第6話 蟹抗戦
「そーれ、そーれ!」
ワイヤーネットを引きながら、カニカマたちが声を合わせる。さながら地引網のようにタイミングを合わせて投網を引く彼らの動きに乱れはない。それでもギリギリと巨大蟹の力に網が軋む。生きようと、逃げようとする巨大蟹の必死な抵抗は恐ろしい物だった。カニカマの車輪が空転し、限界までワイヤーが引き出されていく。
「少佐ぁ!長くはもちませぇん!」
「堪えろ!」
カニカマが悲痛な叫びを上げるが、少佐はピシャリと退ける。
準備は整った。ここまでは少佐の作戦通りである。
プロレタリアもまた、作戦通りに動いていた。戦線を離脱したのではない、巨大蟹の意識から外れるまで戦線を離脱していたに過ぎない。エネルギーを限界まで保持したままで、その手に握られた高振動波式加熱ナイフをオーバーヒート直前まで加熱して、巨大蟹を固定した生簀に近づいていく。その歩みは早くはないが、着実な殺意を持って巨大蟹に近づいていく。少佐の作戦は、地の利と状況から考えても適切かつ簡潔な作戦であった。プロレタリアはカニの固定された生簀に辿り着くと、その高熱の刃を、巨大蟹ではなく、生簀の水面に突き立てた。
「ご馳走だ。蟹の塩茹でだぞ」
鉄板に水を垂らした様な大きな音を立て、大量の蒸気が上がったかと思うと、一気に泡を立てて生簀の水が高温に沸き立っていく。熱は急速に水槽全体に広がっていき、足元から巨大蟹を蝕んでいく。蟹に発声機関があれば叫び声をあげていたのかもしれない。それとも、恨み言を呟いたのかもしれない。身を震わせた巨大蟹は最後の力を振り絞るかのように、体を起こし、水中から出来るだけ体を逃げさせようとする。空中ならば、熱が逃げれば、あるいは
「させるかよ」
ナイフを水中に放置したプロレタリアが、その希望を易々と打ち砕いた。水飛沫をあげて蟹の死角から飛びかかり、そのまま力を加えて押さえ込んでいく。突然のことに蟹はより身動きに混乱が滲み、より生簀のお湯を撹拌して自らの命を縮めてしまう。そんな蟹に対して哀れさも憐憫も抱かないタキジは、より蟹の死を着実にするために追撃を加える。拳を握るとプロレタリアはその目を狙って振り下ろす。
視界を奪い、そして、絶望を与えるために。冷徹な一撃。その一撃に蟹は恐怖した。身に忍び寄る確実な熱というダメージ、体は強張り、そして視界には何も映らない。脳裏に映っているのは、ただ鈍色に光る死神の顔だった。
「状況終了、撤退する。生簀まで輸送車を入れてくれ。クレーンもいるな」
無線機に向かってそう告げると、少佐は歩き出した。
生簀には真っ赤に茹で上がった巨大蟹と、その上で動きを止めたプロレタリア
そして、それを立ち尽くしながらみている、タキジ少年の横に。
「作戦成功だ。よくやったな少年」
そう声をかけても、タキジの目は動かなかった。じっと蟹の死体を見つめている。
自から討った仇を目の前に、彼がどんな感情を抱いているのか、想像することは易くなかった。それでも、作戦を立てたものとして、その結果を報告することは自分の義務であると少佐は考えていた。この後、彼がどのような処遇に合うのかは、自分の関知するところではない。事なかれ主義の政府からすれば全てに口を噤み、この一件とタキジのプロレタリア搭乗を最初からなかったこととするのだろうと思われた。
「どうすれば、いいですか」
小さく呟いたタキジの声に、少佐は答える言葉がなかった。その権限が自分にないことに自覚を痛感しながら、それでも彼の復讐を見守った大人として、喉に言葉が石のように詰まっていた。
「少佐、彼に代わってくれ」
通信機の耳に聞こえてきた声は、酷くしわがれていた。その声を聞いただけで少佐の体に緊張が走ったかのようにも見えた。返事を返す事なく、耳から通信機を取ると、少佐はタキジにそれをそっと渡した。
「甲殻機動隊の最高責任者だ。失礼のないようにな」
タキジは少しだけ戸惑いながらそれを受け取ると、そっと耳に当てた。
「国家公安委員会のムシャノコウジだ、まずは協力を感謝する」
しわがれているのに何故か通りの良いその声は、老獪さと誠実さを併せ持つ不思議な響きを持っていた。協力、という単語に少し眉を顰めたが、プロレタリアの事だと理解するのに時間はかからなかった。
「特別なことをした覚えはないです」
「そういうにはだいぶ特殊な事を君はしたよ。普通じゃあない」
無線機の向こうでムシャノコウジがほんの少し笑ったような気がした。
「ざっくりと概要を伝える。今回の事件には緘口令が敷かれる。申し訳ないが君がした事を親に自慢することはできない」
「親はいません。昔蟹に殺されました」
「失礼、配慮に欠いた」
通信機の向こうにいるムシャノコウジに対して、タキジは少しだけ混乱をしていた。この人は何を言いたいんだろう。自分に何をさせたいのだろうか。世間話をしたいというわけではないだろうに。このまま黙っていなければいけない事なんて、子供にでもわかる事だろう。普通には明かされていない兵器への搭乗
ふと、自分が恐ろしい事をしてしまった自覚が急に襲いかかり、背筋にジワリと嫌な汗が沸いた。
「今回の協力を考慮して、我々公安は君にプロレタリアの適性があると判断した。もし君がそれを望むのであれば、君を機動隊の特殊隊員として迎えたい。その権限が私にはある。」
予想外の言葉に、タキジは何も言えなくなってしまった。
特殊隊員?自分が? 自分の蟹への殺意を肯定される事は全く想定していなかった
「親御さんがいないのであれば、親類に適切な書類も送らせていただく。少なくとも、漁港で働き続けるよりは収入と生活の安定と保証はさせていただくつもりだ」
「少し、考えさせてください」
簡単に答えられる問題ではなかった。ムシャノコウジにそうとだけ返すと、タキジは通信機を少佐に手渡した。通信内容を聞いていたのか、それとも内容を察していたのか、少佐はゆっくりと口を開いた
「自分も同じ立場だから、復讐を否定はしない。無駄を減らして最高率で目的を達成するチャンスは、誰にも訪れるものじゃない。それに、親父は面倒見はいい」
その言葉を聞きながら、タキジは考えていた。ムシャノコウジの提案は自分には願ってもいない事だった。それでも、日常を捨てる踏ん切りがつかず、自分がそれを成し遂げる自信もなかった。偶然による成果でしかないと、どこかで冷静に思っていた。
そんなタキジの目に飛び込んできたのは、アキコの姿だった。
母親に抱きしめられながら、泣いているアキコ。彼女の父親は蟹に殺されたまま戻る事はない。この漁港に巨大蟹が現れた時点で、日常は破壊されてしまっていたのだ。完全に戻る事はできないのだ。タキジはアキコにかける言葉を見失った自分の不甲斐なさを噛み締めた。
もう、心は決まっていた。
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