第4話 カニバリズム

もうもうと立ち込めるのは砂煙かそれとも茹で上がった蟹からの湯気なのか。

どちらにせよ動かなくなった蟹の周りは視界が悪くはあった。

高振動波式加熱ナイフをバックパックに収納したタキジはゆっくりとその戦果を確かめるかのように周囲を見渡した。甲羅まで赤く茹で上がった蟹を見下ろすのは、人生で初、いや、人類史で初の視点であった。

「やった、のか」

安堵のため息をついたタキジに呼応するかのように、プロレタリアは腕をダラリと下げた。激しい戦闘の後だというのに、その装甲には傷ひとつついておらず、その頑強さを物語っていた。

「すごーい、やっつけちゃったの!?」

「蟹って倒せるんだぁ」

騒がしく駆け付けてきたのは甲殻機動隊の自律式多脚思考戦車、カニカマだった。

物珍しげにプロレタリアと蟹の死骸を交互にカメラに映しながらはしゃいでいる。

戦車がはしゃぐ。民間人であるタキジにとってはにわかには信じられない光景ではあったが、それ以上に信じられない状況に自分がいるという自覚は持っていた。

ヘッドギア越しに外の音は取り込めるが、通信機能、とりわけこちらから誰かに話しかける機能はプロレタリアからはオミットされている。今は誰かに状況説明とこの後どうすればいいかの指示を仰ぎたかった。先ほど有線接続で会話をした機動隊員も周囲には見当たらない、一体どうすればいいのか。

「気を抜くな!巨大蟹を鹵獲した後研究所へ輸送する!輸送車が入れるスペースを確保しろ!」

カニカマの通信機に響いたのは少佐の声だった。

「はーい!」

プロレタリアの周囲を旋回していたカニカマが声を揃えて返事をすると、周辺の瓦礫の撤去作業へと移行していく。少しばかり視界が開けると、いつの間にか機動隊員達も作業を開始していた。タキジはその手際の良さに感心してしまった。

彼らはプロフェッショナルである。被害を最小限に抑え、そしてその後住民の生活を復旧していく、それが日々の仕事なのである。手際が良いのは当たり前なのだ。

しかし、こうも手持ち無沙汰だと気まずくなってしまうのが人というものだ。

(て、手伝ったほうがいいのか・・・?)

タキジが機動隊の方へ数歩歩み寄った瞬間

「ふせろぉ!」

通信機ではなく、生身の大声が漁場に響き渡った。それが通信機を装備していない自分への警告だと理解する前に、タキジの体は反応していた。プロレタリアが身を屈めると、その頭上を巨大な質量が通過していく。それは、巨大なハサミだった。

あまりの質量の移動に回避したとはいえ衝撃が走る。動けないタキジの上に瓦礫が降り注ぐ。タキジが避けたため向かいの建物が粉々に砕かれたのだ。

タキジがハサミの主に視線を投げると、そこには先程タキジが屠ったものより巨大な蟹が待ち構えていた。そうだ、蟹は二体いた。位置が離れていたせいで意識から外れていた蟹が、仲間の死を感じ取ったのか、猛スピードでこちらに現れたのだ。

「あ、危なかった・・・」

タキジは目を離すことなくジリジリと後退する。先ほどのハサミの威力を見てはそれもやむを得ない事だった。先ほどは蟹の隙をついての不意打ちだったからか、蟹の攻撃を目の当たりにすることはなかった。やはり、蟹は恐ろしい相手なのだ。

作業をしていた機動隊達も距離をとって現状の把握を最優先に行動をしている。

どうにかする手段はないか、思案するタキジの耳に届いたのは、先ほどタキジに大声で指示を出した声だった。

「度々悪いな」

「いえ、助かりました」

声の主は少佐だった。先ほどと同じようにプロレタリアに有線接続して会話を可能にしたのであろう。仕組みはよく分かってはいないが、タキジは素直に感謝の意を述べた。命を救われたのは、紛れもない事実なのだ。

「蟹を倒すとはよくやった。成り行きとはいえ普通できることじゃない」

「全部、偶然です」

「だろうな、そしてそれはそうそう続くものじゃない」

少佐は冷静に、冷徹にそう告げた。タキジもそのことは理解できた。そして、少佐が何を言おうとしているかも理解できた。

「後は我々の仕事だ。護衛はつける。機体を捨ててシェルターへ避難しろ」

その言葉には、有無を言わせない、という強い意志が感じられた。勝機が見出せないこの状況においては、二匹目の巨大蟹は海へ誘導して最低限の被害に抑えることしかできない。プロレタリアには現状加熱ナイフしか装備がない。これで倒せるほど甘い相手でないことは火を見るより明らかであった。タキジは黙ってコクピットのハッチを開こうとした、しかし、その時のことだ。

「少佐ぁ!何か変です!」

周囲を警戒していたカニカマの一台が悲痛な叫び声を上げた。その声を聞き、全員が二匹目の蟹に目をやった。そこに広がっていたのは、異様な光景だった。


蟹が、蟹を食っているのである。蟹の死骸を啄み、その殻ごとハサミで砕き、口に運んでいく。その表情からは何も読み取れないが、一口それを咀嚼するたびに、捕食の愉悦か、仲間の死の苦しみなのか、じわじわと口から泡を吐き出しながら、みるみる蟹が食い散らかされていく。


カニバリズムである。


共食いが蟹同士の体にどのような作用を与えるかは不明だが、しかし周囲に与える恐怖感や、捕食側の蟹の圧倒的な強さを感じるには十分だった。その醜悪な行為に、その場にいる人間は誰もが動けずにいた。ただ蟹が蟹を捕食する音だけが響いていた。あらかた蟹を食い散らかし終えると、蟹はゆっくりと身を起こした。それは、明確な威嚇の姿勢であった。ハサミを大きく振り上げ、巨大な体をより巨大に見せるその姿勢は、威嚇を通り越して、憤怒や殺意を大きく含んでいた。そして

「前言撤回だ。その機体で徹底的に自分の身を守れ。死ぬなよ」

「・・・はい」

少なくとも、少佐とタキジはそれを感じ取っていた。

その殺意は、確実にプロレタリアに向けられていた。

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