第3話 人類初の蟹交戦
対巨大蟹専用人型兵器プロレタリア、それがそのロボットの正式名称だった。
ロボット、というと分類的に難しいのだが大まかに言えばロボットであり、
搭乗者の思考を信号化して動作を行う、ある意味ではパワードスーツにも近い。
対蟹戦闘のプロフェッショナルである甲殻機動隊内においても、一部の隊員しかその存在を知らない超極秘の新兵器が今、何の情報もなく目の前で蟹を殴りつけている。
そもそも蟹を鹵獲して兵器にしている事すら民間人には基本的には秘密裏に行われている。自律式多脚戦車のカニカマや、甲殻迷彩も一般的には知られていない。だというのに、今、目の前では誰もが知り得なかった兵器が蟹と戦っているのである、これは甲殻機動隊現場指揮官であるソーホ・トクトミ、通称少佐も目を疑っていた。
あまつさえ、甲殻機動隊の回線を用いてプロレタリアに話しかけても応答がない。思考のノイズになりがちな外部通話はプロレタリアからはオミットされているが、例えば機動隊員の誰かが乗り込んだ場合は隊装備の通信機に上官権限で否応なく連絡することが可能である。しかし、それすらすることが出来ないということは
「民間人が、あれを動かしているということか」
事態は深刻であり、そのことに少佐は小さく唇を噛んだが、ただそれを見ている場合でないことだけは確かだった。
「各員、あの人型を援護しつつ、住民の避難を最優先しろ!」
「了解」
通信が切れ、隊員たちが作戦行動に移行したことを確認すると少佐は誰にも聞こえないように溜息をついた。
「せめて味方であってくれよ、プロレタリア」
突然の攻撃に巨大蟹は混乱している様子ではあったが、それはコクピットのタキジも同じ事だった。思考により稼動するプロレタリアを操作することは難解なことではなかったが、動くことができる、ということと完全に操作することができるということは別であり、なおかつ今まで経験した事のない行動や場面に於いての適切な選択肢を選ぶことができるほど、タキジは訓練を受けているわけでも知識があるわけでもないのである。ましてや甲殻機動隊を持ってしても追い払うことしかできない巨大蟹に対して、こちらは有効的かつ、効果的で、周囲の損害を最低限に絞った対抗戦力を持っているのである。どうすればいいのか、最善手を選ぶ必要があった
これは、人類初の、蟹交戦なのである。
「このまま殴ってれば倒せるのか?」
焦って思わず疑問が口をついてしまう。せめてマニュアルの様な物でもあれば、いや、そんなものを読んでいる余裕もなかったのが現状だ。それならばとりあえず、殴り続けるしかないのではないだろうか。と、そんな余計なことを考えていたことが、思考操作のプロレタリアの動きに一瞬の隙を生み出した。思考による操縦という事は、一瞬でも思考にノイズが走ってしまえばその動きに数秒の隙間が生まれてしまうということとイコールである。その隙を、いくら面食らっているとはいえ生存本能に長けた野生の生物が見逃すわけはなかった。巨大蟹は横薙ぎにはさみを振り、プロレタリアの脇腹を打ち払う。みすみす直撃を喰らってしまい、プロレタリアは横転してしまう。衝撃がタキジを襲い、そのまま起きあがろうとするも、瓦礫に足を取られ、上手く起き上がることが出来ない。
「くそっ!くそっ!」
焦りは余計なノイズをさらに生み出し、プロレタリアの動きが緩慢になっていく。
手を大きく振り、牽制することによって蟹の二撃目を回避する事はできたが、それは蟹に襲われて恐怖のあまりのたうち回る人間を巨大化したに過ぎない哀れな様子だった。タキジの視界、モニター越しに、巨大な蟹が笑ったかの様に見えた。
しかし次の瞬間、小さな衝撃と共にコクピットに声が響いた。
「冷静さを取り戻せ。慌てるだけじゃただの餌だぞ」
その声は甲殻機動隊隊長、ソーホの物だった。ソーホは他の隊員に指示を出したのちプロレタリアと巨大蟹の戦局を見守っていたのである。そしてプロレタリアが倒れるとすかさずそのコクピットに有線接続を行い、中のタキジと通話することに成功したのだ。
「今は別の者が蟹を足止めしている。その間に体勢を立て直せ」
冷静な声に、タキジの焦りもゆっくりと冷えていく。周囲の建造物を確認、プロレタリアはまた立ち上がり、蟹の方に向き直った。蟹の周りではカニカマたちが小さな銃器で弾幕を張り、蟹の動きを制限していた。蟹は鬱陶しげに身を震わせていたが、しかしダメージを与えている様には見えなかった。
「あなたは?」
「話は後だ。どうやらそれ用の銃火器は装備していない様だな」
少佐は外部コンソールで何かを操作しながらそう確認する。その声を聞きながらタキジもコクピット内でディスプレイを眺める。確かに、装備や残弾数といった銃火器に関する表示は見当たらなかったが、一つだけ用途のわからない表示があった。
「高振動波式加熱ナイフ?」
「何か見つけた様だな、恐らく私が有線接続しているバックパックに入っているはずだ、上手くやれよ。動きは止めておいてやる」
少佐はそういうと一方的に回線を切った。冷酷にも見えるが、冷静な判断ではあった。
タキジは言われた通りにバックパックから大きなナイフを抜き放つ。やかんでお湯を沸かすような甲高い音があたりに鳴り響き、ナイフがぼんやりと光を放つ。
タキジは意を決してナイフを握り直すと、巨大蟹に向かって走り寄った。
狙うは、自分で殴りつけてヒビの入った蟹の甲羅の隙間。そこに向けてナイフを差し込む。こういったときに思考操作であることが有意である。身体能力に左右されることなく、狙った位置に攻撃を半自動で加えることができる。ナイフの刃がするりと飲み込まれると、高い音はくぐもり、刃の周囲の蟹のみが振動による高温で茹で上がる。不可逆的に変化した蟹の身は動く事をやめ、蟹はバランスを崩し、周囲には仄かに芳醇な茹で蟹の匂いが漂った。
「これで、いける!」
タキジは突き刺したナイフを構え直すとあまりのことに泡を吹いている蟹の口に刺し入れた。意図せずナイフを咥え込んでしまった蟹は振り払おうとするが一瞬で内部から体細胞が茹で上げられていき、体の自由が効かない。何もできないまま、徐々に温度と赤味が身体中に広がっていき、そして、静かに蟹は動きを止めた。
「わぁお、あいつやっちまいやんの」
いつでも飛び出せる距離でプロレタリアを見ていた少佐の横に、副官がいつの間にか立っていた。少佐は冷静に戦局を分析していたが、しかしどう贔屓目に見ても、人類が初の蟹交戦で勝利を収めたのは、火を見るよりも明らかであった。
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