大いに盛り上がるだろう、ルールは何も変わっていない、卓のカードはシャッフルされた、次回をまた楽しみに待つのが紳士淑女というものだ」

カメラを見つめ、常人では生涯浮かべることが出来ないような、蕩けたような、それでいて自分の半身が引き裂かれたような笑顔を浮かべながら男は言った

「それでは、次のギャンブルでお会いしましょう、闘蟹賭博会ファイトクラブの皆様」

男がカメラに向かって一礼すると、回線が静かに切れた。

なんの音もしなくなった部屋で、男は一人、頭を下げたまま体を震わせ、クツクツと噛み殺した笑いが体の奥底から湧き上がるのを感じていた



*************************



「お兄さん、安くしとくよ。上物だ」

そう話しかけてきたのは、漁業関係者の様だった。

「おぉ?」

煙草を吸いながらぼうっとしていたところに話しかけられ、男は少し面食らった様だった。癖毛を撫で付けて一つに括った髪に髭の伸びた大男に、好んで話しかけてくる人間もそうそういないと踏んでいたのだ。それなのに、暗がりから急に出てきた男は自分に真っ直ぐに話しかけてきたものだから、少し驚いたのだ。

「上物?なんだぁ、いい話か」

男の話に笑顔を浮かべながら聞き返す。こういう手合いには少しでも怪しんだら話が終わってしまう。ましてや相手はこっちを選んで話しかけてきたのだから、聞いてみて損はないだろう。

「ついてきな」

漁師風の男はニヤリと笑って顎で示すと、歩き出した。

どの世界でも、人の出入りが多ければ情報の出入りも多い。そうなるとこう言った手合いも増えてくるのだ。非合法な物品や薬物、武器の類に人身売買、そして

「ここだ」

「なるほど」

二人がたどり着いたのは、巨大な冷凍倉庫だった。そして、ここにたどり着いた事で上物が何かが必然的に判明してしまう。促されるままに入った倉庫の中に保管されていたのは、巨大蟹の死骸の一部だった。

元々食用だった蟹を巨大化した流れからのイレギュラーで発生した巨大蟹被害、蟹の肉は食用であるということは忘れられがちではあるが歴然たる事実である。基本的には蟹に出会ったら逃亡する以外の選択肢は漁師たちにはないが、ごく稀に護身用の兵器を積んでいる漁船が運の良いことに蟹の一部を回収することがある。足の一部やハサミの一部など。しかし、それらは基本的に甲殻機動隊を通じて研究機関に召し上げられてしまう。命の危険を犯して手に入れた蟹をみすみす無料提供させられてしまうのである。だからこそ、こうして闇で売買されるのだ。

「この前漁港が襲われて船が潰されちまってな。どうしても金がいる俺に、神様のプレゼントってことかな。兄さんぼうっと立ってたけど隙がなかったからな、良い売り手知ってそうだから、声かけたのよ」

どこか興奮した口調で話してくる男を眺めながら、大男はつぶやいた

「だからってお前、蟹喰い猿はよぉ」

蟹喰い猿。

それは蟹を秘密裏に売買することで生計を立てる闇売人の蔑称である。

蟹の味を覚えて大金を払って蟹を買うグルメの事もそう呼ぶことがある。

「船潰されて、嫁怪我させられて、仕方ねぇんだよ。俺だってやりたかねぇ」

漁師は、拗ねた様に言った。確かに、蟹の売買が上手くいけば新しい船や商売の元手にする事は可能だろう。そう考えて、大男は意を決したようにポケットから携帯端末を取り出した。

「この額で良いか」

大男が提示した額は、確かに漁師の生活を支えるには十分な額だった。

「あ、ありがてぇ!」

漁師は拝む様に手を合わせると、端末を操作してその金額を受け取った。

それを眺めながら、大男は口を開いた

「二度とやらねぇようにしろよ。今回は特別に多めにみてやるから」

「え?」

意図の読めない大男の言葉に、漁師は固まってしまう。

大男は懐から煙草と無線機を取り出すと、火をつけて一息つき、無線に向かって話しかけた。その無線機には、しっかりと甲殻機動隊の名前が刻まれている。

「カフーナガイから本部へ、カフーナガイから本部へ、蟹の死体回収。カニカマ寄越してくれ」

大男の名前はカフーナガイ。先日のプロレタリアの蟹撃退時にも現場で少佐の補佐に当たっていた男だった。全てを知った上で、大目に見る。そういう行動をとったのだ。まだ固まっている漁師の背中を平手でバン、と叩くとカフーは顎で外を示した。他のものが来る前に姿を消せ、と目が語っていた。

「オヤジ、聞こえてたろ。経費で頼むぜ」

「甘やかしすぎるのもどうかと思うがな。落とした上に保険の書類までつけてやる」

無線の上でムシャノコウジが笑っているのを聞きながら、カフーは煙草を吸いながら髭を撫で付けた。カニカマが来るまで時間がある。

煙草を吸いながら、漁港で少佐に土産でも買っていってやろうと、カフーは歩き出した。

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